人はなぜ「性格が合わない」相手を選んで失敗するのか?

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総務省統計局のデータによると、2006年の離婚件数は25万7475件だった。2015年の離婚件数は22万6215件だった。この数字だけ見ると、離婚は減っているように見えるのだが、実際は婚姻件数が減っているので、「離婚件数が減った」ということにはならない。

離婚が年々減っているのか増えているのかを知るためには、婚姻件数と離婚件数の差を見て、それをパーセンテージで見なければならない。つまり離婚率を見る。

そうすると統計が出ているここ10年、日本における離婚率はだいたい35%前後で横ばいになっていることが分かってくる。

日本では「3組に1組は離婚する」と言われているが、ここ10年、本当に変わらずそうなのである。

では、離婚理由は何か。最高裁判所が開示する「平成27年度司法統計データ」によると、興味深いことに男女共に以下のものが第一位に来ている。

「性格が合わない」

二位以下は離婚理由が男性と女性が違うのだが、第一位の「性格が合わない」は圧倒的な件数で上がっており、いかに「赤の他人」と一緒に暮らすのが難しいのかが窺える。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

どうやって、自分に合う相手を評価すればいいのか

付き合う相手を間違うと、場合によっては激しいDV(家庭内暴力)によって殺される可能性もある。女性が離婚を決意するのは、「配偶者が暴力を振るう」が第二位の理由である。

あるいは、相手の悪癖に巻き込まれて人生のどん底にまで転落してしまうこともある。ギャンブル依存、アルコール依存、セックス依存のパートナーを選ぶと確実に悪影響を受けて道連れになってしまうのである。

これらもそれぞれ離婚理由のトップ10に上がっている。

3組に1組が離婚ということは、残りの2組は問題ないのかと言えば、「合わない」度合いが多少はマイルドなだけで我慢できるから我慢しているだけという可能性もある。

途中で「この相手は問題だった」と思っても、結婚式を挙げてしまえば離婚するには手遅れだと感じるカップルも多い。それで我慢する。子供ができてしまえばなおさらだ。

できれば、付き合う前に「自分に合う相手」を間違わないで選べれば、回り道をしないで平穏な生活を手に入れることができるのだが、それは難しいことだろうか?

もちろん、人間の性格は多面的で、置かれた状況によっても多彩に変わり、年月によっても180度変わることすらもあるので、簡単なことではない。

しかし、だからと言って完全に不可能というわけでもないはずだ。相手を選ぶというのは、相手を「評価する」ということだ。では、どうやって評価すればいいのだろうか。

これは私自身が最も重視することなのだが、「自分に合う相手を捜す」ためには、実は「たった1つだけ」の注意点を守ればいいのではないかと考えている。

単純にして明快な評価は「自分と同質の相手を選ぶこと」ということに尽きる。

サン・テグジュペリは「お互いに見つめ合うことではなく、 一緒に同じ方向を見つめることが愛だ」と言った。同質の相手でないと、なかなか同じ方向が見つめられない。

性格的も、ライフスタイルも、経済観念も、自分と同質であり、共通であり、似ており、感性が同じである相手を選ばなければならない。

根本的な部分で、「自分と同質」であるということが重要なのだ。少なからずの人がここを間違う。

『星の王子さま』の著者サン・テグジュペリ。このフランスの作家は「お互いに見つめ合うことではなく、 一緒に同じ方向を見つめることが愛だ」と言った。

人間関係にスリルを求めればトラブルが増える

真面目で優しい人であれば誰とでも合うわけではない。自分が真面目でも優しくもなく、そんなものはまったく求めていないとしたら、相手が真面目で優しくても意味がない。互いに相手が理解できない。

自分が節約家であれば、相手もそうでないと、たちまちのうちに家庭は緊張する。節約家と浪費家は絶対に合わない。金の使い道を巡って、常に衝突する。互いに相手が理解できない。

配偶者がアルコール嫌い、ギャンブル嫌い、セックスにも淡白で、自分がその真逆であったら、最初は我慢できてもいずれは互いに我慢できなくなるのは目に見えている。相手の行動が互いに理解できないのである。

根源的に違うタイプと一緒になれば問題が発生するというのは、冷静に考えれば分かりきった話である。そうであれば、気質的にも経済的にも生活環境的にも「同質」の相手を選ぶべきであると普通に考えれば気付く。

どのみち、100%同質の相手など見つかるはずがないので、必ず何かの相違が生まれて衝突する。完璧な人間も完全な人間もいない。だからこそ、基本的な部分で一致していないと、衝突から和解に向かわない。

