人間の能力を構成する要素はいくつもあるのだが、時代によって「望まれている能力」は違っている。
たとえば石器時代は、誰よりも早く野を駆けて獲物を獲る能力に優れた人間が、最も求められる人間となる。たくさんの獲物を持ち帰る人間で共同体が潤うのだから当然だ。狩猟能力は重要だった。
農耕時代に入ったら、求められた能力は微妙に違っていったはずだ。狩猟能力よりも、長く地道に働ける体力を持った人間の方が農耕に向いている。
田植えを延々と続けられる体力、雑草を延々と抜くことができる体力、収穫する体力、脱穀する体力、重いものを運ぶ体力が求められる。
それに応えられた人間が「素晴らしい」と思われ、尊敬され、たくさんの異性を惹きつけたはずだ。
農耕社会からさらに人類の文化が発達し、村から町へ、町から市に拡大し、社会がどんどん複雑化していくと、今度は体力と共に複雑な社会を理解する知能を持った人間が徐々に重要になっていく。
コミュニケーション能力、計算能力、知的能力が必要になっていく。そこで、子供たちの知的レベルを引き上げるために学校が必要になり、能力を測るために成績を見て「優れているかどうか」を測るようになる。
つまり、体力が求められる時代が終わり、今度は知能が求められる時代に入った。(鈴木傾城)