
実のところ、「頑張れば報われるというのは嘘だ」と、多くの人が心の奥底で薄々感じているはずだ。なぜなら、社会でいろんな経験をすると、自ずと報われない経験も重ねるからだ。それでも、「頑張れば報われる」という言葉は呪縛のように人々を縛っている。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com
彼女たちは貧困のまま抜け出せなかった
私は東南アジアで、長いあいだ貧しい女性たちとかかわってきた。タイ、カンボジア、インドネシア、フィリピン……。どの国にも、懸命に働いているのに貧困から抜け出せない女性たちがおびただしく存在していた。
彼女たちは怠けていたわけではない。むしろ逆だ。早朝に起き、深夜まで働き、過酷な社会に揉まれながらも耐え、必死で働いていた。それでも彼女たちの生活は変わらなかった。
変わらないどころか、年を追うごとにじわじわと悪化していった。
インドでは物乞いで生きている女性たちと知り合って知り合いになった。10年後、そこに戻ってみると、彼女たちはまだ物乞いで暮らしていた。時代は変わっていたのだが、彼女たちは貧困のまま抜け出せなかった。
この女性たちの話は書籍にもまとめている。(アマゾン:絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち)
彼女たちは自分の置かれている境遇に対して怒りも悲しみも感じていなかった。なぜなら、生まれながらにして彼女たちはそういう「境遇」だったので、それが日常だったからだ。
貧困に対する悲しい受容がそこにあった。「頑張れば何かが変わる」という感覚なんかそこにはない。最初から彼女たちに、そんな感情はなかった。それは「あきらめ」ではなくて、明らかに現実の受容であったと言える。
貧困が世の中からなくなると言っている人がいるが、私はそんな楽観論は一度も信じたことはない。資本主義は明らかに格差を拡大させるシステムなので、貧困と格差はむしろ拡大していくのだ。
「頑張れば報われる」と思える人は、きっと恵まれた人なのだろう。
[復刻版]絶対貧困の光景: 夢見ることを許されない女たち (セルスプリング出版)
インドの貧困地獄から這い上がれない底辺で生きる女たちの壮絶な日々を追う!インドの貧しい女たちの生き様とは?
頑張っても報われない人の方が多数派
「頑張れば報われる」という言葉は、日本でも広く信じられてきた。学校でそう教わり、親にそう言われ、社会もそれを前提に動いてきた。努力と結果が正比例するという信念は、戦後日本の高度成長期を支えたイデオロギーでもあったのだ。
奇妙なことに、そのイデオロギーは今もなお、ほぼそのままの形で若い世代に継承されている。そういう空想みたいなものを何の疑いもなく信じている若者がいるが、それが不思議でしかたがない。
現代の日本では16%、つまり6人に1人が貧困ライン以下の生活を送っている。非正規雇用で働き続け、手取りが増えない、将来の展望が持てない、という人間は日本にも大勢いる。
彼らの多くは怠けているわけではない。むしろまじめに、懸命に、毎日を送っている。それでも報われないのだ。資本主義に合っていない性格の人は無数にいるし、金融リテラシーが身につかない人も多いし、運がなかった人もいる。当たり前だが、誰もがただ頑張っただけで成功できるわけではない。
頑張っても報われなかった人たちの方がむしろ多数派だ。
「努力はかならず実る」という言葉が嘘だと言いたいわけではない。問題はもっと根本的なところにある。この言葉が前提としている「努力できる条件」そのものが、最初から平等に与えられていないという事実だ。
たとえば、日本の平均世帯年収は約536万円なのだが、東大生の42.2%は世帯年収950万円以上の家庭出身であったりする。
つまり東大という日本最高峰の大学には、平均的な家庭よりはるかに豊かな環境で育った子供が大量に流れ込んでいるのだ。豊かな家庭の子供は遺伝子にも勉強環境にも教育費にも恵まれている。
文部科学省の調査では、両親がともに大卒の場合と高卒以下の場合とを比べると、子供の大学進学希望率に30〜40ポイントもの差が生じており、家庭の経済状況よりも親の学歴のほうが進学に強い影響を与えている。
子供が「頑張るかどうか」以前に、頑張ることを選択できる環境そのものが、すでに生まれた家庭によって決まっている。
【小説】背徳区、ゲイラン
シンガポール・ゲイラン。何も信じない、誰も信じない女に惹かれた先にあったのは?
