私たちは「化け物」なのだが、それを隠して人間として振るまっている

私たちは「化け物」なのだが、それを隠して人間として振るまっている

私たちが今住んでいる世界は「異世界」である。そして、私たちは異世界で生きるために「変化=へんげ(メタモルフォーゼ)」している。オカルトの話をしているのではない。現実の話だ。

あなたも、もちろん「メタモルフォーゼ」している。そして、私たちが見ている他人は「現実の人間」ではなく、「メタモルフォーゼした姿」だ。

分かりやすく言うと、私たちは誰も他人に自分の真の姿を見せずに生きており、逆に私たちは他人の真の姿を知らないまま暮らしている。

もしかして気がついていないかもしれない。しかし、無意識の中で、私たちは「自分の本性」を絶対に他人に見せまいと決意している。

あなたも「自分の本性」の裏を他人にのぞかれないように必死で隠して耐えている。のぞかれないように「メタモルフォーゼ」しているのだ。

まわりにいる人たちは全員、そうやって生活している。誰も相手のメタモルフォーゼ前の姿を知らない。だから、この社会は「異世界」なのである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

正体を知られたので去らなければならない

あなたは、「鶴の恩返し」の物語を覚えているだろうか。どこか切なさを感じさせるあの物語を……。

ある老人がワナにかかった鶴を助けてあげた。その夜、老夫婦の元にひとりの美しいはかなげな娘が「道に迷ったので一晩泊めて欲しい」とやってきた。

身よりのない娘で彼女を泊めて上げるが、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。身よりがないのなら、いっそのことここで暮らせばいいということになった。

その娘が老夫婦のために布を織るのだが「決して、のぞかないで下さい」と言って部屋に閉じこもり、とても美しい布を作ってくれた。

しかし、やつれながら布を織る娘を心配になった老夫婦は、「のぞかないで下さい」と言われた約束を破って、そっと部屋をのぞいてしまう。

すると、鶴が自分の羽を糸の間に織り込んで布を作っていたのだった。あのワナにかかって助けて上げた鶴が、その娘の「本当の姿」だった。

老夫婦が驚いていると、「正体を知られたので去らなければならない」と娘は言って、消えてしまう……。

誰もが知っている物語だ。

この物語はなぜ普遍性を持っていたのか。あるいは、この物語によく似た物語はたくさんあるがそれはなぜなのか。

「見ないで下さいと約束させて、最後に真の正体が知られたあとに去っていく」という物語は、なぜ人々の心を奪うのか。なぜなら、それは「鶴は自分だ」と思うからだ。

ここにメタモルフォーゼの本質がある。その物語を読む「自分自身が鶴」だと人々は無意識に感じるのである。だから、物語の裏側にある暗喩に琴線を揺さぶられる。

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私たちは仕方がなくメタモルフォーゼしている?

日本では「鶴の恩返し」が普遍的な物語として語り継がれているが、タイでは『ナンナーク』が同じポジションにある。(ナンナーク。死んだ後から始まる愛。タイの美しいオカルト

ナンナークはもう古い映画になったが、とても素晴らしい情感にあふれる映画である。観ていない人は是非観て欲しい。

ナークも戦争から戻ってきた夫に甲斐甲斐しく尽くす。

しかし、あるときナークは高床式の家から物をうっかり下に落とし、腕を数メートルも伸ばして、それを拾った。その場面を夫に見られ、自分の正体が「幽霊」だと知られる。

ナークは「黄泉の世界に行きたくない、ずっと愛する夫といたい」とこの世に執着するが、最後には愛した夫を残して去っていく。

ナークも、そして鶴の娘も、自分の本性を知られないように、人間に変化=へんげ(メタモルフォーゼ)して生きていたというのは分かるはずだ。メタモルフォーゼの裏側は「人間の世界では受け入れられない姿」だった。

