どうあがいても人生は一度しかない。成功する人生よりも面白い人生を生きろ

どうあがいても人生は一度しかない。成功する人生よりも面白い人生を生きろ

人間が生きている時間というのは限りなく長いように見えるが、計算してみると、それほど長いものではない。正味1万日もない人生は刻々と消え去っていく。もしこの期間の間、自分がまったく興味や関心のない仕事に就いているとしたら、それだけで時間の無駄を重ねることになる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

今の人生でいいのだろうかと考える人も増えている

今まで何となく流されて生きていた人は多い。現代社会はあまりにも忙しすぎるし、自分の時間を奪うものはたくさんある。自分の人生を生きないといけないと思いつつ、ほとんどの人は流されてしまう。

だが、人生は長いようで、それほど長いというわけではない。「光陰矢の如し」も「少年老いやすく学なりがたし」も真実だ。うかうかしていると人はあっという間に歳を取り、「あのとき、ああしておけばよかった」と後悔することになる。

ところで、人間の時間を浪費するのは「何もしないで怠惰でごろごろする無為な時間」だと考える人は多いが、本当はそうではない。実際に人間の時間を奪っているのは「怠惰な時間」ではないのだ。

誰もがわかっていて目をつぶっていること。それは、「労働」が自分の人生の時間の大半を奪っているという事実だ。特に日本はその傾向が強い。

なぜか。日本は会社に忠誠を尽くしているのかどうかを残業時間で測って、残業時間が長い社員を「忠実な社員」と見て引き立てていく傾向が今もあるからだ。出世したければ滅私奉公しなければならない。それが長時間残業の常態化を生み出している。

少しでも出世したいと考える人間は進んで社畜になる。そして「残業は当たり前、サービス残業も厭わない」という人間も出てくるようになる。社畜が増えると残業代を払わなくても働くので会社も助かる。

この文化が定着しているので、日本の企業は長時間残業をさせて残業代も払わないような企業が続出した。それが、日本企業の労働生産性を低下させているし、日本企業のイメージも低下させている。

そして、そこに生きる日本人も、人生において自分の時間をほとんど持てないまま消耗していく。

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日本企業の労働生産性はずっと最下位のまま

能力ではなく、滅私奉公の度合いで社員を推し測るのが日本企業の特徴だった。だから日本企業の労働生産性は2017年の調査でもOECD加盟国36ヵ国中20位、主要先進7ヵ国の中では、1970年以降ずっと最下位となっている。

日本で長時間残業が減らないのは、社畜を作り出すと同時にコスト削減も実現するためである。それは意図的にやっている。

企業はすでに国境を越えて活動しており、安い賃金でも働く労働者が世界中にいることを知っている。途上国に行けば、安い給料でも雇いきれないほどの人たちが職を求めて殺到する。安い働き手はいくらでもいる。

本来であれば、日本人の労働者に対しては賃金を「もっと下げる」か「徹底的にリストラするか」が合理的経営となる。しかし、日本社会では、下手に賃金を下げたりリストラしたりすると社会的に批判を浴びる。

そのため、日本企業は「残業代なしで長時間残業」させて帳尻を合わせていた。それが「日本人を雇う秘訣」だった。残業代なしの長時間労働は、見えない賃金引き下げだったのだ。

昨今の物価高で、政府は経営者に従業員の賃金を上げるように要請している。経営者はそれに応えているように見えるが、実際には生きていけるギリギリでしか賃金を上げない。

もっと賃金を上げろ、という話になると、リストラが容易になるように非正規雇用をさらに増やすか、「安く働く外国人労働者」を雇い入れて、日本人よりも外国人に働いてもらうような動きをより加速させていく。

実際、今の日本は途上国の若者を留学生・技能実習生・単純労働者・インバウンドという形で連れてきて、低賃金・悪条件で働かせている。

このままでは多くの日本人が、日雇い労働も同然の待遇と賃金になっていく。さすがに多くの日本人は今の企業のやり方に疑問を持ち、「今のままでいいのか?」と立ち止まって考えるようになっている。

