
経済格差を生み出す社会の閉塞感は、個人のテロとなってポツリポツリと現れているのだが、最終的には貧困層による「自暴自棄の襲撃」や「テロ」は日本でも珍しくなくなると私は考えている。ターゲットになるのは、富裕層や上級国民、あるいは弱者を嘲笑する文化人などだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
自由という言葉の爽やかなイメージはワナ
自由という言葉の持つイメージはとても爽やかだ。そして、競争で結果が決まるというのはとてもフェアだ。そのため、「自由競争」と言われたら、若い学生が爽やかにフェアに青春を賭けるような、そういうイメージを思い浮かべる人も多いはずだ。
そのイメージの中で、新自由主義とか言われ「政府などによる規制を最小化して、自由競争を重んじよう」とか言われると、それは素晴らしいことだという感想を持つ人が大半になる。
だが、そこにワナがある。
「規制をかけない」のと「自由競争を重んじる」の二点を、極限にまで突きつめるとどういうことになるのか。それは、爽やかでもフェアでもなく、極度に残虐で凄惨な光景を生み出す原因となっていく。
どういうことか?
たとえば、スポーツでは「大人vs幼児」のような、最初から勝負がわかりきっているような組み合わせを禁止する。どんなに力の強い3歳児がいたとしても、大人と戦ったらなす術もなく叩きのめされる。レフリーがいなければ殴り殺されるだろう。
「大人vs幼児」のような組み合わせをしないのは、惨劇を避けるためである。それを不服として、大人が「自由に勝負させろ」と叫んでいたら、どうかしていると思われるはずだ。自由は惨劇を引き起こすトリガーになる。
しかし、それはスポーツの世界だからどうかしていると思われるだけで、実社会ではそのあり得ない競争が普通におこなわれる世界なのだ。それを意識していない人が多いのは「自由」という言葉の持つ爽やかなイメージに騙されているからなのだ。
圧倒的「病み垢」女子
圧倒的な「闇」を体現するのが「やむやむさん」だった。オーバードーズを「人生そのもの」と語り、幻覚に心地よさを感じ、度重なる救急搬送にも「怖くない」と笑う。
落ちこぼれた人間には金すらも出したくない政府
「大人vs子供」はありえないが、零細企業と超巨大グローバル企業との競争はありえる。零細企業と超巨大グローバル企業が国籍を超えて無理やり競争するのが資本主義のルールである。
巨大な者が「もっと自由に競争させろ」というときは、「弱者を叩きつぶす自由をくれ」という意味でもある。
「どんどん競争させろ。競争のルールは必要最小限にしろ。弱い者がどうなったところで知ったことではない」
これが資本主義を拡大解釈した「弱肉強食の資本主義」の正体である。これまでどこの国の政府も自国の産業や企業を守るために、外国の超巨大グローバル企業には関税やビジネスの規制をかけていた。
だが、「規制をかけて外国企業を排除するのはフェアじゃない」「自由に競争させないのはフェアじゃない」ということで、国家が自国企業を保護するための縛りはどんどん撤廃させられていき、弱肉強食の資本主義が社会を覆い尽くすようになっていった。
それが「新自由主義」という、何だかとても爽やかでフェアに聞こえる言い方で進められていったのだ。「新しい自由な主義」……。なんと爽やかなイメージだろう。だが、それは強者による弱者大虐殺の手口なのだ。
日本も2000年年代に入ってから、この新自由主義が小泉政権下で組み入れられて「改革」という名で浸透していくようになった。「改革」というのは強者が邪魔者をすべて虐殺して、自分たちの都合の良いシステムを作るという意味でもある。
それが新自由主義であり改革の正体でもあった。
新自由主義と改革が叫ばれるようになって日本人が貧しくなっていったのは当然だ。自由な競争が正しいとされて、競争に敗れた企業は潰れていくのも当然という考え方が進められたら強者総取りになるに決まっている。
病み、闇。: ゾンビになる若者 ジョーカーになる若者
リストカット、オーバードーズ、自殺、自暴自棄、闇バイト、社会に対する復讐感情、荒れていく社会の裏側。日本社会の裏側は、どうなってしまったのか?
