ミャンマーは1990年の選挙でアウンサンスーチーが率いる国民民主連盟(NLD)が勝利したが、軍がそれを抑えこんで政権移譲を拒否、それから20年に渡ってアウンサンスーチーを自宅軟禁に追いやってきた。
選挙の結果を拒否して民主化への道を閉ざした結果、ミャンマーは東南アジアではもっとも未発展で貧しい国へと転がり落ちてしまった。
こうした軍の鎖国政策によって時代に遅れていくことを危惧したミャンマーの人々の間からは強い民主化の欲求が生まれており、欧米はそれを側面支援した。
1990年代から2000年代にかけての欧米グローバリストたちのミャンマー軍政に対する怒りと攻撃は、凄まじいものがあった。
欧米の指導者は、支配できない地域の政治勢力は国際的に大弾圧をする習性がある。特にグローバル化に参加しない国々に対する怒りは半端なものではない。
グローバル化とは「欧米」の多国籍企業の支配を円滑的にするものであり、それを拒絶するというのは、欧米に儲けさせないということだ。
それは、地球の支配者である欧米エスタブリッシュメントにとっては許しがたいことであった。