兵庫県尼崎にある「かんなみ新地」は、東京町田にあった「たんぼ」とよく似ているので、そこを歩いていると建物の古さも相まって、妙に郷愁を感じてしまう場所だ。
かんなみ新地は戦後のどさくさの中で自然発生的にできた「ちょんの間」が、そのまま廃れずに定着したのだと言われている。戦後のどさくさに生まれたというのは、町田「たんぼ」とまったく同じである。
戦後の混乱期、大空襲と敗戦で焼土と化した日本列島では、おにぎり1つで身体を売り「こんな女に誰がした」と世を嘆く女たちで溢れていた。(こんな女に誰がした。敗戦した日本、売春して生きた女たち)
「ちょんの間」はこうした女たちを吸収して各地の夜の闇にひっそりと定着し、世の中が高度成長期を迎えて働く女性がいなくなることで静かに消えていったという歴史がある。
かつては数百、数千の「ちょんの間」が日本の各地にあったはずだが、今では数えるほどしか残っていない。それが飛田であったり、松島であったり、信太山であったりするのだ。
「かんなみ新地」も、細々と生き残った「ちょんの間」のひとつとしてアンダーグラウンドで名を知られている。