ウタン・ナ・ローブ。フィリピン女性と結婚する日本人男性が知っておくべき概念

子供の貧困が定着した日本では廃れつつあるが、「仕送り」という文化はあることはある。しかしフィリピンのそれは性質が異なる。フィリピンの送金要求は、どこまでも終わりがないのだ。そして、子供たち(特に長女)は必死になってそれに応えようとする。「ウタン・ナ・ローブ」という概念があるからだ。(鈴木傾城)

鈴木傾城

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com

ありとあらゆる名目で親に送金する

フィリピン女性と結婚した日本人男性は多いが、夫婦の仲に亀裂が入るほど問題となるのは彼女たちの「親の仕送り」だ。親のためには自分の手元にはほとんど現金が残らないほど無謀な額を親に送金してしまう。

いくら怒っても、諭しても、送金をやめることはない。両親の生活費、兄弟の学費、祖父や祖母の医療費、家の修繕費。ありとあらゆる名目でフィリピン妻は送金をする。そうしたフィリピン女性の多くは、長女であることが多い。

フィリピンは世界有数の海外出稼ぎ労働者送出国である。フィリピン海外雇用庁(POEA)のデータによれば、海外で働くフィリピン人労働者(OFW)の数はおよそ200万人超にのぼり、その送金額はGDPの9%前後を継続的に占めている。

中東に出稼ぎに言っている女性も多い。メイド(家事労働者)、弁護士、看護士……。いずれも女性が圧倒的多数を占める職種でもある。彼女たちが日本人と結婚した女性と同じように自分の生活費を削ってでも送金をする。

彼女たちは別に誰かに強制されているわけではない。法律で定められているわけでもない。自発的にそれをしている。自分の老後資金を積み立てることもなく、恋愛も結婚も先送りにしながら、毎月決まった額を実家に振り込み続ける。

子供の貧困が定着した日本では廃れつつあるが、「仕送り」という文化はあることはある。しかしフィリピンのそれは性質が異なる。フィリピンの送金要求は、どこまでも終わりがないのだ。

病気になっても、年を取っても、自分自身が逆に助けを必要とする立場になっても、送金をやめようとしない。このあたりの彼女たちのメンタリティは日本人には到底理解できないものであるのかもしれない。

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現代のソドムとゴモラ。堕落と快楽と貧困とマネーが渦巻くフィリピンの売春地帯を鈴木傾城がさまよい歩く。

「ウタン・ナ・ローブ」という概念

フィリピンのタガログ語に「Utang na loob(ウタン・ナ・ローブ)」という言葉がある。直訳すれば「内なる負債」だ。日本語の「恩」に近いが、もっと重く、もっと具体的な義務感をともなう概念である。

親に産んでもらった、育ててもらった、学校に行かせてもらった。それらすべてが「負債」として子供の内側に蓄積され、返済し続けることが人間としての誠実さの証明とみなされる。

この概念自体は、相互扶助の精神として機能してきた側面もある。貧しいコミュニティの中で助け合うための、非公式のセーフティネットだった。問題は、それが長子に対して沈黙の圧力となることだ。

フィリピンの家族観において、長子、とりわけ長女は特別な位置に置かれる。「Ate(アテ)」と呼ばれる長女は、親の補佐役であり、弟妹の第二の親であり、家族の経済的支柱候補でもある。

この役割は生まれた順番によって自動的に割り当てられる。本人の意志は関係ない。幼少期からそう育てられ、そう期待され、そうあることを内面化していく。重要なのは、この期待が「愛情の表現」として与えられる点だ。

「あなたは特別だから」
「あなたにしか頼めない」
「家族はあなたを信じている」

これらの言葉は、子供にとって誇りと責任感をともなって受け取られる。これに応えようとする行動が、すなわち「送金」になっていくのだ。見る人が見れば、「親による子供への搾取」でもある。

だが、それは愛情と区別がつかない形でおこなわれる。だからこそ、当事者は長いあいだ、それを搾取だと認識できないのだ。そこにカトリックの影響も混じっていく。

フィリピンは国民の約80%がカトリック教徒であり、「犠牲」と「奉仕」は宗教的な美徳として日常に浸透している。自分を後回しにして他者のために尽くすことは、信仰の実践とほぼ同義に語られる。

