
インドの株式市場は2026年に入ってから一気に下落の基調となり、街では失業者が増えている。そして、「害虫」の仮面をかぶった若者たちが声を上げて、政府に抗議運動を続けている。世界最大の人口を抱え、次の経済大国として期待を集めてきたはずのインドだが、今は瀬戸際に追い込まれている。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com
インドで今、何が起きているのか
世界最大の人口を抱え、次の経済大国として期待を集めてきたはずのインドだが、不穏なことになってきた。
私自身も数年前まではインド経済には楽観的な見方をしており、インドの株式市場はこれからも上昇し、インド経済はどんどん活況になっていくのだと考えていた。ところが今、大きなうねりに飲まれている。
インドの株式市場は2026年に入ってから一気に下落の基調となり、街では失業者が増えている。そして、「害虫」の仮面をかぶった若者たちが声を上げて、政府に抗議運動を続けている。
彼らはSNSで「ゴキブリ人民党」を名乗っている。きっかけは、最高裁長官のある発言だったという。失業中の若者を「ゴキブリ、寄生虫」と侮蔑的な比喩で例えたその一言が報じられると、若者の怒りは爆発し、風刺サイトが立ち上がったのだ。
与党本体のフォロワー数は900万人程度であるのに対し、この風刺サイトのフォロワー数は2300万人を超えるまでに膨れ上がっている。インド国内ではデモ自体は日常茶飯事だが、特定の世代を横断する形でのこの規模のデモはかなり異例である。
高い経済成長率を誇っているはずのインドで、なぜここまでの怒りが表面化したのか。それは、インドの中間層を長年支えてきた巨大な雇用の柱が、いま静かに、しかし確実に崩れはじめている事実がある。
世界中の企業が一様に導入を進めているある技術が、インド経済の足元を直撃しているのだ。
それは、言うまでもない。AIである。
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表面化した若者の怒りと失業の実態
最高裁長官の「ゴキブリ、寄生虫」発言が報じられたことで、若者の怒りは一気に表面化した。
アメリカ在住のインド人が開設した風刺サイトは、この発言を皮肉るかたちで、失業問題や経済的な格差、さらには医学部入試における漏洩事件など、若者の関心事をいっせいに取り上げ、急速に支持を広げている。
インド全体の失業率は全体をみると低い水準にあるとされるが、若年層に限定すれば事情はまったく異なる。学歴が高ければ高いほど失業率もかえって高いというねじれた現象があり、優秀な人材ほど国外へ流出する傾向が強まっている。
教育を受けた層は農業や単純労働を敬遠し、オフィスワークや安定したホワイトカラーの職を強く望む。ところがインド国内では、経済成長の割にはそうした「質の高い雇用」が十分に創出されていない。
国内の雇用市場において、高い専門知識を活かせるポストや、能力に見合った高報酬が十分に用意されていない場合、優秀な人材は欧米諸国などのより好条件な環境を求めて出ていく。
ブルーカラーはブルーカラーで、やはり高い賃金を求めて国外に目を向けている。中東で働くインド人労働者はすでに900万人を超えている。国内に十分な雇用がないために、学歴の高低を問わず多くの若者が海外に稼ぎを求めざるを得ない状態なのだ。
こういう状況に若者も不満を抱いていた。それが、最高裁長官の侮蔑的な発言で、いっせいに表に噴き出したと見るのが妥当である。
ここで注目すべきは、デモの主体が農業従事者や銀行員といった特定の業種ではなく、世代そのものである点だ。
これはインドの民主主義の歴史の中でも異例の出来事であり、政治がこれまで焦点を当ててこなかった若年層の雇用問題に、否応なく光が当たる結果となった。だが、この若年層の雇用問題こそが、次に見る、より深刻な変化の入口にすぎない。
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ホワイトカラーを直撃する本当の震源地は?
インドの株安の背後には、デモよりもはるかに根深い変化がある。同国が長年「世界のサービス業の中心地」として担ってきたアウトソーシングとIT産業で、ホワイトカラーの雇用がいっせいに失われはじめているのだ。
トーマス・フリードマンの世界的ベストセラー『フラット化する世界』で描かれていたのは、インターネットによって大企業が資料作成やコールセンターを賃金の安いインドにアウトソーシングする時代を描いていた。
皮肉なことに、AIはこの流れをとめようとしている。
米企業がより少ない人員で同じ業務量をこなせるAIツールを導入したことを背景に、大手IT企業はインドの従業員の5分の1にあたる1万人をすでに解雇し、大手ネット通販企業も人員削減に踏み切ったと報じられている。
ある大手金融機関の幹部は、インドの従業員数が3分の1縮小する可能性に言及している。バンガロールやグルグラム、プネといった都市にあるグローバル企業の拠点では、離職率がすでに二桁に達した。
この変化は1〜2年という短期間で急速に進んだ。今後もAIはより進化していくわけで、とまらないだろう。アウトソーシングとIT分野には合計で1500万人が雇用されており、これはインドの中産階級そのものを支える存在だ。彼らが無用になってしまっている。
「AIデフレ」と呼ばれる現象もすでに起きている。
これは、新卒者を積極的に採用してきたインドのIT企業の売上成長が鈍化する現象を指す言葉で、業界首位企業の2026年3月期の米ドル建て売上高は、2004年の上場後で初めて減少した。
インドの年間経済成長率は7.8%という高水準だが、経済成長と雇用創出はもはや一致していない。インド政府の経済調査報告書によると、生成AIモデルの登場以降、労働集約度は低下してきている。
AIはインドの若者や中間層を駆逐しようとしている。それも急速に。まさか、こんなことがほんの1年、2年のうちに起こるとは誰が想像しただろうか。
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消費崩壊と金融リスクへの連鎖
雇用の縮小は、すぐに消費の縮小へとつながる。インドの個人消費はGDPの約6割に相当し、その裁量支出(生活必需品以外の支出)の3分の2を、年収1万5000ドル前後の上位1億4000万人が占めているという推計がある。
この層の所得が少しでも減れば、住宅や自動車から外食、イベントといった裁量的な支出は一気に削られる。実際、インド最大手の自動車メーカーは2025年に小型車販売の鈍化に直面し、欧州系の日用品大手のインド法人も都市部での需要低迷にすでに苦しんでいる。
今後2年間でアウトソーシングとIT分野が抱える1500万人の雇用のうち3割が失われた場合、主要消費者層は約500万人減少し、年間で約750億ドルの消費が消える計算になる。これは、インドの主要株価指数を構成する企業の年間純売上高の1割に相当する規模でもある。
さらに深刻なのは、家計債務がすでにGDPの41.9%に達している点だ。
その多くは資産形成のためではなく、海外旅行や結婚式、スマートフォン購入といった消費を賄うための借入である。
インド人が借入金の返済に充てる所得の割合は13%で、中国の8.5%や米国の8%をはるかに上回っている。住宅以外の個人融資は家計債務の55%を占め、住宅ローンよりも急ピッチで増加している。
この変化はもはや無視できないリスクだ。
AIが生み出す雇用の変化は、長期的には新たな職を生み出す可能性も指摘されているが、その過程でインドの消費と人口構成の強みが、まったく違う意味を持ちはじめていることは間違いない。
インド経済は、静かな崩壊の入口に立っているのかもしれない。中間層という土台が崩れれば、消費も金融も道連れになる。
1500万人の雇用が消える日は、もはや遠い未来の話ではない。次にやってくるのは、若者の抗議デモではなく、本格的な経済危機そのものかもしれない。インドという巨象は、AIによって足元から崩れ落ちてしまうのか。
実に不穏なことになってきた……。







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