
*曼荼羅*さんは33歳で風俗業界に足を踏み入れているのだが、最初に選んだのは、デブ専のデリヘルだった。面接は3か所回り、最も「アットホームそう」な店に決めた。もちろん、初めての業界で正解が分かるはずもない。
面接で「私、ゴムの付け方がわかりません」と伝えると、店側は口頭で簡単に説明しただけで終わった。講習らしい講習はなかった。「あまりにもゆるい世界にびっくりした」と彼女は振り返っている。
面接の翌日には、もう客を取っていた。
最初の1か月は指名が途切れなかった。後に店長から「1人だけで回ってたんだよ」と言われるほどの盛況だった。店長は面接の時点で「絶対に鳴る(客から電話がくること)な」と直感していたらしい。
90分コースのバックが1万円のデブ専の店で、最初の1週間くらいで30万以上の手取りになったので、彼女は「4週間で100万超えちゃうじゃん?!」と夢見心地になったというのだが、これは業界で言うビギナーズラックにすぎなかった。
新人期間が終われば予約は止まる。実際、彼女もその後は失速し、1日を通して客が1人も来ない「お茶」の状態になっていった。
当時の彼女は、「ホスラブ」や「爆サイ」といった掲示板で、女性の名前や評判がやり取りされていることも知らなかった。それどころか、写メ日記という営業手段の存在も把握していなかった。
そもそも、最初の店は風俗情報サイトに掲載されておらず、常連客だけで回る閉じた店だった。集団待機の部屋に入ることさえ怖くて、自宅待機を選んでいた。
彼女は移籍の基準を自分で決めていた。「3日連続でお茶を引いたら辞めよう」というルールだ。逆に、引かなければ続ける。デブ専の店はそもそも数が多くないため、頻繁に移籍することはできない。この制約の中で、彼女は1軒目を半年ほどで離れた。
移籍を考えていた時期、集団待機に混ざるようになった彼女は、年下だけれども先輩にあたる女性から「人妻の顔だよね」と言われたという。だが人妻系デリヘルは「即プレイ」を売りにする店が多い。当時の彼女には抵抗があったようだ。
業種による評価軸の違いも「働くうちに見えてきた」と彼女は言う。
彼女の分析によれば、人妻系デリヘルは顔にモザイクをかけて掲載するため、シルエットで売る商売になる。したがって細身でなければ通用しない。写真は細く見えるアングルで撮り、とにかく体型を削って見せる。
一方ソープは体型より顔が重視され、むしろ痩せすぎている方が不利になることもある。マットプレイがあるため、適度に肉づきがある方が客に好まれるからだ。痩せた体型だと、マットプレイのときに骨が当たって痛いのだという。
体型を細かく指摘してくる客は高級店に流れるため、激安帯のソープでは体型そのものが問題にされにくい。彼女はこうした業界内の「傾向」を肌感覚として蓄積していったようだ。
キャストの誰もがNGを出すような自宅へ
*曼荼羅*さんは、1年目が都内でデリヘル、2年目が出稼ぎデリヘル、3年目が吉原のソープランドでの勤務となっている。その中で、「発狂してしまいそうな男たちとも多数出会った」と私に笑った。
印象に残る客として真っ先に挙げられたのが「猫屋敷の男」だった。店内でも有名すぎる自宅呼びの客で、1度行けばキャストの誰もがNGを出すような自宅だった。ところが彼女は3回も呼ばれて、3回とも向かっている。
ちなみに、この「猫屋敷の男」は、新刊『限界ヒリヒリ〜おちぶれ続けるデブ風俗嬢の赤裸々日記』でも詳しく書かれている。
玄関を入ると1DKのダイニングキッチンには段ボールが床一面に敷き詰められ、それがそのままペットのトイレとして使われていた。段ボールは交換されておらず、強烈なニオイが充満していた。
靴下を脱げば毛だらけになる。奥の6畳間には万年床の布団が敷かれ、床はほとんど見えなかったという。部屋を出たあとも、帰り道の間じゅう、ずっとニオイが鼻の奥に残り続けたようだ。そんなところに女性を呼ぶ男がいるのだ。
自宅に女性を呼ぶ客について、彼女は2種類に分けて説明する。
一方は「ホテル代がもったいない」みたいな経済的な理由や、外出そのものが面倒だという理由で呼ぶ層。もう一方は、逆に部屋を自慢したい層だ。
その店で彼女は、寂れた場所に住む客と、麻布十番あたりで「自分はイケてる」と信じている20代の男性客の両極端を経験している。前者は自分がどう見られるかにまったく関心がない。外見に構わない。だからこそ部屋も汚れるのだと彼女は言う。
こうした都内でのデリヘルを体験したあと、2年目は出稼ぎに行くようになるのだが、出稼ぎ先で自分に最も合っていたのは新潟だった。「新潟には寂しさを抱えた客が目立った」と彼女は述懐する。
新潟の人たちは人見知りが強く、初月はほとんど指名が入らない。だが2か月目、3か月目と通ううちに「またこの子が来てくれた」と認識され、10日間の滞在中に2回、3回と指名してくる客が現れる。それが彼女には嬉しかったようだ。
対照的に福岡は「二度と行きたくない」と切り捨てている。
契約内容と実際の対応が食い違い、条件を満たしているのに交通費が振り込まれなかった。彼女は店の予約電話にかけ続けるという手段で抗議し、最終的に支払わせている。彼女には、そういう激しい気質もある。
ちなみに、その店は1、2年後に未成年を雇用した容疑で摘発されたという。ソープとデリヘルを両方経営する大手グループだったため、当局に目をつけられやすかったと彼女は見ている。
客層も新潟とは違った。出張で福岡を訪れた客は地元の女性を求めていたが、東京から来たと告げると露骨に落胆されることもあった。地元の自宅呼び客は、店が即プレイを売りにしていたこともあって「物扱い」だったという。
