◆カラシニコフ死す。だが、AK-47は永遠に紛争地帯で生き残る

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1975年から1979年までのカンボジア・ポルポト政権で、ポルポト派の軍が手に抱えていた自動小銃はAK-47だった。「1947年式カラシニコフ自動小銃」というのが、その正式名だ。

名前の通り、この銃は旧ソ連の銃器設計者だったミハイル・カラシニコフが1947年に設計した銃で、カンボジアの共産革命はこの銃を持って成し遂げられた。

1960年代にベトナムに介入し、1975年に敗退して出て行くアメリカ軍をさんざん苦しめたのもAK-47だった。ベトナムの独立は、この銃を持って成し遂げられた。

ソマリア内戦、コンゴの内戦、ダルフール紛争、ローデシア紛争、中央アフリカの内戦……。アフリカのそれぞれの地区で起きている激しい紛争の主役になっているのも、言うまでもなくAK-47だ。

コロンビアの共産ゲリラも、レバノンのヒズボラも、アフリカのモザンビークも、それぞれの国旗、組織旗にはAK-47が描かれている。

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