1945年の原爆投下によって広島は壊滅的な打撃を受けた。
一瞬にしてすべてを焼き尽くされて自らも被曝してしまった人たちの群れと、何もかも失ってしまった人たち、さらに戦争から戻ってきた兵隊や引揚者が、広島の広大な焼け野原に取り残されていた。
広島はもはや人間の住む場所ではなくなったとして出て行く人たちも多かったが、一方で広島で何とかするしかない取り残された人たちも多かった。
終戦直後、「広島は何十年も草木も生えない不毛の土地になった」と言われていた。しかし1946年の春、市内のあちこちで雑草が伸び始めて人々は広島が不毛の地ではないことを知ったという。
どこにも行くあてのない彼らは、原爆ドームの北側、中区基町にバラック小屋を建てて住み着くようになっていった。終戦から2年も経つと、その数は膨大に膨れ上がり、やがて川に沿ってスラムが形成されていった。
そこは原爆が生み出した大量の被災者が集まったスラムだったので、いつしかそれは「原爆スラム」と呼ばれるようになった。