大阪については、客層が日本で最も悪いと評判だったため最初から避けた。大阪の客層がひどいというのは、私も他の風俗嬢からも何度も聞いている。荒っぽい男が多くて、女性は警戒している。
稼げる場所を捨て、プロポーズも断った
新潟での出稼ぎは1年続いた。指名も安定し、待っていてくれる客がいる環境に、*曼荼羅*さんは「一時は引っ越しまで考えた」と言う。だが最終的に新潟を離れている。
理由は「私の居場所はここだと安心している場合じゃない」という判断だった。「よけいな向上心が邪魔するんですよ」と本人は苦笑まじりに説明する。
この新潟時代、彼女は客からプロポーズを受けている。相手は当時35歳前後で、彼女とほぼ同年代の男性だった。
その男性には特殊な経歴があった。歌舞伎町などに貼られている、女性向けのエスコートのアルバイト、つまり自分の身体を女性客に売る仕事を経験していたのだ。彼は、作った借金約100万円をそれで完済していた。
そんな経歴の男はめったにいない。それで彼女は「この人だったら理解がありそう」と考えたと言う。風俗で働く女性を受け入れてくれる相手を探すのは、なかなか難しい。彼女はそれまで年齢の近い男性と交際した経験がほとんどなく、その点でも新鮮だったという。
しかし、結婚に至らなかった。
理由はいくつかあった。1つは連絡の頻度だ。彼女は毎日メールを送ってくるタイプの男性が苦手で、おはようメールやおやすみメールに疲れてしまう。メールとは「用事がある時に連絡するもの」という感覚が彼女には強くあった。
出稼ぎの勤務は深夜零時に終わるのだが、そのあとに食事へ誘われることも彼女にはストレスになった。
さらに別の理由もあったのだが、こちらは即物的だ。
彼女は「ちんこが大きすぎるから無理だと思った」と率直に語っている。その彼は日本で最も大きいサイズのゴムでもきついほどで、「これは地獄だな」と判断して結婚は「なし」になった。
この点について彼女は興味深い知見も付け加えている。
中途半端に大きい男性ほど「大きければいい」と考える傾向があるのに対し、本当に大きい男性は女性の負担を理解しており「ごめんね」と謝る側に回る人の方が多いという。相手の男性も後者だった。
彼女は一度も結婚していない。
婚期を逃したという意味で、この件を少しだけ後悔していると語る。稼げる場所も捨て、結婚の機会も逃した。だがそのどちらの選択も、外部の事情に強いられたものではなく、彼女自身の判断によるものだった。
吉原、ブログで身バレ、セックスレッスンへ
出稼ぎを終えて東京に戻った*曼荼羅*さんは、人妻店や鶯谷の本デリを経て吉原のソープへ移っている。理由は明確だ。デリヘルではリピーターをつかめなかったからである。
吉原で選んだのは激安店だった。
「誰でも受け入れる店だからこそ働けた」と本人は言っているのだが、2年間で蓄積した経験を活かし、遅番の部で店内2位まで上がっている。ただし収入の実態は厳しかった。50分1万円の店で、1本目のバックはわずか5000円だった。
2本目以降で6000円から7000円になる。最高で1日7人を接客した日もあったが、1本か2本で終わる日も多い。月の接客数は60人前後で、平均月収は30万円から40万円程度だった。週5日、正午から午後8時まで働いても、この水準にとどまった。
吉原時代の終わり頃、身バレが起きる。
彼女は2015年からブログを書いていたが、料金や売上を具体的に公開していたため、「特定班」に勤務先を割り出された。
彼女がブログを始めた動機は営業ではない。「話し相手が一人もいなかったから、吐き出したかった」からだった。人生の失敗が自分の中でパンクし、書かなければ頭がおかしくなりそうだったという。
書いたものを読み返すことで自分の失敗を客観視できるようになり、のちにジャーナリングと呼ばれる手法を自然に実践していたことになる。そんなブログで、特定班が店や自分を割り出すとは彼女にとっては予想外なことだったという。
吉原を1年弱で辞めたあと、36歳前後で彼女は自分の店を始めた。デリヘルとして届け出を出しつつ、セックスレッスンをコンセプトに掲げた店だ。
開業から9年が経ち、彼女の人生で最も長く続いた職業になっている。広告サイトには出さず、ブログ、ホームページ、記事、Xのアカウントという複数の入口から客が流入する仕組みにしている。
この店に来るのは、風俗に行かない層が中心である。
性被害の当事者や、聴覚障害、発達障害、統合失調症を抱える客、あるいは身体に障害を持っている客も訪れる。3時間服を着たまま会話だけで帰る客もいる。あるいは、公務員の客もいる。
「少し前まではセックスレッスンに来るお客さんの職業ランキングは、3位が医療従事者、2位が公務員、1位がエンジニアだったけど、ここ2~3年はダントツで公務員のお客様に支えられている」と彼女が言う。
多彩で一筋縄ではいかない男たちを相手に、彼女は今日も奮闘しているのだった。
*曼荼羅*さんをインタビューして思ったのは、そのバイタリティだ。もしかしたら私の10倍くらいはバイタリティがあるのではないかと思うほど、日々の生活の中で激しく動き回り、人生にもがき続けている。
新著『限界ヒリヒリ〜おちぶれ続けるデブ風俗嬢の赤裸々日記』は、そんな彼女の風俗時代が信じられないほど濃い密度で、あけすけに書かれた書籍である。ぜひ、手に取ってみて欲しい。




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