カンボジア

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◆残虐なレイプ殺人で殺されたカンボジア女性の2つの事件

閲覧注意 カンボジアのシアヌークヴィルはとても素晴らしい場所だ。静かなビーチがあり、観光客が安心して泊まれる宿もある。島に行きたければ、ロン島という小さな島もある。 2015年の6月、ここをひとりで歩いていたという日本人女性が2人組の男にレイプされそうになった事件があった。幸いにして犯人は逮捕されて、盗まれた金も戻って来たのが不幸中の幸いだった。 カンボジアでは日常茶飯事でレイプ事件が起きているし […]

◆処女取引。カンボジアには、まだスワイパーの呪いが残る

カンボジアはかつて少女が3ドルや4ドルで売春していた国だ。そのため、1990年代の後半から2003年頃まで世界中のペドフィリア(児童性愛者)が集まって、世界最悪の売春環境になっていた。 その中でも悪名高い売春地帯だったのがスワイパーである。 一部の男たちは10歳前後の少女すらも欲していた。そして、事もあろうにスワイパーの売春宿の経営者は、平然と少女を提供していた。尋常ではない暗黒がそこにあったのだ […]

◆プノンペンのスラム建築は、そろそろ見納めになるのか?

カンボジアは1950年代は「東洋の真珠」として知られる豊穣でのどかな国だった。 しかし、徐々に隣国のベトナム戦争に巻き込まれ、狂気の共産原理主義者「ポルポト政権」が樹立した1974年からは国土は「キリング・フィールド」と化して荒廃した。 プノンペンはこのポルポト政権時代は誰もいない無人都市と化して、いくつかの刑務所が政治犯を次々と処刑するだけの場所と化した。S21(トゥール・スレン)と呼ばれる場所 […]

◆プノンペン。警察官6人がエイズの売春女性を集団レイプ

カンボジアの警察は、ほとほと信頼できない警察官が多いと言われているのだが、これについてはブラックアジアでも何度も書いた。 私もカンボジアにいるときに警察に用もなく踏み込まれて難癖を付けられたこともあるし、70ストリートでは警察官が売春女性の持ち物を好き放題に取っていく姿を見ている。ママサンは賄賂を払って警察官「たち」から解放される。 あるいは、違法検問を行って相手がベトナム人売春女性だったりすると […]

◆カンボジア。ベッドの下に若い女性の首なし死体があった

閲覧注意 ベッドの下をのぞき込んだら死体が転がっていたというのは恐ろしいシチュエーションだ。しかし、安ホテルではたまにそのようなことが起きることもある。 以前、シンガポールのゲイランでそんな事件が起きたこともあった。(ゲイラン殺人事件。女を殺し、すぐに別の女を抱いていた男) ホテルは不特定多数の人間が出入りする。安ホテルでは宿泊者を記載しないこともある。安ホテルは往々にして「知られたくない関係」の […]

◆カンボジアで起きた殺人。色白だった18歳の女性の水死体

閲覧注意 カンボジアは少しずつ豊かになってきている。私がカンボジアに行き来していた2000年前後、カンボジアの一人当たりの名目GDPは約300ドルだった。これが2015年になると約1140ドルになっている。 この1140ドルというのは、タイで言うと1988年あたりの数字に近いので、GDPから言うとカンボジアはタイよりも「27年ほど遅れている」とも言える。 しかし、15年前は300ドルだったGDPが […]

◆21歳年下の妻と結婚、嫉妬に狂って殺害したカンボジア人

閲覧注意 彼は44歳の真面目な男だった。カンボジアのカンダル州のある小さな村の高校教師をしていた。 真面目ではあったが、結婚するにはすでに歳を取っていたし、そもそもそれほど優れた容姿でもなかった。ところが、彼にも運が巡って来た。 チャンサという名前の23歳の女性と巡り合ったのだ。 カンボジアにはベトナム女性がたくさんいるのだが、彼女もベトナム人だった。多くのカンボジア人はあまりベトナム人に好意を持 […]

◆お洒落な先進国女性が途上国の女性を売春に追いやる現実

現在のカンボジアの売春ビジネスの現場は、カラオケ屋やマッサージ・パーラーが主流なのだが、ストリート売春も増えていて、首都プノンペンの至るところでカンボジア女性たちが売春を誘っているようだ。 かつてはカンボジアの売春地帯はベトナム女性とカンボジア女性の半々だったのだが、今は若いカンボジア女性が売春ビジネスの主流となっている。 興味深いのは、その多くが「裁縫工場」に勤めているか、「裁縫工場」の女性であ […]

