予測

今年はこうなるという予測は無意味。不意打ちの出来事がいつでもやってくるから

2024年がどういう年になるのかはわからないが、現代の弱肉強食の資本主義を見ていると、ますます暮らしにくい社会になりつつあるというのが理解できるはずだ。2024年も「予測不能な出来事」が突発的に日本や世界を激震させる可能性も十分にある。予測は無意味だ。(鈴木傾城)

世の中は常に不測の事態の積み重ねで成り立っているものだと私は考えている

将来は常に不確実であり、不安定であり、流動的である。だから、環境や、社会や、市場環境で、常に予期せぬ出来事が起きて人々を動揺させる。多くの専門家がいろんな分野で、いろんな未来を、したり顔でいろいろなことを予測する。しかし、それらの予測は「絶対」ではない。世の中は右でも左でも、上でも下でも大きくブレる。予測もしない事件が突如とやってきて今までの状況を何もかも変えることもある。(鈴木傾城)

5分先のことであっても世の中が100%見通せるのであれば世の中は楽勝だ

「1999年7月に恐怖の大王によって人類が滅亡する」というノストラダムスの予言の年、私はカンボジアで堕落にまみれて日々を過ごしていた。(アマゾン:スワイパー1999〜カンボジアの闇にいた女たち) 当時の私は、自分がHIVに感染するのではないか、強盗に襲われるのではないか、汚職警官に逮捕されるのではないか、夜総会でぼったくられるのではないか、と言う目の前の危機の方が切実で、ノストラダムスどころではな […]