自分の生きるべき場所ではないところで苦しみ続けるのは合理的ではない

自分の生きるべき場所ではないところで苦しみ続けるのは合理的ではない

生物学で重要な功績を残したチャールズ・ダーウィンは、当初は医者を目指していた。しかしダーウィンは医者の道に馴染めずに挫折した。ダーウィンは教師からも「一般的な知性レベルに達していない」とも言われていた。

しかし、ダーウィンこそが自然科学で最も重要な業績を残した人物であるというのは誰もが異論がないはずだ。

ダーウィンには医学という「場所」は合っていなかった。もし、ダーウィンが仕方なく医師になっていたら人類の歴史はまた違っていたはずだ。ダーウィンは合っていない道を捨てて、自らの道を歩んだ。そして、大きな偉業を残した。

人間社会は多種多様で、人間にはいろんな可能性がある。どこにでも行ける。どこにでも定住できる。そして、適性があるかどうかは別にして、どんな仕事に就くのかも基本的には自由に決めることができる。

人間社会はいろんな可能性を目指すことができる。だから逆に、自分の生きるべき世界を間違うこともある。「生きるべき世界」というのは、自分のいるべき場所、仕事、方向、生活などを包括したものを指す。

正しい場所にいて、正しい生活をして、正しい仕事に就いていて、正しい方向を目指していれば、とても生きやすく充実した人生を歩むことができる。しかし、人間は常にそうであるとは限らない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

そして、死んだ目をしている

間違った場所にいることもある。間違った生活をしていることもある。間違った仕事に就いていることもある。間違った方向を目指していることもある。

バスケットボールの伝説と言われているマイケル・ジョーダンは当初、野球選手だったのだが、そこではまったく芽が出なかった。合っていなかった。しかし、バスケットボールの選手に転向して、その運動能力は大きく開花していった。

マイケル・ジョーダンのような傑出した才能を持つ人物でさえも、フィールドを間違うと芽が出ないというのは興味深いことである。

マイケル・ジョーダンは自分の生きるべき「場所」を見つけられた。その人生を仔細に観察すると、「自らに適した場所に生きる」というのは、いかに大切なことなのかが分かる。才能はいるべき場所によって活かされるかどうか決まる。

ところが、自分の才能が活かせたら大きな存在感を持てる人が、惰性に流されて間違った場所に長くいることが多い。

その人が自分の才能を活かせないというのは、本人ばかりか、人類にとっても大きな損失である可能性がある。その才能を活かすことができれば、世の中を変えるような「何か」が生まれるかもしれないからだ。

わざわざ自分の「生きるべき世界」から外れた場所にいて、そこで苦労するのは生き方が間違っている。自分に合わない世界にいると、もがき、苦しみ、苦闘するだけの人生に終わる。

自分が何を得意とするのかを見極めれば、自分の生きるべき世界がどこなのかが分かる。その世界こそが自分の縄張りであり、その縄張りの中で生計を立てられれば、それが最もその人にとって素晴らしい人生である。

社会を見回すと、誰もがそうなっているわけではないことにすぐに気付く。

好きで仕事をしているわけではない人に数多く出会うからだ。カネのために、生活のために、家族のために、耐えながら自分に合わない仕事をしている。どう見てもその人に合っていない仕事であっても、そこに居続ける。

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自分の生きるべき世界を探す

もちろん、環境が整わない中で生きているということもある。たとえば、資金や教育や環境がないと、なかなか悪い環境から抜け出せない。「自分の得意を活かす」など夢のまた夢の世界で、彼らは与えられた仕事を感情もなくやるだけだ。

そんな彼らも、その内面を丁寧に追っていけば、他人よりも優れた何かを持っているはずなのだ。そして、自分が好きで仕方がない世界があるはずなのだ。

しかし、ほとんどの場合は間違った世界にいたとしても誰も何もしてくれない。誰もが自分の人生を生きるのに必死だからだ。つまり、よほどの偶然がなければ、自分を発掘してくれる人もいなければ才能を見出してくれる人もいない。

「自分の世界」で生きることができない人たちがこの世には膨大にいる。珍しくないばかりか、ほとんどがそうした人で占められている。

すべての国のすべての世代で、人々は同じ問題を抱えている。

みんな、最初は自分の生きるべき場所で生きることができない。自分がまったく関心のない不慣れな場所で、黙々と生きるしかない。

俳優のハリソン・フォードは大工だったし、ブルース・ウィリスは原子力発電所の警備員だった。そして、ジョニー・デップはボールペンのセールスマンだった。当たり前だが最初からスターだったわけではない。

しかし、不慣れで関心もなく低賃金で展望もない場所は、「自分の場所」ではないのだから、そこからは抜けることを考えなければならない。そこで生きるのは自分の武器を活かせない不完全燃焼の生き方だからだ。

その武器を思いきり振り回せる場所が、自分の「生きるべき世界」である。その環境は他人がどうかは関係ない。たとえば、サボテンは荒れた砂漠の平原が自分の縄張りだ。蓮(はす)は、泥まみれの沼が自分の縄張りだ。

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自分の才能が活かせる「場所」は?

それぞれの個体にはそれぞれの縄張りがある。まずは、そんな世界を見つけ、そこに潜り込まなければならない。

どんな生物でも、それぞれ自分の生きるべき場所を自覚し、その中で生きるのが最も効率的なのだ。また、自分の「いるべき場所」を常に意識して、その場所に身を置くのが「効率的な生き方」なのである。

自分の才能と生きるべき場所ががっちりと合えば、生きるのに効率が良い。何よりも、自分が心地良く感じる。まるで、パズルのピースがあるべき場所にぴったりとハマるような心地良さがある。

力を注がなければならないのは、一にも二にも、その才能を活かした場所に潜り込むことであると言える。

自分が関心を持つことができない世界で惰性で生きても、多くは徒労に終わってしまう。魚が陸に順応しようとして壮絶な努力をしても、その努力が徒労に終わるのと同じだ。自分の縄張りではないところでは努力が実らない。

そういった意味で、自分の才能が活かせる場所がどこなのかを考えるのは無駄ではない。今の場所が「自分の居るべき場所ではない」と思うのであれば、そこに注力するよりも離れる努力をした方がいいのだ。

逆に、そこが自分の場所だと思うのであれば、周囲の反対があっても、思いきりそこに注力した方がいい。「自分の生きるべき世界」を意識する生き方というのは、どん底から這い上がるための生き方だ。

自分の世界はどこなのか。そして、自分がいなければならない場所にいかにして潜り込むのか。今、自分は「どこ」にいるかどうかを検証するのは重要だ。

自分の生きるべき世界ではない場所にいて苦しみ続けるのは良い選択肢ではない。自分の生きるべき世界を探す必要がある。それも、早急にだ。人生は短いので先延ばしすればするほど文字通り先がなくなる。(written by 鈴木傾城)

チャールズ・ダーウィン。生物学で重要な功績を残したチャールズ・ダーウィンは、当初は医者を目指していた。しかしダーウィンは医者の道に馴染めずに挫折した。ダーウィンは教師からも「一般的な知性レベルに達していない」とも言われていた。

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