無痛で安らかに1分で確実に死ねる安楽死マシンが完成した

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「痛みを感じることなく、きれいな身体で、安らかに、そして迅速に、確実に、死にたい」と思う人もいるはずだ。

回復の見込みがない病気で死の淵にある時、激しい苦痛にのたうち回りそれが死ぬまで続くのが確実な時、あるいは老齢で弱り切って本人が安楽死を求めている時、あるいは完全に脳機能が停止しており、家族が安楽死を求めている時……。

安楽死が認められても良いと思われるケースは数多くある。

しかし、多くの国では安楽死は認められない。病院は「人を生かす」ために活動している場所であり、「人を殺す」場所ではないからだ。患者の状態がどうであれ、最後まで人を生かすのが医療の基本でもある。

また、家族が求めているからと言って、医師がそれに応えるのは法律的にも禁止されている。無理に行うと、それは医師による殺人行為となる。

そのため、日本を含めて多くの国で安楽死は認められていない。日本は2024年には団塊の世代のすべてが75歳以上となり、2026年には5人に1人が認知症患者になる。

寝たきりの患者も増え、すでに本人の意志は朦朧とし、自分で自分の食事をも取れず、胃内に管を通して栄養を送り込んで「本人の意志とは無関係に生かされている高齢者が爆増する。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

最後まで生かすべきだという信念は正しいのか?

すべての高齢者がそのようになってまで生きたいはずがない。しかし、病院に入ったら安楽死は認められない。

もちろん例外もある。アメリカでは州ごとに違っており、オレゴン州、ワシントン州、モンタナ州、バーモント州、カリフォルニア州が安楽死を認めている。

欧州では、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイスが安楽死を認めている。

特にスイスが有名なのは、安楽死を行う特殊な団体「ディグニタス」があって、そうした人々に「最後の望み」を叶えているからだ。(「君の手をぎゅっと握りしめていたい」と死ねる環境を日本に

ただ、安楽死については批判は多い。

「人は最後の最後まであきらめないで生きるべきだ」「たとえ植物人間になったとしても、延命治療で身体が生かせるのであればそうすべきだ」と考える人にとって、こうした団体は「殺人団体」としか見えない。

医師の中にも、人は最後まで生かすべきだと信念を持って訴える人も多い。

しかし、逆にそう思わない人も多い。「安楽死して欲しいと願っている人の意志を無視し、胃瘻(いろう)で無理やり生きさせるのは虐待に当たる」と激しく憤る人もいる。

一般論だが、もし自分が老齢になって意識もないまま生きているのであれば、家族に迷惑も面倒もかけたくないから意識のあるうちに家族とお別れして死なせて欲しいと考えるのが普通のはずだ。

それはとても自然なことだが、叶えられない。

そこで、「自分の人生の最期も自分でケリを付ける」と言わんばかりに、自ら生命を断つ人もいる。評論家の西部邁氏は、2018年1月21日に多摩川に入水して自殺に成功している。

西部邁氏は妻が亡くなった後に精神的に落ち込み、その頃から死を決意するようになっていった。配偶者に先立たれて「自分も死にたい」と思う人は多いが、それを実際に実行できる人はほとんどいない。

自分の人生を自分でケリを付けるというのは立派だ。

多くの高齢者は「もう生きたくない」と思いながら自ら死ぬこともできず、知性も理性も判断力も失ったまま、胃瘻(いろう)で生きながらえて死んでいく。

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フィリップ・ニッツチク博士が発表したマシン

多くの国で「安楽死は認めるべきか、それとも最後まで延命させるべきか」を巡って賛否両論の意見が飛び交っている。

人の死がかかっている。自分の死だけでなく、それは家族や友人の死とも関わっていく問題だから、その議論は往々にして感情的なものになっていく。

もちろん、結論は出ない。

安楽死を認めるにしろ、認めないにしろ、どちらの意見を持つ人も信念を持っているからだ。

そんな中、オーストラリアが2017年11月29日に「安楽死の合法化法案」を可決した。この法律は2019年に適応される予定となっており、それ以後はオーストラリアでも安楽死が認められることになる。

