見えない2000万人の貧困。私たちと同じ格好をした人たちが人知れず苦しんでいる

日本の貧困線は127万円だ。この水準を下回る人間は、およそ2000万人いる。だが、街を歩いても、その姿は見えない。誰もがそれなりの服を着て、それなりのスマートフォンを持っている。飢えていないから見えず、服装が同じだから見えず、本人が語らないから見えない。しかし、確かに存在する。(鈴木傾城)

鈴木傾城

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com

日本の貧困の最大の特徴とは?

厚生労働省の国民生活基礎調査によれば、2021年時点における日本の貧困線は127万円である。

これは等価可処分所得、つまり世帯全体の手取り収入を世帯人数の平方根で割って調整した金額の、その中央値の半分にあたる水準を指す。この線を下回る人の割合が相対的貧困率であり、同じ調査では15.4%と算出されている。

15.4%という数字そのものは、これまで何度も報じられてきた。だが比率で語ると規模が見えなくなる。日本の総人口はおよそ1億2400万人だ。そこに15.4%を掛ければ、貧困ライン以下で暮らす人間はおよそ2000万人ということになる。

2000万人という数がどれほどの規模かを考えてみてほしい。東京都の人口を上回り、大阪府と神奈川県の人口を合わせた数に近い。オーストラリアの総人口に匹敵する規模の人間が、この国のなかで貧困線の下に沈んでいる。

しかし、これほどの貧困が存在するというのは、なかなか自覚できない。なぜなら、通勤電車の中にも、コンビニのレジ前にも、駅前の商店街にも、明らかに困窮していると分かる人の姿はほとんどないからだ。

誰もがそれなりの服を着て、それなりのスマートフォンを持ち、それなりに清潔な身なりをしている。この落差こそが日本の貧困の最大の特徴だと私は思っている。貧困が「見えにくい」のだ。

2000万人という数は、日本の人口の6分の1にあたる。単純に計算すれば、電車の車両に60人が乗っていれば、そのうち10人が貧困線の下にいることになる。オフィスに50人の社員がいれば、8人前後がその条件に該当してもおかしくない。だが誰も、隣に座っている人間が今月の食費に困っているとは思わない。

貧困が見えないということは、貧困が存在しないということではない。見えないという事実は、それ自体がひとつの現象である。数字の上では2000万人が存在するのに、目視ではほとんど確認できない。

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飢えない貧困という日本固有の形

貧困という言葉から一般に想起されるのは、食べるものがなく、住む場所もなく、衣服も満足に手に入らない状態だろう。これは絶対貧困と呼ばれる。世界銀行が定める国際貧困ラインでは、1日1.90ドル未満で生活する人々がこれに該当する。

私がインドを訪れて衝撃を感じたのは、まさに彼らの存在だった。([復刻版]絶対貧困の光景: 夢見ることを許されない女たち

絶対貧困には明確な特徴がある。外から見て分かるということだ。栄養失調で痩せ細った体、破れた衣服、路上での寝起き。誰が見ても危機的な状況だと判断できる。だからこそ支援が届きやすく、報道の対象にもなりやすい。

日本にも野宿生活者は存在する。厚生労働省の調査では全国で数千人規模とされている。だが2000万人という数字と比べれば、その割合はきわめて小さい。日本の貧困の圧倒的多数は、野宿とは無縁の場所で発生している。

日本で問題になっているのは相対的貧困だ。これは絶対的な生活水準ではなく、その社会の標準からどれだけ離れているかで測られる。

年収127万円という水準は、東南アジアの農村であれば十分に暮らしていける金額だ。だが日本では違う。家賃、水道光熱費、通信費、社会保険料。これらを支払った時点で、手元にはほとんど何も残らない。

相対的貧困の下にいる人間は、飢え死にはしない。生活保護制度があり、国民健康保険があり、公営住宅がある。すぐに命を落とすことはない。だが同時に、この社会で標準とされる生活には届かない。

修学旅行の積立金が払えない。友人との付き合いを断り続ける。虫歯を放置する。エアコンの使用を我慢するなどが日常的に起きている。これが日本の貧困の実像だ。餓死や命の危機ではなく、生活の選択肢が極端に狭まるのだ。

これが外からは見えない。習い事に通っていない子供と、通わせる金がない子供は、道を歩いている限り区別がつかない。だからこそ2000万人が街の風景に溶け込んで見えない。