努力しても這い上がれない社会がきている
企業も国民も勝手に「自由」に競争しろ。負けたら自己責任……。それが新自由主義的のやっていることであった。これに反対する者は「自由に反対する者」として断罪されていった。
誰もが「自由を規制するのは良くない」と思うので、「自由」の名のもとにおこなれたグローバル企業の地場産業潰しは大っぴらにおこなわれ、とうとう経済格差が極度に開いてとまらなくなった。
弱者が増えてもどうでもいい……。
落ちこぼれた人間は自己責任なので放置する……。
その結果、高齢者も、障害者も、シングルマザーもみんな経済的に追い込まれていくようになった。政府は何をやっているのか。まるで弱者をさらに蹴落とすように、税金ばかりふんだくっている。そして日本国民は今、幼児が大人になぶり殺しされるような目に遭遇している。
大半の日本人は「規制をかけない」のと「自由競争を重んじる」の二点は、実は残酷な結末を生み出すということに日本人は気づかなかった。気づいていたら反対していたが、「自由」の爽やかでフェアなイメージで騙されてしまった。
それは爽やかでもフェアでもなく、単に弱肉強食だったのだ。
規制撤廃と自由競争を取り入れればそうなることは、はじめから知っている人は知っていた。なぜなら、資本主義の総本山だったアメリカがそうなったからだ。
アメリカではレーガン政権がこの市場原理主義を推し進めた結果、1%の富裕層と99%の低賃金層という超格差社会を生み出して、今でもその格差の分離は広がっている。今もとまっていない。日本がアメリカの後を追っているのであれば、日本もそうなって当然だ。
すでに平均年収186万円の低所得層は日本で1200万人ものボリュームとなっているのだが、彼らは満足な給料がもらえない非正規雇用を転々とするしかなく、どんなにも働いても豊かになれない状況が常態化してしまう。
貧困が固定化するのは、次の5つの要因がある。
1. 生活に追われ、疲れて何も考えられなくなる。
2. 低賃金で自分も子供も教育が受けられなくなる。
3. 貯金を含め、あらゆるものが不足してしまう。
4. 這い上がれない環境から自暴自棄になっていく。
5. 社会的影響力もなく、権利も保障されない。
いったん貧困に堕ちると、この5つの要因が同時並行で始まっていき、その中で押しつぶされてしまう。日本の底辺もこの5つの要因にがんじがらめにされて、這い上がるのが絶望的に難しい社会になっている。
邪悪な世界の落とし穴: 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナに落ちる
邪悪な世界が私たちにワナを仕掛ける。それは1つ2つのワナではない。いくつものワナが同時並行に多重に連なりながら続く。
暴力の行使は何も持たない人たちの唯一の武器
働く人たちの4割はもう非正規雇用者となっている。2000年から、この流れはずっと変わっていない。だから、格差はとめどなく開く。そして経済的な格差が固定化されると、富裕層と貧困層の超えられない一線ができる。
人々は分離し、この両者は次第に違う文化を生きることになる。
暮らす場所も、食べる物も、通う学校も、遊ぶ場所も、つき合う人も、すべて違っていく。そして、この両者は互いに相手に無関心になり、話す言葉すらも違っていくようになる。
多くの国で、富裕層が住むゲートタウンと貧困層が住むスラムがそれぞれ存在する。とすれば、いずれは日本もこれらの分離エリアが生まれてもおかしくない。「自由な競争」という爽やかな言葉によって、それは進んでいく。
これを是正するのが政府という存在なのだが、いまや政府は上級国民の御用聞きみたいな存在となってしまっているので、富裕層の都合良い政策を作る時だけ機能し、貧困層のためには機能しない。
それではトリクルダウンがあるのかというと、そんなものもない。トリクルダウンというのは「資産家や大企業を先に豊かにすると、富が国民全体にトリクルダウン(滴り落ちて)、経済が成長する」というものだ。
結果を言うと、資産家や大企業が先に豊かになって彼らが富をより独占するので、貧困層はより貧困化するというのが現実だった。
状況はますます絶望的になりつつある。
そうした閉塞感は、個人のテロとなってポツリポツリと現れているのだが、最終的には貧困層による「自暴自棄の襲撃」や「思想テロ」や「暴動」は日本でも珍しくなくなると私は考えている。暴力のターゲットになるのは、富裕層や上級国民、あるいは弱者を嘲笑する文化人などだ。
