「嫁という言葉は時代錯誤で古い価値観が染みこんでいるから使うな」という議論が湧き上がっている。「女性が家にいなければならないのは旧時代の話なので嫁という言葉は使うに値しない」と女性たちが言うようになっている。
時代が変わったのだから、私は別に「嫁」という言葉にこだわらず、女性が呼んで欲しいと思う言い方で呼べばいいのではないかと考えている。絶対に「嫁」という言葉をなくすなとは思っていない。
それは実のところ、歴史から見ると非常に些細なことであるとも感じている。
というのも、フェミニストたちはまったく気付いていない視点であると思うが、女性がこのように活躍できるのは「期間限定の一時期だけ」だからと私は歴史を見て知っているからだ。
女性が言葉尻を捉えて言い方を改善しようとしているのは表層的なものであって、さらに時代が変わったら、呼び方の問題などいとも簡単に吹き飛ぶ。では、時代がどのように変わったらそうなるのか?
それは、「戦争や内戦などの暴力衝突の時代に入ったら」である。
戦争や内戦になると、肉体的な闘争に有利な人間が社会に台頭する。暴力がモノを言う。暴力という「肉体言語」が世界を覆い尽くし、そして「肉体言語」によってコミュニケーションが始まる。
腕力の強い者、相手を容赦なく殴れる者、暴力で相手を屈服させることができる人間が、その「力」で相手と対話する。そこでは「強いか弱いか」という価値観が幅を利かせる。強い人間は多くを得て、弱い人間はすべてを奪われる。
平和の時代ではそれが「知力」で行われていた。知力というのは、必ずしも男性が有利なわけではない。粗雑で適当で細かいところには気を使わない男性も多いので、比較すると女性の方が知力が優れている可能性もある。
しかし、腕力や暴力性で言うと、圧倒的にテストステロンが多い男性の方が強い。つまり、戦争や内戦は「男の時代」であり、男の論理が支配する世界なのだ。今の女性が活躍している時代は「期間限定の一時期だけ」というのは、そういう意味だ。
これは女性にとって大切な話なので、より深く考察してみたい。