「頑張れば報われる」のは恵まれた人
東南アジアで出会った女性たちを思い返すと、この話はさらに明確に見えてくる。
フィリピンやカンボジアの農村部に生まれた女性の多くは、10代のうちから家族の生活費を稼ぐために働き始める。学校に行けないし、行ったとしても十分な教育を受けられない。
そんな不利な状況で社会に出る。だから収入が低い職業しか選べない。
貧困が生み出している負の連鎖は、個人の意志とはほとんど無関係に進行する。彼女たちは怠けているから貧しいのではない。むしろ彼女たちの多くは、日本の平均的なサラリーマンよりはるかに過酷な条件で、はるかに長い時間を働いている。
たしかに、極貧の中で頑張って報われた人もいるので、絶対に報われないわけではない。しかし、そんな環境で成功できるのは本当に希少なケースで、おそらく数パーセントに満たないのではないか。
ほとんどの場合、「頑張れば報われる」のは、すでに一定の条件が整っている恵まれた人なのだ。
安定した家庭環境、教育へのアクセス、健康、人脈、情報、そして失敗しても立ち直れるだけの経済的な余裕……。これらをすでに持っている人間にとって、「頑張る」という行為は確かに成果に結びつきやすい。
何も持っていない人間は、「頑張る」こと自体が挫折と絶望を生み出す元凶になる。頑張れば頑張るほど摩耗し、心身が壊れてしまう。
この不均衡な現実を前にしてもなお、多くの社会は「努力が足りない」という言葉で貧困や格差を説明しようとする。それは単純に間違っている。貧困は怠惰の結果ではなく、最初から存在する社会的な不平等の結果でもある。
余裕がなければ学べない。学べなければ選択肢が広がらない。選択肢がなければ、どれほど頑張っても到達できる場所に上限がある。
コルカタ売春地帯: インド最底辺の女たちとハイエナの物語 (セルスプリング出版)
インド最底辺の売春地帯に沈没していた私は、ある日ひとりの女と出会った。彼女は「人を殺した」という噂があった。
無意識の自己防衛が含まれている
実のところ、「頑張れば報われるというのは嘘だ」と、多くの人が心の奥底で薄々感じているはずだ。なぜなら、社会でいろんな経験をすると、自ずと報われない経験も重ねるからだ。
それでも、「頑張れば報われる」という言葉は呪縛のように人々を縛っている。
それは学校で教えられ、親から言い聞かされ、職場の朝礼で繰り返され、自己啓発本にも刷り込まれる。この言葉がこれほど生命力を持ち続けるのには、理由がある。この言葉を流通させることで、得をする側が存在するからだ。
それは資本主義の中で圧倒的に有利な立場にいる人間だ。あるいは社会的に成功した人もその言葉を流通させる。
「頑張れば報われる」という言葉は、すなわち個人の成功も失敗も、すべて本人の努力次第だという論法につながる。そうすると、低賃金や貧困は「努力不足の結果」となり、社会として解決すべき問題ではなくなる。
雇用する側は賃金を抑えたまま「もっと頑張れ」と言い続けられる。国は社会保障を削りながら「自助努力」を促せる。この言葉は、現実の不均衡を覆い隠す機能を果たしている。
何かを成し遂げた人間は、自分の成功を「努力の結果」として解釈したがる。そうでなければ、自分の現在の地位が偶然や環境の産物に過ぎないことを認めなければならなくなるからだ。
成功した人間が「頑張れば報われる」と語るとき、その言葉には無意識の自己防衛が含まれている。成功を努力の報酬だと信じることは、失敗を怠惰の罰だと信じることと表裏一体なのだ。だから、多くの金持ちは報われなかった人に対して冷たい態度をすることが多い。
東南アジアで出会った女性たちのことを、今でも考える。
彼女たちは頑張らなかったのではない。頑張っても報われないという現実を、何年もかけて身体に刻み込まれた。にもかかわらず、社会は「頑張れば報われる」という言葉を彼女たちに強いる。
その言葉が彼女たちをどれほど傷つけるか、言う側は考えない。頑張ることが前提の社会では、頑張っても変わらない現実は存在しないことにされる。存在しないことにされた苦しみは、当事者の内側に積もっていくだけだ。
「頑張れば報われる」という言葉の残酷さが分かる人は心が優しい人なのだと私は思っている。その残酷さがきちんと理解できる人と私は友だちになりたい。







コメント
傾城さん、それでも日本はまだマシな方だと思います。東大生の42.2%は世帯年収950万円以上の家庭出身ということは、過半数は普通の年収の世帯家庭出身だということですから。ロイヤルファミリーの息子さんでも東大には行けませんでした。日本人の成功者は、「頑張れば報われる」と語る人もいるかもしれませんが、「自分は幸運だった、まわりの人に恵まれていた」という言葉をいう人も多いですし。東南アジアの学歴社会や、貧富の差を逆転することの難しさは、日本の比ではないです。
私自身も社会に出た瞬間にバブル経済の恩恵を受けているわけで、幸運だったとしか言いようがないと思います。もし、私が社会に出るのが5年遅れていたら、完全に違った人生になっていたはずです。場合によっては頑張っても報われなかったかもしれません。それを思うと、人生は薄氷の上を歩いているようなものなのだと自覚されます。
私は、傾城さんよりも数年社会に出るのが遅れましたが、傾城さんのサイトに出会えて、米国株に投資するようになり、うまく資産を増やすことができました。ネットで株式売買ができるシステムや、種銭となる預金をしっかりできる日本社会は、なんだかんだ言っても恵まれた環境だと思います。
いつもありがとうございます。
頑張りました。
頑張ってます!
こんなに頑張ってるのに!
進行形でよく聞こえては来ますが当人から言われると非常に不愉快な気持ちになりますね。
今夜もどこの誰かもわからない男の部屋のベッドで寝る事になるかもしれない真夜中のあの彼女達にもやはり「頑張ってね」なんて言葉は言えません。
地震や津波の被災地の方にも私は「頑張って」なんて言えませんでした。
挨拶程度で使うのも失礼ですし、使いにくい変な呪縛めいた言葉だと思っていました。
ありがとうございます。