彼らは飢えていないから、飢えている人間の姿をしていない。

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服装では階層が分からなくなった社会

かつて貧困は服装に表れた。着古した服、サイズの合わない靴、擦り切れた鞄。1950年代や60年代の日本では、経済状態が身なりに直結していた。だが現在、この対応関係は完全に崩れている。

理由は明白だ。低価格の衣料が全国に行き渡ったからである。ユニクロ、しまむら、GU、そして各種のディスカウントストア……。数千円あれば上下一式が揃い、それは決して貧相には見えない。品質も悪くない。

同じことがスマートフォンにも言える。格安SIMと中古端末、あるいは分割払いによって、月々数千円で通信環境が維持できる。所得が低くても、電車のなかで画面を見ている姿は誰とも変わらない。

かくして、外見からの所得推定はほとんど不可能になった。年収1000万円の会社員と年収120万円の非正規労働者が、同じ店で買った同じシャツを着て、同じ路線の電車に乗っている。これが現在の日本の日常風景である。

とりわけ、この「見えなさ」が深刻に作用するのが、子供のいる世帯だ。

厚生労働省の同じ調査によれば、2021年の子供の貧困率は11.5%である。だが世帯の形態別に見ると数字は大きく変わる。子供がいる現役世帯のうち、大人が2人以上いる世帯の貧困率は8.6%にとどまる。

ところが、ひとり親世帯では44.5%に跳ね上がっていく。つまり、ひとり親世帯の2世帯に1世帯近くが貧困線の下にいる。その子供たちは学校で他の子供と同じ制服を着て、同じような文房具を使っている。教室のなかで彼らを判別することはできない。

親の側も同様だ。仕事に出るための服は用意する。参観日には他の保護者と変わらない格好で現れる。外見上の平準化は、貧困層自身が意識的に維持している面もある。安価な衣料が普及したという事情と、外見を保とうとする本人の努力が重なった結果、貧困は視覚から完全に排除された。

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貧困を隠すことで完成する不可視化

日本の貧困が外から見えない理由は他にもある。当事者が「うちは、とても苦しい」というのを外部に黙っている。困窮を口にすれば何らかの配慮や助けが得られるかもしれない。だが、語らない。

言わないのは、いくつかの理由もあるのだろう。2000年代によく言われたのは「貧しいのは自己責任だ」というものだった。すなわち、日本では貧困が「個人の責任」として語られてきたのだ。

実際には政治の無策や弱肉強食の資本主義が加速したことも要因として大きいのだが、それを無視して、「努力が足りない」「計画性がない」「我慢が足りない」と貧困の当事者を責めるような論調ばかりが目立った。

そうなると、困窮を打ち明けることは、自分の無能を公表することと同義になってしまう。実際、そうなってしまったのが日本なのだ。

そもそも、日本で困窮を語れる場はあるのだろうか。職場で今月の家賃が払えないと言えば、その情報は評価にマイナスとして反映されるだろう。友人に打ち明ければ、次から誘われなくなるだろう。子供の学校で経済的な事情を説明すれば、子供が周囲から特別視されてしまうだろう。

そうなると、黙っている方がいいという判断になる。

生活保護をめぐる状況も芳しくない。日本では、生活保護を受給する資格がある人のうち、実際に受給している人の割合は、わずか2割前後という推計がある。資格があっても、あえて生活保護を受けない人が大半なのだ。

実のところ、窓口で申請書を渡さずに追い返す運用は、水際作戦と呼ばれ、繰り返し問題視されてきた。親族に扶養照会が届くことを恐れ、申請をあきらめる者も多い。あと、不正受給報道が繰り返されるたびに受給者への視線は厳しくなっていく。

こうして貧困は、統計のなかにしか存在しない現象になった。2000万人という数字は国の調査によって捕捉されている。だが、その2000万人が個別に声を上げることはない。飢えていないから見えず、服装が同じだから見えず、本人が語らないから見えない。

折しも、物価の上昇も厳しいものになっている。そんな中、日本の貧困は、静かに、誰にも気づかれないまま、2000万人分の生活を締め上げている。彼らはすでに例外的な存在ではない。私たちと同じ格好をした人たちが誰にも何も言わず、苦しんでいる。

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