タイは2001年にタクシン・シナワットという良くも悪くも剛腕で突っ走る指導者を得て、1997年のアジア通貨危機で打撃を受けていたタイ経済をいち早く立て直した。
タクシン・シナワットはこれによって政治的に頑強な基盤を作り上げ、それを補強するために自分の支持者である地方にどんどんばらまきを行った。
2000年代のタイにあったのは、軍部や王室が支配するバンコク都心部と、見捨てられて貧困のまま打ち捨てられている地方の確執だった。
つまり、タイではバンコク住民と地方住民の経済格差が見過ごせないものとなってしまっており、タクシンはそこに目を付けて地方に徹底的なばらまき工作を行って支持を拡大していったのである。
こうした動きが軍部や王室に危機感を募らせる元になり、それにタクシン本人のあからさまな王室軽視発言も重なって、ついにタイの政治と経済は混乱していくことになった。
タイという国に既得権益を持った「王室」勢力と、増長していく新興勢力である「成金」勢力の内部対立だったと言っても過言ではない。