正当な生き方では勝ち目がないのであれば、自暴自棄の襲撃やテロなどの「暴力の行使」は、何も持たない人たちの唯一の武器になる。もはや暴動や革命で社会が転覆する以外に現状を是正する方法はないと貧困層が気づいたら、その方向に社会は動いていくのは当然の流れだ。
「自由は素晴らしい」とか、そんな仕掛けに騙されているようでは、弱肉強食の資本主義でやられっぱなしになる。







コメント
弱肉強食…. まさしく、その通りの世の中になってしまいました。
貧困層に属する人間が這い上がるのは、もし自分の目の前のタスクを義務的に淡々とこなすだけの毎日を送るなら、また、ときたまの息抜きに興じるだけの毎日を送るなら、死ぬまで階級移動はできないでしょう。
もし、少しでも上の階級に這いあがろうとするなら、(ある程度の運も必要ですが)やはり、自分自身に対する教育、しかも、一年や二年では到底終わらない、長年にわたる教育が求められると思います。
学校教育だけでなく、金融教育、職業教育….. 「教育」にはいろいろありますが、小学校・中学校・高等学校(場合によっては大学も)での授業は、就職した後も、起業した後も、やはりものを言います(単刀直入に言うと、カネ儲けのタネというか、手段になります)。金融教育だって、ベースとして世界史や地理の方法は必要ですし、場合によっては海外(特にアメリカ合衆国を主とする先進国)のメディアや文献やインターネットサイト(文字情報や動画)から直接情報を仕入れるには、ある程度の英語の理解力が求められます。また、日本は既に人口が減少し始め、高齢者の割合が増え、しかも天然資源に恵まれていないので、生産年齢に属する日本人は外国を相手にモノやサービスを売ったり買ったりすることでしか、生き延びる手段はありませんが、それにだって、英語だけでなく、また、扱うモノ・サービス自体を説明する能力だけでもなく、金額や数量を裁くための数学の知識や、大量のタスクをこなしていくための事務処理能力も求められるでしょう。また、長期間の戦いが求められるので、ある程度の体力や健康や節制も必要でしょう。
まあ、でも、一番大切なのは、以前、傾城様がブログで述べていましたが、「自分は貧困層に属する人間である」「正面から戦うだけでは、富裕層に叩きのめされるだけ」「だから、①正面から戦わず、ゲリラ戦に徹する、②勝てる場面だけ戦って勝ち逃げする、③持久戦を戦い抜く」ということを自覚することかと。
富裕層は資金や天然資源や高性能ステルス爆撃機や巡航ミサイルや高性能コンピュータや人工知能を潤沢に使いこなせるのに対し、貧困層は学校教育で得られる知識や、わずかな貯金や、オンボロのカラシニコフライフルどころか錆びたナイフくらいしか持っていません。
とはいえ、ひとたび、オイルショックやにクソショックやITバブル崩壊ショックやリーマンショックやコロナショックのような、世界がひっくり返るような大混乱が起きて、相場が大暴落して混乱していたり、相場が死んで見捨てられているときに、暗闇から密かにあらわれて、慌てふためいている富裕層の財産を安値で買い叩き、また暗闇に消えていく。。。。
そんな生き方が、求められているのではないかと。
失礼、上記コメントを投稿したものです。
最後から二つ目の段落の「クソショック」は、正しくは「ニクソンショック」です。
また、最後から三つ目の段落の「錆びたナイフ」の後ろに「格安SIMを指した中古スマホ」も記載しておくのを忘れていました。
たいへん失礼いたしました。
連投です。
私の好きな漫画(『ザ ファブル』第8巻)で、主人公が次のように述べるシーンがあります。私の好きなセリフです。
「あるもので工夫する」
「身近にあるもの、自然にあるものでたいがいの事はできる。知恵と工夫、ボスがしつこく言ってた教えや」
「先入観はよくない」
「自分にはそんな災難は起こらない。みんなどっかでそう思ってる気がする。たぶんなんでもそうやろ。『絶対』がない以上、確率を上げる方法を身につけるしかない」
「山で経験することは、正反対の街でも応用が効くということ。でも、街での経験は、山では殆ど通用しないことが多い」
極めて不利な状況に置かれていても、極めて貧弱な装備しか持っていなくても、日頃からの努力や工夫を怠らなければ、チャンスはある。私はそのように考えています。