狡猾な犯罪者ほど「人権を守れ」「共生」と叫ぶ理由とは?

狡猾な犯罪者ほど「人権を守れ」「共生」と叫ぶ理由とは?

2018年4月8日、東欧ハンガリーで総選挙が行われたのだが、そこで当選したのは、フィデス・ハンガリー市民連盟を率いる右派党首の現職オルバン・ビクトル首相だった。圧勝だった。

このオルバン・ビクトル首相は選挙中に何を語って人々の心をつかんでいたのか。このように言っていた。

「移民はハンガリーをゆっくりと、しかし確実にむしばむ錆(さび)のようなものだ」

国外のグローバリスト、たとえばハンガリー出身の投機家ジョージ・ソロスはオルバン・ビクトルを激しく攻撃した。

しかし、オルバン・ビクトル首相は「ソロスが我々の文化を破壊しようとしている。ソロスが選挙に干渉して傀儡を動かしている」と批判して折れなかった。

ハンガリーにはソロス大学がある。オルバン・ビクトルはこれを閉鎖するとも言った。オルバン・ビクトル氏の主張は一から十まで「移民反対、反対、反対」で貫かれていた。

オルバン・ビクトル氏は「キリスト教的文化を受け入れないイスラム移民とは共生はできない」と叫んだ。

「イスラム移民はハンガリーに入れない」「国が乗っ取られる」「キリスト教的文化が損なわれる」「我々の文化を守ろう」と人々に訴え、そして圧倒的多数で三期目をつかみ取った。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

机上の空論を現実に持ち込んで世の中が大混乱する

オルバン・ビクトル首相と圧倒的多数のハンガリー国民は「共生」という言葉を押しつけるEU(欧州連合)に対して懐疑的であり、外部からの批判に屈しない。「共生などできない。このままでは国が乗っ取られる」という強い危機感がある。

共生は一見すると理想的で美しい概念に見えるが、実は大きなワナがある。とても美しい言葉なのだが、どう考えてもこれは机上の空論なのだ。

世の中には、過激派テロリストもいれば、反社会分子もいれば、悪意を持って世の中を混乱させようとするグループもいれば、その国を破壊するために国外から送り込まれた工作員やスパイもいる。

この世が優しくて素晴らしい人ばかりだったら法律はいらない。弁護士も刑務所もいらない。多くの人々が互いに助け合って生きていけるのであれば、社会福祉ですらも必要ないかもしれない。

しかし、現実には、犯罪者が大量にいて、利己主義者も、破壊主義者も、暴力を振るう人間も、騙す人も、殺す人も、国を売る人間も、山ほどいる。

共生というからには自分が歩み寄るのと同時に、相手もまた歩み寄らなければならない。自分だけが妥協して受け入れて相手がそうしない場合、自分が相手に乗っ取られるのである。

よくよく考えれば、「共生」というのは狭い範囲でしか成り立たない概念だったのだ。

オルバン・ビクトル首相はそれを言っている。

EUは「多文化共生」という一見美しく見える概念を持ち出して、まったく異質な移民を大量に移住させた結果、各国で社会の文化基盤が破壊され、民族間の軋轢、宗教観の軋轢、貧富の差、差別、地域社会の分離が生まれた。

「共生」が現実的ではないという重要な事実に目をつぶって、机上の空論を現実に持ち込んだ結果、世の中が大混乱し、共生どころか深い反目を生み出している。

「共生」という美しい言葉に騙されて、現実を無視した結果、このような悲惨な状況になったことに気付かなければならない。

できもしない空論を掲げて社会を混乱させている

「共生」は社会に混乱を招く元凶になり得る。共生は個人が「心がけ」として思うものであって、他国や政治家や受け入れてもらう側が相手に強制するものではない。

グローバル社会では激しく国家の利害が対立し、場合によっては策略や暴力でもって侵略して来ることもある。侵略者が存在する中で、「共生」などと訴えていたら、国がなくなってしまう。

オルバン・ビクトル首相は共生を目指さない。では、何を目指すのか。それは「国益」だ。イスラム移民の大量流入が国の文化を損ねると考え、共生よりも国益を選んだのだ。

「共生」を押しつけるEUは、できもしない空論を掲げて社会を混乱させている。

あるいは「共生」という概念を押しつけて、侵略者や犯罪者やテロリストとも共生させようとしている。そこまでして共生をすべきなのか。

共生できない存在は、世の中にはある。しかし、「共生」を第一に掲げていると、その共生できない存在を否定も排除もできないので、世の中が不必要なまでに混乱する元になる。

テロリストや犯罪者やスパイを排除できない「共生の強制」社会となったら、どんなに危険な社会になるのか少し想像したらすぐに分かるはずだ。

「いや、そんな人間は最初から排除する」というのであれば、それは「共生」と言う概念と矛盾しているのだから、そもそも最初から「共生」という言葉を使うこと自体が大間違いだ。

「共生社会」は、非常に悪質かつ危険なワナだったのだ。

この概念はグローバル社会がそれぞれの国に強制しているものである。共生という名の下に「国家を破壊する凶悪な存在」を排除できなくするワナをグローバル化が仕掛けている。

社会を混乱させる危険な存在、いわゆる「危険分子」は、早いうちから発見し、除去しなければならない。しかし、「共生」という概念が押しつけられると、危険分子が排除できなくなり、「共生」に守られて育っていく。

 

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アンダーグラウンドにひしめく危険分子を無視するな

「共生」の押しつけは、テロリスト・犯罪者・危険分子・スパイを野放しにしてしまう。社会の癌を増殖させる。

「共生社会」の実現に動くグローバリストは、その結末を知っている。しかし裏の意図を隠し、あたかも善を行っているフリをして社会を破壊する。

「共生」という言葉は美しい。個人でそれを否定できる人はいない。否定する必要もない。

しかし、強制されることに対しては否定しなければならない。それは問題がありすぎるからだ。

「共生の強制」に問題があることは、恐らく一般社会は見抜けない。アンダーグラウンドにひしめく危険分子の存在を無視して考えるからだ。

逆にテロリスト・犯罪者・危険分子・スパイたちは、自分たちを「排除させない」ために好んで「共生社会」を訴える。これは、凶悪犯罪者が「人権を守れ」としゃあしゃあとした顔で言うのと同じ原理だ。

凶悪犯罪者が「人権を守れ」と叫ぶのは理由がある。自分が逮捕されたとき、自分の人権を守ってもらうためである。自分は法を破るが、自分の扱いには法を守らせる。

だから、悪質な犯罪者ほど「人権を守れ」と叫ぶ。自分を死刑にするのは人権侵害であると殺人鬼は言うのである。

「共生社会」の押しつけは、似たような社会を生み出す。危険で裏のある人間であればあるほど、喜んで「共生社会を創造しろ」と叫ぶだろう。

「共生社会」が強制されたら、どれだけ傍若無人に振る舞っても「共生」の名のもとに正当化されるからである。テロリスト・犯罪者・危険分子・スパイにとって笑いが止まらない。

彼らはそれを分かっていて「共生社会」に乗っかる。

だから、「共生」を意味もなく叫ぶ人間には気を付けなければならない。ゴミを排除できない家はゴミ屋敷になる。犯罪者を排除できない国は犯罪国家になる。

私たちは空想の世界ではなく、現実の世界で生きている。あなたは、ゴミと共生したいだろうか?(written by 鈴木傾城)

このオルバン・ビクトル首相は選挙中に何を語って人々の心をつかんでいたのか。このように言っていた。「移民はハンガリーをゆっくりと、しかし確実にむしばむ錆(さび)のようなものだ」

 

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