人間が求める快楽の中で最も重く深いものは「性の快楽」である。セックスは、それを手に入れるために人生を投げ捨てる人すらもいるほど強烈なものだ。
だから、人間社会はセックスの莫大な需要に対して、歓楽街や売春地帯や売春ビジネスで供給している。それは表社会の道徳と公然と反旗を翻す社会悪なのだが、消えることはない。
この社会悪の中に浸ると、金の続く限り人は無尽の快楽を手に入れることができる。実際、真夜中を駆るハイエナと化して、恒常的に真夜中の世界に浸る男も存在する。
売春地帯ではいとも簡単にセックスが手に入る。毎日毎日、朝から晩まで快楽を追い求めても誰も止めない。だから、このシステムで快楽が死ぬほど手に入れられると分かった男の少なからずは、極限までこのシステムに依存するようになる。
ところが、快楽をどんなに反復し反復し反復し続けても、それで幸せになれないことに気付くようになる。いくらそれが快楽でも、それを常習すると毒が回るのである。
甘さを常習すると生活習慣病を招くのと同様に、売春地帯で性の快楽を常習していると、やがて心が荒廃していくような殺伐とした気持ちだけが積み上がる。
どういうわけか、快楽だけを追い求めても幸せになれないのである。快楽に浸りきっても次第に荒廃していく中で、やがて私が気付いたのは、とても単純なことだった。