「自分の信じているものを信じない」という拷問で確証バイアスから逃れる?
自分がすでに抱いている考えや信念に合致する情報ばかりを積極的に取り込み、反証する情報や対立する証拠を無視する。それが確証バイアスだ。考える頭を持って生きている人は、誰もが無意識の確証バイアスを持っている。誰でも何か盲信しているものがある。確証バイアスとはそういうものなのだ。(鈴木傾城)
自分がすでに抱いている考えや信念に合致する情報ばかりを積極的に取り込み、反証する情報や対立する証拠を無視する。それが確証バイアスだ。考える頭を持って生きている人は、誰もが無意識の確証バイアスを持っている。誰でも何か盲信しているものがある。確証バイアスとはそういうものなのだ。(鈴木傾城)
騙される前提で物事を組み立てるというのは、ある意味「人を見る目がない」という非力を認めるようなものだ。「これだけ人生経験をして人を見抜けないのか」と言われれば、まったくその通りなので情けない部分はある。しかし、現実に人が見抜けないのであれば、これは仕方がない対処だ。私はこれからも他人の嘘や相手の本当の性格を見抜くことはできないだろう。(鈴木傾城)