そして、それに絡んでオーストラリアで22年間、安楽死の研究をしていたフィリップ・ニッツチク博士が物議を醸すものを発表している。

『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンなのだが、これは「痛みを感じることなく、きれいな身体で、安らかに、そして迅速に、確実に、安楽死したい」と望む人たちのために作られたものだった。

この一人用のマシンに乗り込み、作動させると、内部に液体窒素が注入されて、1分以内に意識を失って死亡する。

注射針を刺す痛みさえもない。そして静脈を外して死に損なうこともない。確実に、安らかに死ねる。それがフィリップ・ニッツチク博士が発表したマシンだった。

しかし、やはりこのマシンもまた大批判にさらされ、「安楽死マシン」ではなく「自殺マシン」とメディアで罵られ、フィリップ博士を殺人鬼と呼ぶ人たちもインターネットで溢れた。

終末医療の末期にあり、苦しみの中にあり「安らかに死にたい」と望んでいる人々にとって、それは「待ち望んでいたもの」だったはずだ。

しかし、健康な人々には「あってはならないもの」にしか見えなかった。

『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシン。「痛みを感じることなく、きれいな身体で、安らかに、そして迅速に、確実に、安楽死したい」と望む人たちのために作られたものだった。

日本こそ安楽死を認めるべき国であると考えている

人は誰でも死ぬ。私たちも必ず死ぬ。

生は不確実性に満ちているのだが、死については例外はない。私たちは自分が死ぬことについては「本当に死ぬのかどうか」を推測する必要はない。死ぬのは100%確実だ。

だから、「どのように死ぬか?」が私たちの考えるべきことである。これは誰が正しいとか間違っているというものはない。「人生の最期に直面した時、自分はどうしたいのか?」ということなのだ。

若いうちは関係ないというわけでもない。若くても白血病や癌にかかることもあるし、重篤な事故に遭って寝たきりになることもある。今日まで平穏だったから明日も平穏に生きられるとは限らない。

また、死は自分だけに訪れるものではない。

自分の前に、自分の父や母の末期を私たちは目撃することになるはずだ。

自分の両親が回復の見込みがない病気で死の淵に落ちることもある。あるいは病気の末期で弱り切って心身の苦痛しかない最後になることもある。あるいは、意識不明になって回復の見込みがなくなることもある。

その時、父や母がどんなに苦しんでいても医療の力で最後の最後まで生かして欲しいと願うだろうか。それとも、安楽死を認め、最後くらいは安らかにして上げたいと思うだろうか。

もし、両親が末期の段階でどのように死ぬのかを意思表示しないまま、寝たきりの昏睡状態や認知症になった時、私たちはどのように考えればいいのだろうか。

自分の両親を胃瘻(いろう)で生かし続けるのが正しいことなのか、それとも自然に衰弱死させてあげるのが正しいことなのかに悩むことになるはずだ。

私は日本こそ安楽死を認めるべき国であると考えている。

日本人の気質として、多くの人がそれを望んでいると思うからだ。とは言っても、自分が植物人間になっても生きたい人はいる。彼らには生きる権利がある。

それと同時に、終末の段階で、自ら終わりを決断する権利もあって然るべきだ。

日本人は最期に静謐を求め、立つ鳥跡を濁さずの精神を持ち、誰にも迷惑をかけず、執着せず、与えられた生命の中で「吾唯足知(我、ただ足を知る)」を全うする民族ではなかったか。

そうであるならば、私自身もまたいたずらに生に執着せず、死にゆくときは自ら死の瞬間まで自分の人生をコントロールしたいと思う。

国が安楽死を認めるべきだが、認めないのであれば私は私のやり方がある。私は人生の最期も他人に何かを決めさせたくない。自分で決める。

あなたは、どうだろう?(written by 鈴木傾城)

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日本人は最期に静謐を求め、立つ鳥跡を濁さずの精神を持ち、誰にも迷惑をかけず、執着せず、与えられた生命の中で「吾唯足知(我、ただ足を知る)」を全うする民族ではなかったか。

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