そのうち、日本人の半分は日本語が読めないという世界に突入するのではないか?

そのうち、日本人の半分は日本語が読めないという世界に突入するのではないか?

若者になればなるほど、大部分が長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。長文は避けられる。今は「日本人の3分の1は日本語が読めない」のだが、そのうち日本人の半分は日本語が読めない世界に突入するのではないか?(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実

昔から文章を読まない人は本当に読まない。私の知り合いの90%は本を読む習慣がないし、長文を読むのを嫌がる。長文は読めるが読みたくないのかと思ったら、そうではなくて「長文が読めない」人も相当数混じっているようだ。

塾講師や大学講師の経験則として「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」という人もいる。

さすがにそれはないだろうと思っていたのだが、最近は作家の橘玲《たちばな・あきら》氏が『無理ゲー社会』の中で、「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実を紹介して、私も大いに驚いたのだった。

「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実は別に橘玲氏が推測で言っているのではなく、経済協力開発機構の国際成人力調査の調査を紹介しているものである。

日経ビジネスもこれを取り上げていて、『日本人の3分の1は日本語が読めない!?  量産されるAI未満人材』の中で、以下のように綴っている。(日経ビジネス:日本人の3分の1は日本語が読めない!?

日本人の現役世代の27.7%は「日本語読解力の習熟度がレベル2以下」で、例えば「図書館で目録を指示通りに検索し、指定された書名の著者を検索できない可能性」が高い。

高齢者の認知度が下がって日本語が読めないとか、小学校の勉強嫌いの子供が日本語をうまく読めないというのではない。「現役世代」が文章を読めないのだ。

ブラックアジアでは有料会員を募集しています。よりディープな世界へお越し下さい。

長文はもはや「化石」のような存在になってしまった

今の時代、文学系の書籍は数千部売れたら良いところで、1万部でそこそこヒット、10万部は大ヒット、100万部も売れたら大流行作家である。

しかし、冷静に考えてみて欲しいのだが、日本の人口は1億2000万人である。その中の100万部など全体から見たら「たかが知れている」数字ではある。テレビの視聴率で言えば1%でしかない。1%の視聴率なら打ち切りレベルだ。

出版社は「文字」で稼いでいない。出版社は「マンガ=映像」で稼いでいる。文字を読む人は少ないというのはデータとして出ているので、もともと「文字」に注力するのは不利だった。

その傾向がインターネットとスマートフォンの時代になって拍車がかかっている。

スマートフォンはとても小さなディスプレイである。これが主流なので、小説を読むにしても、「文字びっしり」の小説は敬遠される。そのため、まるでLINEの会話をそのまま写したのではないかと思うようなライトな小説が好まれる。

ニュースサイトでも本文を読む人よりも、見出しだけで判断する人の方が多い。さらに、ネットには文字が満ち溢れているように見えるのだが、すでにインターネットのメインストリームも文字ではなく動画やマンガに移っている。

インターネットは「文字が中心だった世界」の頃はマニアのもので、画像・動画が主流になってからやっと大衆《マス》のものになったと言える。

長文はもはや「化石」のような存在になってしまっている。

当然だが、このままでは「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」とか「日本人の3分の1は日本語が読めない」という世界は、もっと悪化していく。そのうち、日本人の半分は日本語が読めないという世界に突入するのではないか?

読解力がなければ仕事で苦労するだろう。理解力がなければ能力も向上しないだろう。仕事では不利な立場に置かれることになり、やがてそれは収入にも反映されていくのだろう。しかし、日本語が読めない人たちが減ることはない。

インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、『ブラックアジア カンボジア編』はこちらから

この時代に相変わらず長文を書く人は一種の伝統工芸の職人

本を読む人口は一定数いる。文章をじっくり読む人が好きな層は、どんなに動画時代に入っても消えることはない。

私自身は子供の頃から典型的な「文字人間」で、マンガを読むのが苦手だし、テレビも見ないし、映画も見るときは何か義務感のようなものを感じて「娯楽として楽しむ」という姿勢になれない。

やはり文字が読みたいのである。それも、きちんとした文章が読みたい。

しかし、私のように「文字が書き連ねられた本を読むのが好きだ」というのは、狭い世界の「変わった趣味」になっており、決して世の中のメインストリームではない。テレビやYouTubeのような動画は世間に広く受け入れられるが長文は避けられる。

若者になればなるほど、大部分は長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。

長文は明確に避けられる。そして、長文が避けられ続けることによって、「長文が読めない」人が普通になっていき、長文が読める人の方がむしろ珍しくなっていく。

長文が読めないのだから、当然のことながら長文を書くこともできない。長文で書かれた大事な資料も長文で理解できない人が半分以上になるので、マンガや動画に置き換えられて要点が説明される方向に変わっていく。

つまり、長文の読解力が必要な場面になっても、長文が読まれるようになるのではなく、動画で説明される時代になるということだ。

そう考えると、この時代に相変わらず長文を書く人は一種の伝統工芸の職人で、それを読むことができるのは特殊技能を持った人という扱いになっていくのではないかとも思っている。

今後、「超」高度情報化社会に入るのに長文がどんどん避けられるのだから、私から見ると何か割り切れないものもある。しかし、超高度情報化社会の主役は動画になるというのは避けられない動きであり、時代が文字に戻ることはないだろう。

『本の読み方 スロー・リーディングの実践(平野 啓一郎)』

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

ライフスタイルカテゴリの最新記事