しかし、現実はそう簡単ではない。多くの人は敢えて「自分と同質ではない人」を相手に選ぶ。なぜ、わざわざ衝突するかもしれない相手を選んでしまうのか。

それは、自分と同質ではない人は「最初のうちは非常に魅力的に映る」からだ。なぜ、魅力的に映るのか。それは相手が自分に持っていない行動、発想、発言を連発するからだ。

会うたびに意表を突かれ、驚かされ、新鮮に映る。自分と同質の相手には驚きがない。行動パターンが読める。だから関係は安定するのだが、退屈だ。

自分と違うタイプの人間は、相手が自分とは真逆の言動をするので行動が読めないし、場合によっては自分が絶対にできないことも平然とするので毎日が興奮なのである。

それが最初は魅力に思える。だから、「同質ではない」という理由で一緒になる。そして、あまりにも同質でなかった場合は最後にどうなるのか。もう一度「離婚理由」の第一位が何だったのか思い出して欲しい。

「性格が合わない」

男女共に、相手が理解できないまま離婚に追い詰められていく。自分と同質でないと、最初は新鮮だった言動はやがては苛立ちを生み、衝突を生み、対立を生むのである。

ここ10年、日本における離婚率はだいたい35%前後で横ばいになっていることが分かってくる。日本では「3組に1組は離婚する」と言われているが、ここ10年、本当に変わらずそうなのである。そして「離婚理由」の第一位は「性格が合わない」である。

自分と合わない相手には殺意を持たれることもある

若いうちは、人生経験のために、とにかくいろんな人と付き合いたいと思う。そして、自分と同質の相手には退屈を覚え、自分と違う相手にはスリルを感じる。

スリルとは「非日常」を指す。

非日常が心地良いのは、平穏な日常の退屈さを破ってくれるからであって、非日常が日常になってしまうと、ある時に突如としてそれが自分の求めている世界ではなかったことに気付く。

もう一度、自分が安心して暮らしていた日常に戻りたいと思った時、障害になるのは何か。他でもなく非日常を与えてくれた自分のパートナーである。

パートナーがいる限り、自分の安定感が取り戻せないのである。相手の性格を変えるのは難しい。相手は元々「違う世界に生きていた人」だったからだ。

人間関係にスリルを求めれば求めるほど、選択する相手が自分とはあらゆる面でかけ離れた存在になる。それに比して人間関係のトラブルも増えていく。

一緒に暮らすというのは、一緒に日常を過ごすということである。その日常があまりにもズレていると互いに相手に合わせることすらも不可能と化す。

「基本」から逸脱して幸せになることは、まずない。合わない相手と長く一緒に日常生活を送ることはできない。

もし長く一緒にいる相手が必要なのであれば、「自分と同質の人を選ぶ」しかない。根本的な部分で同質であれば、互いに自分のことを説明しなくても分かり合える。

相手を変えようと思うこともないし、相手に理解してもらおうと必死で説明する必要もない。同質であれば分かり合える。

これはある意味、人間関係における黄金律(ゴールデン・ルール)と言っても過言ではない。

人間関係において非常に重要なポイントとなる。自分と合わない相手に殺意を持たれることはあるが、自分と合う相手には絶対にそれはない。

この事実に気付くのは、とても重要なことである。

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自分と同じ過ぎてつまらないと思う機会は来ない

自分とは違う相手を新鮮に思うのは最初だけだ。一緒に生活するようになると、かつては新鮮に思えた異質さが「性格の不一致」として衝突と対立の芽になる。

自分と同質であれば静かだ。自分を説明しなくても主張しなくてもいい。相手に共感できる部分が増えるし、理解しやすいし、協調できるし、衝突の回数も多くない。

仮に何らかの見解の違いがあって衝突するような場面になっても相手が理解できる。だから、総合的にストレスがない。

相手といろんな意味で感性が同じであるということは、そういうことなのである。一瞬にして受け入れられて、一瞬にして理解できる。長く付き合うための土台が整っている。

共通の土台をゼロから作るのではなく、すでに土台ができている。それは、「幸運」なことなのである。しかし、そうは言っても、こう考える人もいるかもしれない。

「自分と同じ過ぎたら退屈すぎて死ぬのではないか? 何もかも同じだったらつまらないではないか?」

それは杞憂だ。自分と同質な人間がいいと言っても、自分と感性も性格も哲学もライフスタイルも食生活も趣味も、何もかも同じ人間は見つからない。

探し回っても絶対に見つからない。

つまり、「何もかも同じ過ぎてつまらない」と思う機会はやって来ない。現実には、100%同質である相手は見つからないので、どこかで「ここは同質ではない」という部分に譲歩をしなければならないのが現実だ。

だからこそ相手を選択する時は、自分に似通った性格・感性を持った人を全力で探すべきなのだ。同質である部分が多いほど、許容できる部分が多いので、若干の異質が緩和される。

違う相手を探すのではない。同質の相手を探すのだ。

ちなみにここで言う「同じ」とは、顔が同じだとか身長が同じだとか人種が同じだとか、そのような意味ではない。自分と同じ容姿のそっくりさんを捜すという意味ではない。あくまでも性格や感性や経済観念やライフスタイルを問題にしている。

サン・テグジュペリの「一緒に同じ方向を見つめる」という言葉には、なかなか深遠なものがある。(written by 鈴木傾城)

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性格や感性が合うというのは、相手のことがたちどころに理解できるということだ。実は、それがとても重要なのだ。

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