好きでもない仕事で使い捨てされる身分であるならば、その仕事は長時間するな

好きでもない仕事で使い捨てされる身分であるならば、その仕事は長時間するな

好きな仕事で食べて行けるのであれば、どれだけ長時間労働でも人は耐えられる。好きなのだから長時間だろうが何だろうが気にならないのである。しかし、好きでなければ長時間労働は耐えられない。過労働で死ぬこともある。労働時間が問題ではない。好きなことをやっているのかどうかの問題だ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

いいように働かされ、使い捨てにされている現状

企業はすでに2000年代に入ってから社員を非正規雇用に置き換えて、コロナ禍のような異常事態、不景気が来たら、いつでも非正規雇用を「使い捨て」できる体制を作り上げている。

この「使い捨て」を企業は「景気の調整弁」と呼ぶ。景気で調整して使い捨てる。今や労働者の4割近くは非正規雇用だ。

この非正規雇用者は切り捨てられる身分なので、彼らは仕事を「適当に、いい加減に」しているかと言えばまったくそういうことはない。健気なまでに真面目に仕事に取り組んでいる。

さらに言えば、彼らの多くは低賃金で長時間働いている。自らの意志ではなく、ブラック労働に追い込まれてしまってこき使われているのだ。今も過重労働で過労死してしまう人が後を絶たない。

日本の労働時間は世界的に見ても異常なまでに長いのは有名だ。問題になっても、今も改善できないのである。残業させても給料を払わないサービズ残業という悪しき伝統ですらも残っている。

残業代が出たとしても、非正規雇用者の多くは時給が低いので、長時間働くか、いくつもの仕事を掛け持ちして身体を壊すまで働くしかない。

若年層の中には、「ここを辞めたら仕事は見つからないぞ」と脅されて、条件の悪い仕事でも辞められないようにさせられていることもある。コロナ禍の現在、特に飲食業界・接客業界で働く非正規雇用者がそうなってしまっている。

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そうしなければならないと押しつけられている

人々は自分たちがいいように働かされ、使い捨てにされているのを理解している。企業は常に従業員の給料は最小限で、やり甲斐ある仕事を与えるわけではない。そのため、生きる意味を考える真面目な人ほど生きる気力を失う。

人間はもともと好きでもない仕事に対して死に物狂いで働くようにできていない。しかし、資本主義が徹底化された現代社会では、仕事が好きだろうと嫌いだろうと働かざるを得ない。

しかも、仕事に競争原理が取り込まれているので、他人と激しい競争をしながら働くようになっている。競争に負けると蹴落とされ、収入の格差となって現れる。

また、同時に欲望を刺激され、物欲を極限までそそのかされ、不必要なものを手に入れるために、不必要なまでの労働も必要になっている。

さらに資本主義の社会では老いても金がないと生きていけないので、「将来のため」にも備蓄しなければならないという側面もある。そのために、寝食も忘れて働かざるを得なくなった。先進国になればなるほどそうなのだ。

しかし、そうした生き方は人々の本意ではない。ただ馬車のように追われて、追いたてられて、働かされているだけなのである。そうしなければならないと押しつけられているのだ。

人々は、「何かおかしい」「こんな人生は求めていない」「今は幸せではない」と思いながら追われている。立ち止まって考えることは許されず、ただひたすら働かされる。

労働環境はどんどん悪くなっているのは、過去を振り返ると誰もが気づくはずだ。どんなに働いても、まったく安定が手に入らない。

「いったい何のために働かされているのか……」と思った瞬間に、人は自分の人生の苦痛を思い出す。そして、真面目に人生を考え、思い詰めた人間から心が壊れたり自殺したりしていく。

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「自分の好きな仕事」でないなら、どうしたらいいのか?

豊かになるために働くと人々は言う。しかし、その豊かさのために犠牲になっているものがあまりに多いことに誰もが気がついている。だからと言って、何ができるわけでもない。仕方がないとあきらめて、日々、奴隷のように駆り立てられる。

本当であれば、「好きなこと」を仕事にできれば人間は何時間でも夢中になってそれをすることができる。だから「好きなことを仕事にせよ」と多くの人が口を酸っぱくして言う。

「好きなことを仕事にする」というのは正しい生き方であるのは間違いない。しかし、好きなことを仕事にできている人はそれほど多くない。ほとんどの人は、好きでもないことを命令されて「これも仕事だ」と思いながらやっている。

他人に命令されて生きる人生が楽しいわけがないし、ましてそれが長時間続けばストレスも凄まじく大きなものになっていく。

この状態を解決するには、どうするのか。

ひとつは「何としてでも本当に自分の好きな仕事に就けるように努力すること」だ。「好き」が仕事になって、それで十分に食べて生けるのであれば、これほど幸せなことはない。

それが無理なら「仕事の時間を減らして、プライベートで好きなことができるようにする」を目指すしかない。好きでもない仕事の時間を増やすというのは、長い目で見ると、実は悪手なのである。

政府も人々も、労働時間が長いか短いかを議論して騒いでいるのだが、問題の本質は労働時間ではないということに気づかなければならない。「自分が好きな仕事に就いてそれで食べていけるか」が労働の最大の問題なのだ。

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最初に精神が壊れ、次に身体が壊れ、最後にすべて壊れて自滅

好きな仕事で食べて行けるのであれば、どれだけ長時間労働でも人は耐えられる。好きなのだから長時間だろうが何だろうが気にならないのである。しかし、好きでなければ長時間労働は耐えられない。過労働で死ぬこともある。

労働時間が問題ではない。好きなことをやっているのかどうかの問題だ。

多くの人は好きなことをやって食べていけないから、好きでも何でもない仕事をして耐えられなくなっている。それが「現実」なのだ。

どのみち人間は好きでないことを長時間できるようになっていない。また好きでもないものを好きだと思いこんで自分を騙して生きることもできない。自分を騙していると、結果的にツケを払わないといけなくなる。

最初に精神が壊れ、次に身体が壊れ、最後に何もかもが駄目になって自滅する。

だから、好きでもないことをしなければならないのであれば、どこかで折り合いをつけるしかない。その折り合いをつけるのがうまい人を「要領がいい」と言う。

好きでもない仕事を長時間せざるを得ない状況にあって、要領が悪ければ破滅に向かっていると考えてもいい。

本当は、長時間でも何でも「夢中になって取り組めて楽しめる仕事に就いて不可分なく食べていくこと」が望ましい。どうしてもそれを許されず、「好き」を仕事にして稼げないのであれば、割り切って要領よく生きなければならない。

要領良く生きるというのは、「好きでもない仕事はなるべく時間を減らす」ということを指している。使い捨てされる身分であり、好きでない仕事なのであれば、それは長時間やってはいけないのである。

日本人は非常に真面目なので、好きでない仕事も望まれれば「長時間やろう」と努力する。やめた方がいい。物事は「好き嫌い」で決めていい。嫌いな仕事、合わない仕事、自分にとって全力を傾けることができない仕事に割く時間は必要最小限でいい。

そうした合理性を持つことができれば、日本人はもっと労働に対して幸せになれるのかもしれない。

『JobPicks 未来が描ける仕事図鑑(JobPicks編集部)』

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