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正味1万日もない人生は、無駄にすると刻々と消える

人間はどうあがいても一度しか生きることができない。しかも寿命はだいたい決まっている。人生が約80年だとすると、人間が生きることができる日数は、実質的に、2万9200日しかない。

しかも、これは80歳まで生きると仮定したときの話であり、ゼロ歳からの計算である。この文章を読んでいる人はすでに成人である可能性が高いので、実際には2万日も残っていない人の方が多いはずだ。

ここからさらに寝ている時間や、通勤時間や、ヒマつぶしする時間をあれこれ差し引くと、だいたい正味1万日ほどしかないのではないか。

人間が生きている時間というのは限りなく長いように見えるが、計算してみると、それほど長いものではないというのがわかってくる。正味1万日もない人生は、刻々と消え去っていく。

もし、この期間の間、自分がまったく興味や関心のない仕事に就いているとしたら、それだけで膨大な時間の無駄を重ねることになる。

10年も20年も関心も興味も生き甲斐も未来もない仕事に就いていると考えて欲しい。仮に20年もそんな仕事に就いていたら、7300日が無駄だったということになる。1万日から7300日が無駄になったら、残りは2700日しかない。

長い人生の大部分が無駄になる。

基本的に自分が関心も興味も持てないような仕事にいつまでも就いているというのは、「人生史上、最悪の間違い」であると言うことができる。どの仕事に関心が持てるのかというのは、他人が決める問題ではない。自分が決める問題である。

自分に合っていないし、興味もないし、ストレスしか感じないような職に就いているのであれば、それがどんなに給料が良くても、世間体が良くても、それは最終的に自分の仕事ではない。

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 成功する人生よりも、面白い人生を目指す

非正規雇用の常態化、そして外国人労働者の大量流入。こうした動きの中で、日本人の働き方が不安定化している。

しかし、働いている人の多くは自分の仕事に満足しておらず、最初から「生活の糧」のためにやっているのではないか。したくもない仕事を、ただ「生活しないといけないから」という理由だけでやっているように思える。

もちろん、今の仕事にやり甲斐と満足があって、これこそが自分の生きる道だと考える人もたくさんいるだろう。自分が満足しているのであれば、何の問題もない。その仕事を続けるべきだ。

だが、それに満足していないのであれば、流されて生きていないで辞めることを考えた方がいいのではないだろうか。

それが自分の人生に実りを与えるものではないとわかっていながら続けるのは、人生を賭けて無駄な投資を続けているようなものだ。無駄な投資はいくらそこにカネを注ぎ込んでも、まったくリターンを生み出さない。かかわればかかわるほど損失が膨らみ、最終的には人生を破壊する。

自分にとって何が重要か、何が重要でないかは、他人にはまったくわからない。それは自分しか判断ができないものだ。他人にとっては有意義なはずだと思われている職業であっても自分にとって無駄だと思えばそれは無駄なのだ。

自分が自分の人生の何に投資するかは、自分がもっとも夢中になれるものであるべきで、そこに他人の意見や見栄や外聞を持ち込むべきではない。これができるかどうかで、自分が生まれてきたことに価値があるかどうかが決まる。

自分のしたいことに邁進し、その中で生きていけるのであれば、それこそが「充実した人生」でもある。

わかりやすく言うと、成功する人生よりも、面白い人生を目指したほうがいい。

面白い人生を目指していないのであれば、これまでの「流されて生きていた人生」を振り返って軌道修正をしていけばどうだろうか? 熟考する中で「本当にやりたいことは他にある」と思うのであれば、本当にやりたいことを選んだほうがいい。

実際に人間の時間を奪っているのは怠惰な時間ではない。やりたくもない仕事なのだ。それを、よく考えて生きるべきだ。

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