大阪のあいりん地区は、かつては「釜ヶ崎」と呼ばれた場所で、東京の山谷と共に日本を代表する「ドヤ街」である。ドヤ街とは「宿(やど)」を逆さに言った言葉である。
裏社会の人間は、自分たちが「裏側」であるという意識があるので、表側の人間が「やど」と言えば裏側の彼らは「どや」、「おんな」を「なおん」、「がくせい」を「せいがく」と逆に言って隠語にしてしまうのが好きだ。
そんなわけで、あいりん地区は宿街ではなくドヤ街と言われるようになって今に至っている。
私は大阪にしばしば足を向けるようになってから、たまたまあるとき、大阪環状線が事故で動かなくなったので、新今里駅で降りたのだが、そこがまさに「あいりん地区」だった。(大阪。あいりん地区と、飛田新地に寄ったので歩いてみた)
あいりん地区は今も簡易宿・寄場と呼ばれる宿が密集しており、多くの労働者を吸収している。
ただ、今のあいりん地区はもう活気を失っており、暴動が多発した荒くれ者が集まって危険な空気を醸し出しているような場所ではない。
労働者は高齢化し、高齢化して生活が困っているところを宿が彼らの年金や生活保護費を搾取しながら成り立つ「福祉の街」となってしまったのだ。
しかし、何にせよ、ドヤ街はドヤ街だ。この中でもまだ「タコ部屋」と呼ばれるたった一畳の狭い部屋も残っているというので、物好きかもしれないが、わざわざ泊まってみた。