100人に1人はサイコパス。私たちは人生のどこかで、かならずサイコパスと出会う

100人に1人はサイコパス。私たちは人生のどこかで、かならずサイコパスと出会う

サイコパスは変わらない。傲慢で、自分勝手で、極度に利己主義で、他人を利用し、いうことを聞かなければ恫喝し、罵倒し、従わせる。サイコパスが変わることを期待してはいけない。サイコパスは話せばわかるわけではない。そういう人が組織のトップにいることもある。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

他人を罵倒し、裏切り、叩きのめす

世の中には、まったく良心を持たない人間がいる。極度の利己主義者で、誇大妄想で、自信満々で、冷酷で、残酷で、手段を選ばず、感情が欠如し、共感性が低く、自らの利益のために他者を犠牲にすることを厭わない。

狡猾で、不正をなんとも思わず、罪悪感は欠如しており、他人を踏みにじっても良心の呵責もなく、無神経で、短気で、結婚や離婚を繰り返し、衝動的で、責任を絶対に取らず、口達者だが誇大妄想で、他人を罵倒し、裏切り、叩きのめす。

おおよそ人間として最悪の性格で、犯罪的な存在なのが「良心を持たないサイコパス」である。

もっとも、サイコパスにも軽度・中度・重度とグラデーションがあって、かならずしも全員が犯罪者ではない。犯罪者どころか、企業のトップにいたりすることもある。傲慢で自信満々な姿勢が評価されるからだ。

ただ、重度のサイコパスになると、犯罪者として逮捕・収監されている人間も多く、先天的な気質なので治らない。

確固とした統計があるわけではないのだが、どこの民族でも統計的に1%から3%のあいだでサイコパスが存在する。日本でも100人に1人はサイコパスであると述べる脳科学者もいる。

私たちは時として、こうした人間と関わり合う必要があり、悩まされることもある。だから、私たちは「人間関係を大切にする」ということと同じくらい「危険な人間を徹底的に切る」ということにも注意を払わなければならない。

サイコパスとかかわれば、かかわった時間が長くなればなるほど、かならずトラブルに巻き込まれる。

私たちは人間関係を一期一会の大事な機会であると文化的な教育を受けているので、「人を切る」というのは非常に苦手としている。しかし、サイコパスを切らなければ人生をめちゃくちゃにされる。

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サイコパスに対する唯一の防衛

サイコパスは「100人に1人」もいるのだ。確率的に考えると、私たちは人生のどこかで間違いなくサイコパスと出会うことになる。突如として、かかわってはならない相手が目の前に現れるはずだ。

彼らは利己主義であり、自らの欲望に私たちを利用しようとする。そういう人が組織のトップに立っていたりする。

もし、サイコパスに自分の権利や所有物が侵害されているのであれば、徹底的に戦わなければならない。そうでないのであれば、逆に徹底して「サイコパスとの人間関係を切る」というのが現実的な解決方法となる。

サイコパスと敵対すると、こちらが何をどうしてもかならず逆恨みされ、執拗に粘着してくる。常識は通用しない。だから、それを全力で振り切ってサイコパスとかかわらないようにする。そのためにありとあらゆる知恵を絞る。

それがサイコパスに対する唯一の防衛だ。

ここで問題になってくるのは、「人間関係を一方的に断ち切るのは正しいのか?」という迷いだ。「どんな人間関係も大切なもの」とか無邪気に思っていると、人間関係を切るということができない。

日本人は特にそれが苦手だ。なぜなら、日本の学校は「誰とでも仲良くしなさい」と朝から晩までいい続けてきたからだ。幼稚園から大学までずっと「仲良くしなさい」という理想論的な教育を受け続ける。

「誰とでも仲良くする」というのは美しい言葉なので、子供からそのように教えられ続けると、それを疑うことができないようになってしまう。教育という名の洗脳である。

「誰とでも仲良くしなさい」というのは、間違った教育であることに、不思議なことに教師ですら疑いを持たない。だから、それを鵜呑みにしたまま社会に出て、サイコパスと出会って、トラブルに巻き込まれて犠牲になる。