逆に言えば、自分の本性はそのまま出していると受け入れられないから、メタモルフォーゼして「人間を演じる」しかなかったということになる。

受け入れてもらうために、人間ではない存在が人間を演じて生きていたのである。

そこに、これらの物語の普遍性がある。

人間は誰でも、自分の本性を「見られたくない」から隠している。あるいは社会で自分を受け入れてもらうために、不本意ながら「自分でないもの」を演じて生きている。

私たちにとって、きちんと服を着ることや、時間を守ることや、言葉遣いに気をつけることは、そうしないと社会から受け入れられないので「仕方がなくやっている」ことが多い。

素敵だと感じる異性に欲望のままに飛びかからないのは、単に「我慢しているだけ」なのかもしれない。だらしのない服で、時間にルーズで、言葉遣いも乱暴で、性的にもルーズなのが、本当の私たちの姿かもしれない。

しかし、そんな姿はとても人様には見せられな。見せたら社会的に終わりだ。そこで、私たちは仕方がなくメタモルフォーゼして生きることにしている。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

自分の本性は他人にとって「化け物」である可能性

実は、すべての人間はそうなのだ。誰もが本性を隠して生きている。全員が変身して「人間を演じている」ので、私たちの生きている世界は異世界なのである。

さらに言えば、私たちのメタモルフォーゼはひとつではない。

会社に行けば「会社員」にメタモルフォーゼする。友人といるときは「友人」にふわさしいメタモルフォーゼをする。家に帰れば家族の一員にメタモルフォーゼする。

会社用の服と、家庭用の服が違っているのは誰でも知っている。私たちが家にいるときはずっと下着姿でいるとしても、会社に行くときはきちんと服を着替える。

変えているのは服だけではないのだ。会社員として口調や性格まで変化(へんげ)させている。家に帰れば、また違う存在に变化(メタモルフォーゼ)して、口調や性格まで変えてしまう。

私たちは本性(真の姿)を見せない。鶴やナンナークのように本性を見られたとき、「まさか、あなたがそんな人間だったとは知らなかった」と言われるのを、私たちは最初から知っているから、絶対に見せない。

本性を知られれば、その姿は軽蔑されて相手にされなくなるなる。本性を見られたら、もう人生が終わる。少なくとも、私たちはそのように心の奥底で感じている。

要するに、自分の本性は他人にとって「化け物」である可能性すらある。私たちは「ナーク」であり「鶴」なのである。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

メタモルフォーゼは、社会で生きるための絶対条件

夜の世界のみならず、女性は化粧をして社会に受け入れられるように変化(へんげ)していく。会社のときの化粧と、恋人といるときの化粧は違う。時と場合によって自分を作り替えるのだ。

他人はもちろんその「素顔」など知らないし、あなたの素顔を見せろとは言わない。

「決して、のぞかないで下さい」とあなたは言ったことはないかもしれないが、「決してのぞいてはいけない」と誰もがそれを知っている。

本性というのは醜悪なものであり、それは「化け物」だからだ。清廉潔白で正直で神や仏のようであれば誰もメタモルフォーゼしない。化け物だから人間にメタモルフォーゼしている。

メタモルフォーゼして、いかにも自分は人間だという風に装っている。メタモルフォーゼするというのは、社会で生きるための絶対条件なのである。

では、仮にメタモルフォーゼすることに疲れたら、いったいどうすればいいのか。そうなのだ。そこから立ち去るしかない。それが「鶴の恩返し」の物語であり、「ナンナーク」の物語であったのだ。

ときどき、孤独にならないと自分を見失うと言われているが、それは本当のことだ。なぜ孤独になる必要があるのか。それは、本性に戻った自分が、どんな「化け物」なのかを忘れないためである。

自分の正体が「化け物」であることを許容してくれる唯一の存在は自分しかいない。みんなそうなのだ。だから、誰もがメタモルフォーゼを見せて本性を隠す。

その結果、私たちが今住んでいる世界は「異世界」と化してしまっている。私たちは異世界で生きるために「変身(メタモルフォーゼ)」しているのだ。(written by 鈴木傾城)

私たちが今住んでいる世界は「異世界」であり、私たちは異世界で生きるために「変化=へんげ(メタモルフォーゼ)」している。本性は化け物だからだ。

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