◆今は幻。いつまでもいつまでもあの時の女たちのことを想う

桜が散り、何度か雨が降り、そして日本はゆっくりと暖かくなっていく。そして、春の空気の中に、これからやってくる夏の兆しを感じることがある。 夏……。 それは、私の好きな季節だ。心をそわそわとさせ、どこか落ち着かない気分にさせる季節。私がこれほど夏が好きなのは、もちろん若い頃にずっとタイの40度を超える暑い日々の中でもがいていたからだ。 まだ、春が来たばかりなのに、もう夏を想う。暑い空気の中で得た、遠 […]

◆カンボジアの売春地帯が長続きしないと思った理由がある

『ブラックアジア第一部(売春地帯をさまよい歩いた日々)』を出版したのが2013年12月だったが、この本はタイ・カンボジアの売春地帯の2000年前後の時代を扱っている。 カンボジアと言えば、1990年代後半から2003年頃までは東南アジアで最も注目された売春地帯であった。 プノンペンだけでも、スワイパー、トゥールコック(70ストリート)、63ストリート、ボーディン(モーディン)と4ヶ所に売春宿が固ま […]

◆売春地帯としてのスワイパーは、死んでから約10年が経った

『ブラックアジア 売春地帯をさまよい歩いた日々カンボジア編』や『小説 スワイパー1999 カンボジアの闇にいた女たち』で、ひとつの重要なキーワードとなっている売春地帯は、「スワイパー」という場所である。英字で書くと Svaypak となる。 カンボジアは貧しい国だったが、このスワイパーは1990年後期になると、2階建てのしっかりした建物が建ち並び、辺鄙な場所の村にしては金回りの良さが目に付いた。 […]

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(5)

カンボジア現代史  1953年〜1975年までの動乱の時代(1)  1953年〜1975年までの動乱の時代(2)  1953年〜1975年までの動乱の時代(3)  1953年〜1975年までの動乱の時代(4)  1953年〜1975年までの動乱の時代(5) ベトコン側がロン・ノル政権の言うことを素直に聞くはずもないことは、アメリカ側も分かっていた。 そこで、ロン・ノル政府の許可を経て、当初の計画通 […]

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(4)

カンボジア現代史  1953年〜1975年までの動乱の時代(1)  1953年〜1975年までの動乱の時代(2)  1953年〜1975年までの動乱の時代(3)  1953年〜1975年までの動乱の時代(4) カンボジアの「顔」であったシアヌークがクーデターによって打倒されたニュースは、驚きを持って迎えられ世界中の新聞で一面トップを飾った。そして、ロン・ノル=シリク・マタク政権が注目を浴びることに […]

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(3)

ジュネーブ協定でシアヌークは独立を勝ち取ったが、シアヌークはここでひとつの約束を交わしていた。 それは1955年に選挙を行うということである。民意を得た政権をカンボジア内に誕生させて、独立後の政権運営を任せることが独立の条件だった。 カンボジアでは少数勢力だった共産主義者も、この1955年の総選挙をチャンスと捕らえたのは当然のことである。 カンボジアはともかく、隣国ベトナムの独立は曲がりなりにも共 […]

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(2)

シアヌークの粘り強い対フランス交渉によって、カンボジアは外交主権承認を得た。その後1954年7月21日のジュネーブ協定成立にて、カンボジアはフランスから完全独立を果たした。 このとき、シアヌークが利用したのはカンボジアにも共産主義者が台頭しているという状況だった。シアヌークが執拗に左派の台頭をフランスに訴えたのには理由があった。 フランスが隣国ベトナムのゲリラ戦で根も精も尽き果てていくのを見ていた […]

◆カンボジア現代史。1953年〜1975年までの動乱の時代(1)

マルグリット・デュラスというフランスを代表する作家がいる。この作家の小説の中で繰り返し繰り返し出てくるのは彼女が幼年時代を送ったコーチシナの憧憬である。 彼女の代表作であり問題作である『ラ・マン(愛人)』でも、舞台はコーチシナだった。 マルグリット・デュラスはフランス人だが、生まれも育ちもコーチシナで、アジアの豊饒なメコンデルタこそ彼女の故郷であると言っていい。 彼女の家族は、貧しさの中で白人社会 […]

◆カンボジア女性と結婚するには、月収25万円以上が必要だ

カンボジアは共産主義国家であり、かつてはポル・ポト政権という超独裁政権の支配下にあったこともあり、同じ共産主義の独裁主義国家だった北朝鮮に理解があった。 その関係で、フン・セン時代になっても朝鮮人がカンボジアを東南アジアの拠点とするなどして、朝鮮人とカンボジア人の裏の結びつきは意外に強い。 北朝鮮は「スーパーK」と呼ばれる偽ドル札を印刷していたことがある。 2006年、北朝鮮は偽ドル札を流通させる […]

◆カンボジアで、心優しいシンガポールの女性が殺されたこと

2013年4月30日、カンボジアのプノンペン近郊(コンポンスプー州)で、シンガポール人の女性が殺された。ウェンディ・ネンという名前の55歳の女性教師だった。 彼女はカンボジアの貧しい孤児の子供たちに教育を施す草の根のボランティア活動をしていた心優しき女性で、カンボジアには10年以上に渡って関わっていたという。 彼女を殺したのは強盗たちの4人だ。彼女の家に忍び込み、彼女の首を刺して殺し、部屋を物色し […]

