将来、自分の能力は今よりも劣化しているという残酷な事実をしっかり認識せよ

将来、自分の能力は今よりも劣化しているという残酷な事実をしっかり認識せよ

何かをやりたいことがあるのであれば、それは急がなければならないということでもある。人間の人生は一度きりであり、二度目はあり得ない。これはどんなに金持ちだろうと権力者だろうと同じだ。生老病死は誰も避けられず、死は誰にも平等にやってくる。死の前に、自分が劣化するのも避けられない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

もはやタイムリミットがきているという現実

人間は、いつまでも成長し続けるわけではない。体力、気力、知的能力の成長がピークに達すると、あとは下り坂に落ちるのを生き続ける人生となる。これは誰もが避けられない運命だ。

人間の反射神経のピークは20代の前半であると言われる。それを過ぎると反射神経は鈍っていき、以後は回復することもなく衰えていく。

ということは、「自分のやりたいこと」が反射神経を必要とするものであれば、20代の前半に没頭できている状態でなければならないということになる。10代で取り組み、20代の前半に熟練しているというのが理想だ。

反射神経を必要とする職業と言えば、真っ先に浮かぶのはアスリートである。一般論で言えば、アスリートになるという目標は30代や40代で立てるには厳しすぎる。

ただ、反射神経のピークを越えたアスリートが経験や熟練の技で衰えをカバーしながら30代や40代まで生き残るというのはあり得る。全盛期から比べると能力は落ちているが、その世界で生き残る人も稀にいる。

しかし、反射神経のピークが20代の前半なのだから、それが重要な職業では、もはやタイムリミットがきているという現実からは逃れられない。

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人間の身体はピークに達する年齢が決まっている

「自分のやりたいこと」が体力を要するものであれば、20代の後半に没頭できている状態でなければならないということになる。なぜなら、体力や筋力のピークは20代の後半にやってきて、あとは衰えていくからである。

体力が必要な仕事はいくらでもある。肉体労働のほとんどは体力と筋力がモノを言う世界だ。直接的な肉体労働でなくても、夜討ち朝駆けの仕事、あるいは長距離ドライバーのような仕事も激しく体力を消耗する。

こうした仕事を平気でこなせるのは20代後半までだ。30代に入ると体力が落ちていく一方なので、体力任せの仕事は徐々に身体がキツくなる。

体力が衰えるということは、持久力も衰えるということになる。すぐに疲れて、しかも疲れが回復しなくなるのもこの頃だ。徹夜しても一晩寝れば回復するようなバイタリティもなくなってしまう。

仕事の中で体力・筋力・持久力を求められると、ついていけなくなる。

ということは、こうしたものが求められる職業に30代以後に飛び込むと、なかなか生き残れないということを意味する。かなりキツイことになる。

アスリートは反射神経の衰えと共に体力の衰えも重なるので、ほとんどが30代の半ばでリタイアを余儀なくされる。本人の意志や気力に関係なく、身体がピークアウトしてしまうから実績が出せなくなってしまうのだ。

もちろん、知的能力の方もいつまでも成長するわけではない。

ユニオン大学では300万人のデータを解析して、人間の暗記能力、認知機能、情報処理能力を体系的に調査したのだが、その結果としてやはり知的能力にもピークアウトの段階があることが分かったという。

情報処理スピードが最も早いのは18歳から19歳である。20代以後はどんどん理解するスピードが衰えていく。

情報処理スピード能力のピークと反射神経のピークがだいたい重なっているというのは、別に不思議なことではない。脳の処理速度が反射神経に関わるのだから、むしろ当然の結果であると言えるかもしれない。

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将来、すべてにおいて自分は今よりも劣化する

記憶力のピークは人によってまちまちなので範囲がとても広いのだが、だいたいは25歳から35歳である。

これは、「自分のやりたいこと」が記憶力を必要とするものであれば、25歳から35歳がキャリアの絶頂期であれば存分に能力が発揮できるということだ。

35歳から少しずつ記憶力の低下が避けられなくなっていき、以後は新しい記憶よりも今ある記憶を忘れないようにする方が精一杯になっていく。だから、記憶力を必要とする職業は25歳から35歳の間に就いていなければ厳しいということである。

40歳以後は、知的能力でも体力でも気力でも、ありとあらゆるものがピークアウトしていく。肉体が劣化するのだから、あらゆる能力も劣化して当然だ。

こうした一般的な考察を前にして「自分は何歳だが、まだピークアウトしていない」とか「他の人はそうかもしれないが自分は違う」と考える人もいる。重要なのはそちらではない。

人間の身体は必ず老化や退化が始まり、いくら細心の注意を払って自分の身体をメンテナンスしても、いつか必ずピークアウトが始まるということを重く見なければならない。

もっと分かりやすく言えば、「将来、すべてにおいて自分は今よりも劣化する」という残酷な事実を受け入れなければならないということだ。劣化というのは容姿や見た目だけにくるのではない。肉体的能力も知的能力も一緒にくるのだ。

そして、これは中年や高齢層だけの話をしているわけではない。30代も10代からみたら充分に劣化した人である。熟練した技を持っている人でも、やがて肉体的な劣化に負ける。

もちろん、何事にも例外はある。しかし、例外を見て自分が例外に当てはまると思うのは自信過剰だ。

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人生にはピークアウトとタイムアウトがある

ということは、何かをやりたいことがあるのであれば、それは急がなければならないということでもある。

人間の人生は一度きりであり、二度目はあり得ない。これはどんなに金持ちだろうと権力者だろうと同じだ。生老病死は誰も避けられず、死は誰にも平等にやってくる。死の前に、自分が劣化するのも避けられない。

時間は消費したら買い戻しはできないので、自分の人生をどのように時間を使うのかは早いうちに決めておくのが合理的な生き方だ。

人間の寿命は80歳であっても、人間の身体のピークアウトは早い段階でくるのだから、能力を存分に活かすのであれば早いうちにやっておかなければ不利になる。

20歳から「やりたいことをやる」のと、60歳で「やりたいことをやる」のとでは、気力的にも体力的にも、そして「世間の目」からもチャンスの度合いはまったく違う。

「何かを始めるには遅すぎるということはない」とはよく言われる。それは、40代になっても50代になっても60代になっても、「やりたいことはできるはず」という前向きな言葉としてよく使われる。

しかし、遅くスタートすればするほど、自らの能力が発揮できない可能性もあるし、それを別の何かでカバーできたとしても分が悪いという現実が付きまとう。

自分が何かやりたいと思っているのであれば、「いつかやろう」ではもう遅い。

年齢がいけばいくほどピークアウトが顕著になって時間切れになってしまうのだから、「いつかやろう」と悠長に言っている場合ではないのである。

やりたいことは、もうやっていなければならないのだ。

寿命が80歳を超えているとしても、今の体力や気力や能力のまま80歳まで生きていけるわけではないのだから、「もう残されている時間はほとんどない」と考えるべきだ。

人生にはピークアウトとタイムアウトがある。「いつかやろう」と言っている間に人生は終わる。将来、自分の能力は今よりも劣化しているという残酷な事実が分かっていれば、「いつかやろう」はないことに気付くはずだ。

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