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世の中は善人ばかりではない

「誰とでも仲良くしなさい」という教育が危険なものであることは、少し思考能力がある人間ならすぐにわかる。サイコパスでなくても、世の中は善人ばかりで構成されているわけではない。

「目の前の人間が殺人鬼だったらどうするのか?」
「目の前の人間が詐欺師だったらどうするのか?」
「目の前の人間が放火魔だったらどうするのか?」
「目の前の人間が憎悪の塊だったらどうするのか?」

そう考えると、「誰とでも仲良くする」というのが、場合によっては不可能であることに気づく。それなのに私たちは、ずっと「誰とでも仲良くしなさい」と教育され続けてきた。だから、日本人はことさら「お人好し」となっていく。

「日本人は騙しやすい」「日本人は騙しても騙しても、まだ騙せる」と、世界中で嘲笑されている。それは、私たちの性格であるというよりも、教育が「誰とでも仲良くしなさい」と徹底的にいい続けてきたからである。

日本の人間関係の教育は、あまりにもひどすぎる。これでは「お人好し製造機」である。おそらく、多くの日本人は「誰とでも仲良くしなさい」の洗脳が強すぎて、それが教育の結果であることすらも気づいていないはずだ。

大人になってもまだ気づいていないのであれば、今ここで受けてきた教育の弊害に気づくべきである。「誰とでも仲良くしなさい」という教育が日本人をダメにしており、グローバル化した世の中で日本人を危機に追いやっている。

当たり前のことだが、誰とでも仲良くしてはいけない。サイコパスな人間もいれば、犯罪者もいれば、危険なまでに敵対的な人間もいる。ところが、あまりにも洗脳が強すぎて、私たちの多くがそうした人をも許容しようとしたりする。

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関係ができること自体が危険なのだ

今でも日本の子供たちは「誰とでも仲良くしなさい」と教育され続けている。そして、社会に出る頃には、多くの子供たちがその考えかたに染まって、サイコパスな人間に出会って犠牲にされる。

このような教育を続けているからサイコパスに何度も何度も踏みにじられ、懲りたと思っても、人間関係を切らないので好き放題に蹂躙されていく。

相手が良心を持たないサイコパスなのかどうかは、しばらくすればすぐにわかる。わかったら「関係を切る」という当たり前のことをする。「誰とでも仲良くしなさい」という間違った教育をずっと信じていたら破滅する。

サイコパスは、けっして変わらない。傲慢で、自分勝手で、極度に利己主義で、他人を利用し、いうことを聞かなければ恫喝し、罵倒し、従わせる。その性格は一生そのままだ。だから、サイコパスが変わることを期待してはいけない。

サイコパスは話せばわかるわけではない。話してもわからない。そうしたことを指摘すると逆恨みする。サイコパスは情熱的に都合良く世の中をねじ曲げ、偽造でも捏造でも何でもする。

良心を持たないサイコパスは表面的には着飾っても、内面は非常に邪悪なものを内包しており、このような人間と関係ができること自体がリスクなのだ。

そんなサイコパスと関係ができてしまったら、その関係を全力で断ち切る努力をしなければならない。サイコパスとわかった瞬間に、ただちにかかわりを切る。

サイコパスとだらだら人間関係を保ち続けていると、どのみち被害が避けられない。そうであれば、サイコパスを自分から遠ざけて、一生、関係がないようにしておくのがもっとも合理的なのだ。

一刻も早くそうしないと、遅かれ早かれ深刻な被害が発生する。問題が何重にも重なり、やがて致命的なことになる。その前に、サイコパスとは関係を断ち切る決断をしなければならない。間違った教育を引きずってはいけない。

自分の親がサイコパスだったら? 親と縁を切ったほうがいい。自分のパートナーがサイコパスだったら? パートナーと縁を切ったほうがいい。

自分の上司や同僚がサイコパスだったら? 異動するか、徹底的に避けるか、それができないなら会社を辞めたほうがいい。そして一生、かかわらないようにする。べつに極端なことはいっていない。唯一の正しい対処を述べている。

亡国トラップ─多文化共生─
『亡国トラップ─多文化共生─ 隠れ移民政策が引き起こす地獄の未来(鈴木 傾城)』

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