◆資源大国であるアフリカが、殺戮の大地になってしまう理由

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スーダンは1924年に国土が分断されてイスラム教徒と非イスラム教徒が分けられた。

1970年代になると、イスラム教徒が主導権を取って国土を掌握し、1980年代にイスラム法(シャリーア)を導入したが、それに非イスラム教徒が反発し、内乱に突入した。

これがいわゆるダルフール紛争だった。1983年から2005年までの死者は200万人であり、それを指揮したとオマル・バシル大統領はジェノサイドで追訴された。

バシル大統領が掌握している軍と、アラブ人の民兵ジャンジャウィードが一緒になってダルフール地区を進撃、非アラブ人を老若男女問わず、片っ端から虐殺しているのである。

それは誰が見ても民族浄化であった。もちろんここでも略奪・レイプが発生している。

2011年7月9日、イスラム教徒とキリスト教徒が分かれ、キリスト教徒は南スーダンという新しい国を設立した。しかし、誰もそれで紛争が終わるとは思っていなかった。

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