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「愛情」と「恩」と「信仰」と「刷り込み」

厄介なのは、この負債には終わりがないことだ。どれだけ送金しても、どれだけ尽くしても、「ウタン・ナ・ローブ」は消えない。むしろ親が年を取るほど、弟妹が増えるほど、負債は膨らんでいく。

返しても返しても終わらない借金と同じ原理がここにある。

フィリピン大学の社会学者たちはこの問題を以前から指摘しており、長子、特に長女にかかる経済的・心理的負荷は、他のきょうだいと比較して統計的に有意に高いというデータが複数の調査で示されている。

にもかかわらず、社会全体としての問題認識はまだ薄い。「家族を大切にする文化」という肯定的なフレームが、問題を覆い隠し続けているからだ。

子供たち、特に長女が「断れない」のは、意志が弱いからではない。断るという選択肢が、彼女の育った世界の中にそもそも存在しなかったのだ。それは、「愛情」と「恩」と「信仰」と、「幼少期からの刷り込み」でできている。

ここまで強固だと、もはやそれ自体がアイデンティティと化す。

送金をやめた長子に何が起きるか。結論から言えば、家族という単位を超えた、共同体全体からの攻撃が始まることも多いのだ。

あるフィリピン人女性は、シンガポールで働きながら8年間送金を続けた後、心身の限界から送金を大幅に減額した。翌月、母親からメッセージが届いた。そこには、このように書かれていた。

「あなたは家族を見捨てた」

その数日後、親族のグループチャットに彼女の「裏切り」が共有され、叔母や従兄弟たちからの非難が殺到した。彼女の評判は完全に失墜した。これは極端な例ではないというのだ。むしろ典型的な展開だ。

フィリピンの地方コミュニティは、いまもSNSによって強固に結びついている。FacebookはフィリピンのSNS普及率のほぼ頂点に位置しており、地方の親族ネットワークはグループチャットで日常的につながっている。

ストレッチマーク: 真夜中の女たちが隠していたこと
鈴木傾城の短編小説。タイの首都バンコクの歓楽街で、ノックというバー・ガールと出会い、親しくなる。彼女をバーから連れ出すには、彼女の親友ダーウの許可が必要なのだった。

フィリピン女性と結婚する日本人男性

「あの子は親不孝だ」という評判は、将来の結婚にもかかわってくる。フィリピンでは配偶者を選ぶ際に、その人物が家族にどう接しているかが重要な判断基準とされる。家族への仕送りをおこなっていない人間は、「信頼できない人物」とみなされる。

つまり送金をやめることは、恋愛市場における自分の価値をも毀損する行為として受け取られる。

長子が送金を減らすと、親はしばしば「病気になった」「具合が悪い」と連絡してくる。実際に体調を崩している場合もあるが、そうでない場合も少なくない。罪悪感を呼び起こすための、半ば無意識的な圧力である。

「自分が送金をやめたせいで親が倒れた」という感覚を植えつけることで、長子を引き戻す。

フィリピンでは、長子が家族の教育費を負担するケースが多い。弟妹がまだ学校に通っている段階で送金をやめれば、弟妹の進学が止まる。その責任を長子に帰する言説が、家族の中で公然と語られる。

「お姉ちゃんが送金をやめたから大学に行けなくなった」という言葉は、長子に対する最大級の攻撃として機能する。

こうした多層的な制裁の前では、「逃げる」という行為は単純な決断ではない。

職を失うわけでも、法律に違反するわけでもないのに、逃げることのコストはあまりにも高い。共同体からの排除、家族関係の断絶、評判の失墜、そして自分自身の罪悪感……。それらがいっせいに自分の身に降りかかる。

多くの長子が逃げられないのは、逃げた先に待っているものの重さを、すでに本能的に知っているからだ。

フィリピン女性と結婚する日本人男性は、こういう事情をよく知った上で結婚すべきなのだろう。「ウタン・ナ・ローブ」は、やがて妻の夫にも振りかかってくるものなのだから……。

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