◆広島(2)原爆ドーム。8月6日の地獄は過去なのか?

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広島は今は日本を代表する観光地だ。欧米人やアジア各国から多くの観光客が広島にやって来るが、人々が真っ先にたどり着くのが「原爆ドーム」である。

1945年8月6日に起きたことを人々はそこで静かに思う。(広島(2)原爆ドーム。8月6日の地獄は過去なのか?

広島は復興してごく普通の街になってしまい、今は原爆ドームだけが当時の名残りを残す唯一の建物であると言ってもいい。

原爆ドームは「広島県産業奨励館」だったものだが、原爆が落ちたとき、この建物の中には内務省の職員が30名ほどいたと言われている。この30名は原子爆弾が炸裂した後、建物が爆風と爆熱によって吹き飛ぶ中で即死してしまった。

この建物のまわりは見渡す限りの瓦礫の山となって、このドームの鉄筋が剥き出しになった建物は非常によく目立った。

やがて人々はこの建物をいつしか原爆ドームと呼ぶようになっていき、平和記念公園が整備される中で、いつしかこの建物が原爆の象徴となっていったのだった。

1996年、この建物は世界遺産に登録されている。世界遺産への審議の中で、原爆を投下したアメリカと日本に国土が蹂躙された中国が、それぞれ世界遺産への登録を反対していたが、ユネスコは世界遺産として認定したという経緯があった。

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