◆ミス・ランドマイン。地雷で手足を吹き飛ばされた女性たち

1990年代後半、カンボジアのバッタンバン州に行っていた頃に言われたのは、「絶対に道ではないところを歩くな」ということだった。 「地雷がある」 バッタンバン州では2000年を過ぎても、戦争で破壊された戦車の残骸が道ばたに転がっているような国だったから、草むらを分け入ったら本当に地雷が爆発する可能性があった。 真っ赤な背景に骸骨の絵が描かれた”Danger!! Mines!” […]

◆カンボジアの虐殺の洞窟(キリングケイブ)を訪ねたときの話

カンボジアは1975年から1979年まで、民族大虐殺が引き起こされた国だ。この間、カンボジアの経済は崩壊するに任せられて、国土は死体の山になっていた。 その後も、ポルポト派は西部パイリン省のジャングルに拠点を構えて1985年あたりまでずっと武装闘争を行っていた。 やっとポルポト派との停戦が行われてからも、フン・セン派やラナリット派の闘争などが行われて政情不安は続いたままだった。 何とか国家運営がま […]

◆シンナーに覚醒剤。麻薬が蔓延するカンボジアに未来はあるか

タイは東南アジアでは非常に発展した地域なので、大量のドラッグが押し寄せてきており、政府はこれを必死になって防止している。 麻薬はミャンマーからもラオスからもカンボジアからも流入してくる。日本は海に囲まれていてそれが自然の防波堤となって隣国から守られているが、タイはすべてが陸続きである。 同じことはカンボジアにも言える。 カンボジアはポル・ポト政権によって国家基盤を根こそぎ破壊された国で、2013年 […]

◆ハイエナの天敵(2)。アメリカの情報機関も、そこにいる

タイ編 人身売買の糾弾は、いまやNGO団体や政府の両方にとって定期的に行われる恒例行事でもある。日本も例外ではない。 2003年6月11日、アメリカの国務省が売春や強制労働をめぐる人身売買の政府対応について、世界の各政府をランク付けした報告書を出した。 それが日本の新聞にも取り上げられ、大騒ぎになった。その報告書は毎年発行され、インターネットで米国務省のサイトから読むことができる。 2003年、日 […]

◆ハイエナの天敵(1)。政府と世論を動かす危険な監視組織

タイ編 かつてヨーロッパは、アフリカ、北米・南米、インド、アジアとほぼ世界全域に植民地を持ち、多くのヨーロッパ人は世界中に散らばって植民地をさまようようになった。 犯罪者も、食い詰めた男も、軍隊崩れも、一攫千金を目指す人間も、みんな海外に出るようになっていくのだが、やがてその中から「奇妙な男」が生まれ始めた。 彼らは、仕事や、一攫千金の金儲けや、冒険や、職探しの男に混じっていたが、彼らの目的はその […]

◆カンボジアにも、いよいよ埋めがたい格差問題が生まれてきた

バンコクのカオサン・ロードで、知り合った日本人の友人たちと、けだるい会話を楽しんでいたことがあった。まだ、20代だった頃だ。 そのとき、ひとりの女性の物乞いが目の前に立った。 今でも彼女の出で立ちを鮮明に思い出す。何日も着替えていないようなボロをまとって、頭には薄汚れた赤い布を巻いていた。 日焼けして黒くなったカサカサの肌、すがるような瞳。喜捨を求めて差し出された掌は垢だらけだった。 30歳過ぎく […]

◆川で沐浴をしているのを初めて見たのはカンボジアだった

熱帯の国では突如としてスコールがやってきて、雨に打たれて濡れる女性がたくさんいる。インドでもそうだ。 急いで屋内や屋根や庇の下に逃げ込む女性がいると同時に、まったく雨に無頓着で、ぐしょぐしょに濡れたまま、傘も差さずに歩いている若い女性もいる。 服が水を吸って肌に吸い付き、身体の線が服の上から浮き上がり、中には下着さえ見える女性もいる。それでも彼女たちは動じないで歩いている。 サリーやパンジャビード […]

◆治安が悪く、真っ暗で、しかし魅力的だった昔のプノンペン

カンボジア編 まだ20代だった頃……。私は取り憑かれたように「歩きたい」「さまよいたい」と思って、本当に漂流するような生活をしていた。 子供の頃からそのような傾向があって、ふと思い立っては家出して騒ぎを引き起こしていた。 家出して何をするわけでもない。ただ、街をさまよい、人を眺め、知らないところを知り、人々が生活するのを見つめるのが好きだったのだ。 今はもう、すっかり変わった。最近は、もう1年近く […]