アブ・サヤフは資金がなかったので、最初から誘拐ビジネスは組織維持のための重要な「柱」になっていた。
1991年にはバス経営者を誘拐、1993年にはアメリカ人言語学者を誘拐した。
警察と軍の猛攻をジャンジャラニはアフガンで鍛えた実戦能力で乗り切って行くが、政府の徹底抗戦によってジャンジャラニは片腕を失うことになった。
しかし、誘拐ビジネスによって資金が膨らむにつれてアブ・サヤフに参加する人員も雪だるま式に増えて行く。そして、人員が増えれば、さらに大きな事件を頻繁に起こすようになる。
この組織が世界に名を轟かせたのは、1995年1月、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世を暗殺する計画があったことが分かってからだ。
実際に計画は着々と進められ、外国人テロリストがマニラで逮捕され、アブ・サヤフの犯行計画が明るみになった。カトリックの総本山であるローマ法王の暗殺を計画するというのは前代未聞だ。これには世界中が衝撃を受けた。
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