1970年以降、ベトナム戦争が激しくなるにつれてアメリカから大量の兵士が東南アジアに送られていった。
しかし、ベトナム戦争に送られたアメリカ軍の兵士は全員最前線にいたのではなく、ローテーションを組んで戦う兵士と休ませる兵士を交替させていた。
ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵士は1年365日24時間、戦争から逃れられなかったが、アメリカ兵は一定期間戦うと、きちんと休みがもらえた。
東南アジアで兵士が安心して休め、何かあればすぐに前線に戻れる地として最も使われたのがタイである。そのため、タイの歓楽街はベトナム戦争景気に沸いて、多くの貧困女性がバーになだれ込んでアメリカ軍兵士を慰安した。
それが東南アジア最大の歓楽街として長らく君臨したパッポンであり、パタヤだった。(パッポン。ベトナム戦争が作り上げたアジア最大の歓楽地)
1970年代のパッポンはゴーゴーバーが林立し、女性が半裸になって踊り狂っていたのだが、それだけでなく、「ショー・バー」や「ライブ・バー」も隆盛を迎えるようになった。
その中に、「スモーク・ショー」というものもあった。これはいったい何だったのか。