健康を失ったら覚悟しておくべき10のこと。それは誰もが他人事ではない

健康を失ったら覚悟しておくべき10のこと。それは誰もが他人事ではない

人はいつまでも向上し能力を伸ばし続けるわけではない。若さを失い、体力を失っていけば、今まで発揮できていたはずのパフォーマンスは「ゆっくり」と消えていき、やがては「できたことができなくなる」事態に直面する。

多くは、老いがそれを誘発する。

しかし、若くして「急激・劇的・致命的」に能力やパフォーマンスや才能を消失することもある。たとえば、怪我や病気で健康を失った時、人はもはや今までと同じように生きることはできない。

それでは健康を失わなければいいという話になるのだが、それが不可能なのだ。事故は自分が気をつけていても「もらい事故」というものがある。いくら気をつけていても不確定要素は突如として襲いかかってくる。

さらに、人は様々な病気にかかる。風邪のような軽い病気もあれば、がんのような重い病気もある。

若い頃にどんなに強靭な体力と肉体を持っていたとしても、30代を過ぎたあたりから病気にかかりやすくなり、40代で深刻な病気にかかる人も少しずつ増えていき、50代にもなれば病気のデパートみたいな状態になる。60代以後はどんなに健康に見える人でも何らかの病気を抱えているはずだ。

人は「健康を失う」のである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

いずれ誰もが健康を失うことになる

極限のパフォーマンスを発揮しながら、ギリギリの生き方をしている人ほど身体に大きな負担をかけているので怪我や病気に見舞われやすくなる。そして、いったん健康を害すると、ギリギリの生き方が一気に崩壊して窮地に堕ちる。

人は健康なうちは、自分が健康を失うことを想定しない。しかし、いずれにせよ人は必ず健康を失う。

実のところ、私自身もまたそれを痛感した。

私は2006年に交通事故に見舞われて半年寝たきりとなり、その後も激しい頭痛やめまいによって三年ほど生きた屍のようになった経験がある。2006年から2009年まで、私はほとんど何もしていなかった。できなかったのだ。

それまで私は他人より体力がある方だったので、旅から旅に明け暮れて数ヶ月も日本に戻らなかったり、場合によっては一年も日本に帰ってこないような生活をしていたのだが、病気以後は体力にモノを言わせて放浪するライフスタイルは唐突に終わった。

旅どころではなくなった。嘔吐を伴うような激しいめまいや、周期的に襲いかかってくる頭痛に何をする気も起きなかった。苦痛と緩和の波に翻弄されて時間だけは過ぎ去っていたが、「これで自分の人生は終わった」と思っていた。

2009年あたりから何となく症状が軽くなっていったので助かったが、それでもかつての体力が戻ったわけではない。それは永遠に失ったものだ。

私は事故と病気で一瞬にして健康を失い、以後はライフスタイルの変更を余儀なくされていた。つまり、アクティブな人生は2006年に絶たれていた。まさか、自分が健康を害することになるとは想像もしていなかった。

しかし、それは私の身にも起きた。

その時、世の中を俯瞰すると、ほぼすべての人が遅かれ早かれ健康を失っていくということに気づいた。徐々に失うか、それとも私のように急激に失うかは別にして、いずれは誰もが健康を失う。

それは確かなことだったのだ。

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できたことができなくなる悪循環に

私たちは必ずいつか健康を失う。そして、健康を失ったら覚悟しておくべきことがある。

まず、今できていることができなくなる。健康を失う度合いにもよるが、場合によっては仕事もできなくなるし、日常生活も普通に送れなくなる。これは気合でどうにかなるものではない。

インフルエンザや風邪で寝込んでいる人は、身に染みてそれを感じるはずだ。いくら「仕事にいかないと収入に響く」と思っても、身体が言うことを効かない。そうなのだ。それが「健康を失う」という意味なのだ。できていたことができない。

一時的に健康を害しても何とか正常になればいいのだが、世の中には治らない病気もあれば治らない事故もある。治るにしても長期間の治療を要する怪我や病気もある。そうなるとどうなるのか。

一応、仕事や日常生活に復帰できたとしても、今までと同じパフォーマンスを上げることができなくなる。健康を失うというのは、ハンディを負うということだ。ハンディを克服できればいいが克服できないこともある。

致命的なまでに健康を害すると、健常だった頃と同じパフォーマンスは決して得ることはできない。無敵の強さと才能を持っていたアスリートが怪我を境に精彩を欠いて消えてしまうのは私たちがよく知っている現象でもある。健康を害すると、誰もがそうなってしまうのだ。

パフォーマンスを上げたくても、健康を害していることに気を取られて集中力も途切れがちになる。また、怪我や病気で健康を害すると、痛みや苦痛や「無理をしたら悪化する」という不安もあって、なかなか全力を出せない。

集中力を失った上に全力を出すことができないのだから、パフォーマンスはますます下がっていき、よけいに「できたことができなくなる」という悪循環に襲われる。

そして、自分自身に自信を失っていく。

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健康について考えることは意味がある

健康を失うと、貴重な時間も失う。怪我や病気で寝たきりになると、そこで自分の人生はストップしているのに、時間だけは確実に過ぎ去っていく。時間は元に戻せない。何もしないまま、何もできないまま時間がどんどん消える。

この「何もできない時間」が長引くと言うのは「働ける時間が減る」ということなのだから、当然のことながら収入は落ちる。よほどの資金力のある人でもない限り、貯金はどんどん食いつぶされていく。

ギリギリで生きている人が極貧に堕ちてしまうのは、実のところ「健康を害してしまった」という理由が最も多い。肉体労働に明け暮れていた人がホームレスになってしまうのも「怪我をして働けなくなった」とか「病気になって動けなくなった」という理由が最多だ。

健康を害すれば、今までの生活を失ってしまうのだ。

そんな時は誰かに依存するしかない。家族がいれば家族は助けてくれるだろうが、家族に頼れなければ知っている誰かに頼りたいと考える。

しかし、人は自分の人生を生きるのに精一杯だ。そのため、健康を失って生活の基盤が消えていく人には、誰も寄り付かなくなっていく。無意識に、健康を害した人からは遠ざかっていく。支えてくれる人よりも、消えていく人の方が多い。

それでも向上心を持って立ち上がり、新しい人生を切り開こうと前向きになれる人もいるかもしれないが、健康を失った期間が長くなり、もはや回復も不可能になると、そうした前向きさも消える。無気力になる。

・できたことができなくなる。
・パフォーマンスが上げられなくなる。
・集中力がなくなる。
・全力を出せなくなる
・自信がなくなる。
・時間がなくなる。
・収入が落ちる。
・今までの生活を失う。
・人が寄り付かなくなる。
・無気力になる。

健康を失うというのは、そういうことなのだ。健康を失ったら、こうした現象が怒涛の如く自分の人生を悪化させるということを覚悟しておくべきだ。誰でも病気になるのに、これは尋常ではない事態だ。

「保険に入っていたら安心だ」というわけではない。人生の質は落ちていくのは確実なのだから、安心などと言う言葉は似合わない。致命的なまでに健康を害したら、保険に入っていても何ともならない。

健康について考えることは意味がある。健康に注意しても何ともならないこともあるが、逆に何とかなることもある。何とかなるのであれば、注意するに越したことはない。それは誰もが他人事ではない。あなたの健康は大丈夫だろうか?(written by 鈴木傾城)

健康について考えることは意味がある。健康に注意しても何とかならないこともあるが、何とかなることもある。何とかなるのであれば、注意するに越したことはない。それは誰もが他人事ではない。

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