2022年7月8日、安倍元首相の衝撃的な銃殺事件が起きた。
その原因に日本に長らく巣食っていたカルト教団があることが分かって、今までこうしたカルトには触れないようにしていた日本人も「カルト」や「宗教」の闇に向き合わざるを得なくなっている。
日本はかつて、オウム真理教というカルトが大量殺人事件を引き起こしたこともあった。しかし、日本では抜本的にカルトを排除するという動きにはまったくなっていない。
カルトが政界にまで浸透してしまっているのも原因があると考える人もいる。カルトだけでなく、あらゆる宗教が政治的野心を持って政界に近づいているわけで、これからも宗教と政治の癒着は長く裏の闇として続くことになるだろう。
私は100%無神論者であり、キリスト教もイスラム教も仏教もヒンドゥー教も何も信じていない。資本主義も共産主義も信じていない。
そのため、カルトどころか普通の宗教からも一線を引いて生きているのだが、今まで私と付き合ってきた女性たちはどうかと言うと、みんな「何か」を信じていたのだった。
しかし、私は彼女たちの信じている宗教については何かを言ったことはない。
タイで初めてパッポンに向かい、とても惹かれた女性がいた。彼女は仏教徒だった。タイの国民はその多くがほぼ仏教徒であり、街の祠《ほこら》で手を合わせるタイ女性の姿はとても美しい。そんな彼女たちの姿には、素直に感銘を受けた。
私がカンボジアで知り合ったベトナム女性はキリスト教徒だった。彼女はとても貧しい境遇の中にあったが、彼女が裸になると、その胸には小さなシルバーの十字架が暗い売春宿の中できらめいた。
「私は彼(キリスト)を信じているのよ」と彼女は柔和に笑って、十字架をぎゅっと握りしめた姿をまだ覚えている。私は彼女の真っ直ぐな性格が好きだった。
私がインドで知り合った売春女性たちの多くは、ヒンドゥー教のシヴァ神を信じていた。売春宿のドアの上に神棚があったり、壁にシヴァ神のポスターが飾ってあったりした。
みんな、最初にシヴァの写真に手を合わせてから売春ビジネスを行った。彼女たちは信じることによって安らぎを得ていた。赤ん坊の絵はクリシュナ神だ。彼女たちは、まるで我が子のように、クリシュナを見て顔をほころばせる。