市来豊《いちき・ゆたか》氏のことと、電子書籍『カンボジア1993写真集』

市来豊《いちき・ゆたか》氏のことと、電子書籍『カンボジア1993写真集』

我が友、市来豊《いちき・ゆたか》氏は、昔のカンボジアを知る「カンボジア友だち」である。1990年代のカンボジアに強烈に憧憬を持っている人間なんてそうそういない。市来氏はそんな稀少な人間のひとりだ。

私は1990年代の後半からカンボジアに入ったのだが、市来氏は前半から中盤にかけてカンボジアにいた。この頃、彼は私生活でいろいろゴタゴタがあって悩み多く、気がつけばフリーのカメラマンとしてカンボジアに入っていたと言う。

「気がつけば」と本人は言うが、この当時のカンボジアは内戦状態にあって民間人はおいそれと入れない時代だった。

本人は言わないが、私はきっと市来氏はこの時に死ぬ気であったのだろうと思っている。何しろカンボジアだ。著名カメラマンである一ノ瀬泰造《いちのせ・たいぞう》氏は、その20年前の1973年にカンボジアに入って死亡している。

一ノ瀬泰造氏と言えば、『地雷を踏んだらサヨウナラ』の著者である。1993年のカンボジアは、本当にどこを取材しても一歩間違えたら『地雷を踏んだらサヨウナラ』の世界だった。

日本が初めて自衛隊を外国に派遣したのは1993年の国際連合平和維持活動(PKO)だった。

自衛隊ですらも死を覚悟してカンボジアに向かった。そこに、その取材ということで、23人ほど入れなかった民間人の1人として市来氏はカンボジアに潜り込んでいたのだった。

市来氏と一緒に入ったカメラマンの中には、当時、報道カメラマンとして有名だった三留理男《みとめ・ただお》氏もいた。

市来氏は蛇の道は蛇のようなコネがある人だ。この時はどのコネを使ったのか分からないのだが、何やら怪しいコネを使ったのはきっと間違いない。そしてカンボジアに入り、あわよくば死ぬ気だったに違いない。

電子書籍『カンボジア1993写真集』

酒と女が大好きで、いつも大酒を食らって酔っ払っている

私、鈴木傾城はただの野良犬だが、市来氏は血筋がやたらと良い。祖父は、ヤナセ式ガス気化器を発明した人物だった。

日本の発明界に名を轟かせた人物である。天皇陛下の自動車を整備していたり、ホンダ自動車の創業者である本田宗一郎氏と共に仕事をしていて、自伝にも載っているほど傑出した人物だった。

その祖父の血を引いたようで、市来豊氏もまた凄まじく地頭が良く、猛烈なまでに博学である。一度話をしてみたら、その縦横無尽の博学と造詣の深さには驚いてしまうほどだ。

しかし……。

しかし、市来豊氏には「大きな欠点」があった。酒と女が大好きで、いつも大酒を食らって酔っ払っているのである。市来氏がシラフの時を私は見たことがない。もっとも、シラフでも酔っているのと変わらないということだが……。

何にしろ、呆れるほどに市来氏は大酒飲みだ。

本人はこれを「阿部流だ!」と叫んでいる。阿部というのは、市来氏とずっと親交のあった阿部勉氏のことである。

阿部勉というのは、三島由紀夫が結成した軍隊「楯の会」の1期生で第5班の班長をしていた人物だ。

三島由紀夫が自決した後には、三島の憂国精神を引き継いで活躍してきたのだが、市来氏はこの阿部勉氏とやたらと仲が良くて、阿部勉氏の悪いところ、大酒飲みのライフスタイルをぐんぐんと吸収してしまったのである。

そんなわけで、阿部流で酒を飲んで飲んで飲まれているうちに、何を間違ったのか1993年にカンボジアにいた。

写真を現像もしないで放り出して、また元の大酒飲みに

1993年、そして1996年、市来氏はカンボジアに入って多くの写真を撮っていた。幸いなことに、死なないで五体満足で帰って来られた。

ところが、大量にカンボジアの写真を撮りまくったにもかかわらず、生きて帰って来られたら安心したのか、写真を現像もしないで放り出して、また元の大酒飲みに戻ってしまった。

人が良く、大酒飲みで、ヘビースモーカーで、ここでは書けないような際どいことでも、それが言いたいことであったら何でも言う。しかし、裏表がない性格で、まわりの人たち全員に好かれ、慕われている。

カメラマンとしての仕事はしているが、いかんせん酒(と熟女)のことしか考えないので、有り金は全部そちらに行ってしまってすっからかんである。

結局、市来氏は1993年に撮ったカンボジアの写真を、28年も放っとらかしにしていたのである。28年と言えば尋常ではない。本人も「いつか現像したい」という意向はあったのだが、そんな金があったら酒と女に回るので28年も現像することなく放置されていたのだった。

これは、冗談ではなく本当の話である。

私は日本で最もカンボジアの闇の話を書いている作家であり、カンボジア・マニアなのだから、そんな話を聞いたら放っておけない。

そこで、今や大酒を食らうことしか考えていない市来氏をけしかけて、フィルムを28年ぶりに現像してまとめることになった。

それが、この電子書籍『カンボジア1993写真集』である。

市来氏は静かに記録し、そして28年ずっと温存していた

現像して驚いたのは、市来氏の視線の「優しさ」である。1993年のカンボジアは長く続いた戦争を終えて、やっと平和をつかんだ記念すべき「平和0年」である。

実際には、この後に再び第一首相のラナリットと、第二首相のフン・センが衝突する事態も起こったのだが、この衝突はすぐに終わった。1993年のカンボジアは、まさにカンボジアが変わった年なのだ。

市来氏はそんなカンボジアの平和の瞬間をきちんと捉えていたのである。

カンボジアの悲惨さを撮ろうと思えば、いくらでも撮れただろう。銃や貧困や障害を負ってしまった人たちやキリングフィールドの傷痕を撮ろうと思えば、1993年はうってつけの年だったはずだ。

しかし、市来氏が残したのは、やっとつかんだ平和を享受する人々の安寧と優しさと何気ない暮らしの部分だった。

私たち日本人は、静かに暮らしていたら平和はずっとそこにあると思っている。日常は明日も淡々と続くと思っている。そういう意味で、平和のありがたさというのは感じることは少ない。

しかし、カンボジアは民族大虐殺が引き起こされるような地獄を経験し、何十年も望んでいた平和が得られなかった悲劇の国である。国のあちこちに「キリングフィールド」が存在するような、そんな国がカンボジアだったのだ。

そんな国がやっと平和をつかんで、おぼつかない足取りで「普通の国」として歩んでいこうとしていた。

その瞬間のカンボジアの人々の優しい笑みを、市来氏は静かに記録し、そして28年ずっと温存していた。

電子書籍『カンボジア1993写真集』は、そうした市来豊氏が記録していた写真をまとめた写真集である。

ご関心のある方は、どうぞご覧になって下さい。

電子書籍『カンボジア1993写真集』

『カンボジア1993写真集(市来 豊)』Amazon Kindleより購入可能です。

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