
タイ人は占いが大好きで、それは単なる娯楽ではないようにも見える。ほとんどの国民が占いに厚い信頼を寄せており、社会的地位が高く教養のある人間でさえ、投資判断、事業の開始、赤ちゃんの名前まで占い師に相談する。それは合理的ではないように見えるが、もしかしたら権力者には裏があるのかもしれない。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com
タイのほとんどの人はそれを本気で信じている
タイ人は占いが大好きで、それは単なる娯楽ではないようにも見える。ほとんどの国民が占いに厚い信頼を寄せており、社会的地位が高く教養のある人間でさえ、投資判断、事業の開始、赤ちゃんの名前まで占い師に相談する。
それこそ3000年前から「曜日占い」をしていた壁画などが残っており、占いとのかかわりは筋金入りである。今でも、それぞれの寺院に占い師がいたりする。そして、有名な占い師であれば、遠方からも客が来て行列ができたりする。
ちなみに「曜日占い」というのは、自分の誕生日の曜日が何であるのかを確認して占うものだ。それぞれの曜日にはラッキーカラーと守護仏像がある。ほとんどの人は、それを本気で信じている。
かつてのタイの首相であったタクシン・シナワトラも、占い師の言うことを聞いて政治をしていたりしていた。しかも話を聞いていた占い師は1人や2人ではなく、専用の占い師を大勢抱えていた。
タクシンだけではない。他の政治家も似たようなものだ。そのため、選挙が始まると、政治家たちが占い師のところに殺到するような事態も起きている。ここまで来ると、合理性を完全に放棄しているとも言えるが、タイではそれが普通なのだ。
ここ最近では、著名な占い師が、タイ・カンボジアの国境情勢について「1〜2日以内に重大な事件と深刻な騒乱が起きる」と予言してパニックが発生し、その占い師が激しくバッシングされるという事件もあった。
もう「信じる」とか「信じない」というレベルだとか問題ではない。占いを「信じる」のが当たり前で、信じなければ共同体から排除されかねないようなところまで来ている。一神教の国々で神を信じない人間は非国民扱いになるのと同様だ。
それを考えると、宗教も占いもスピリチュアルもオカルトもいっさい信じない私は、必然的に「部外者」扱いされてしまうのは想像に難くない。
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「バーナム効果」に「自己成就予言」
人は信じたいものを信じるので、占いを信じるのであれば勝手に信じていいと思うが、私自身は信じることはないだろう。
「あの占い師、すごく当たった」という話は、タイに限らず世界中で聞かれる。しかし、それはほぼ例外なく錯覚に基づいているのではないかと考えている。占いが「当たる」のは、占い師に特別な能力があるからではなく、人間の脳が「当たった」と感じるように作られているからだろう。
「バーナム効果」と呼ばれる心理現象を聞いたことがあるだろうか?
「あなたは外面では社交的だが、内心では孤独を感じている」
「過去に深く傷ついた経験が、今の行動に影響している」
そんな言葉を聞かされると、多くの人間は「まさに自分のことだ」と感じる。だがこれは、ほとんどの人間に当てはまる「普遍的な心理現象」に過ぎないのだ。つまり、誰でもそういうのを抱えている。
しかし、占い師に面と向かって言われると、あたかも自分の内面の心理を読まれたかのように思ってしまう。
占い師はこの技術に長けており、誰にでも該当する曖昧な言葉を、まるで個人の核心を言い当てたかのように語る。客はそれを「的中」として受け取る。
他にも、客との雑談の中でも客の人間関係や経済状況や心理状態を把握しておき、それを組み合わせて、あたかも何かを知っているかのように話すような話術も使われる。タイで「当たる占い師」として評判が広まるメカニズムも、本質的にはこれだ。
恐ろしいのは「自己成就予言」だ。「今年の後半、あなたに大きなチャンスが来る」と言われた人間は、無意識のうちにチャンスを探し始め、行動が積極的になり、実際に何かをつかむ確率が上がる。
これを「占いが当たった」と解釈する。だが起きたのは、信念が行動を変え、行動が結果を変えただけのことだ。占い師の霊力とは無関係である。
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それは「責任転嫁」だったのかもしれない
占いが単なる娯楽や個人の信仰にとどまるなら、それほど問題ではない。しかし歴史を見れば、占いは一貫して権力と結びついてきた。支配する側が被支配者の意思決定に介入するための、きわめて効率的な道具として機能してきたのだ。
タイはその構造が現代まで生き残っている、世界でも稀な国なのかもしれない。
タイは民主主義国家だが、同時に国王を頂点に抱く君主制国家でもある。その王室にも専属の占星術師が存在し、国事の重要な局面で助言をおこなうとされている。首相就任の日取り、重要な政策の発表タイミング、外交交渉の開始時期などの決定には、常に占いによる「霊的な判断」が混入する。
なぜ権力者は占いを手放さないのだろうか?
この点、私は不思議に感じていたのだが、もしかしたら理由は非常にシンプルなことなのかもしれない。たとえば、それは「責任転嫁」のための道具だったのかもしれない。そう考えると、私にも占いの意義が納得できる。
占いは責任を曖昧にする。「占い師がそう言ったから決断した」という論理は、失敗したときの責任の所在を霧散させる。政治家にとっても経営者にとっても、これは非常に都合がいい。失敗したら占い師のせいにできる。
あるいは、権力者は占い師に自分の思っていることを、占い師に読み取らせて言わせるということもできる。そうすると、自分の意見を占いで補強することさえもできるはずだ。自分の言いたいことを操りの占い師に言わせればいい。
国民全体が占いを信じているのであれば、「占いの言葉を支配する」ことによって人々を誘導することさえできる。成功すれば自分の成果にして、失敗したら占い師の失敗にできる。
占い師が繁栄する社会は、権力にとって御しやすい社会でもある。
占いを信じる民衆は、自分が操られていることに気づかない。それどころか、占い師に感謝し、お布施を払い、口コミで評判を広める。支配される側が支配の装置を自発的に維持し、強化していく。
そう考えると、占いを信じているフリをして、占いを通して社会を誘導する権力者は実に「頭が良い」とも言えなくもない。
邪悪な世界の落とし穴: 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナに落ちる
邪悪な世界が私たちにワナを仕掛ける。それは1つ2つのワナではない。いくつものワナが同時並行に多重に連なりながら続く。
それをうまく利用するのが合理的な生き方
人間は未来が見えない。どれほど優秀な頭脳を持ち、どれほど情報を集めても、明日何が起きるかを完全に予測することは誰にもできない。この根源的な不安は、理性では完全に処理できない。
そんな中で人々は重要な意思決定をしなければならない。
意思決定をするということは、何らかの責任を負うということでもある。その決定が大きく間違っていた場合、責任はすべて自分が負わなければならない。選択が正しければ良いが、間違えたときは大きなダメージをこうむる。
その重さを丸ごと自分で引き受けなければならない。これが苦しい。
占いはその重さを分散させる装置として機能する。「占い師がそう言ったから」という理由があれば、失敗しても責任の一部を外部に預けられる。自分ひとりで決断する孤独と重圧から、一時的に解放される。
これは弱さであると同時に、あまりにも人間的な反応かもしれない。
これらの弱さは、誰でもある。日本人も、欧米人も、同じ弱さを抱えている。星座占いが雑誌から消えない理由も、血液型で人を判断したがる傾向が消えない理由も、根は同じだ。
何か悪いことが起きても「自分ではどうしようもなかった」という免罪符の役割を引き受けるのが占いの利用法だったのである。占いで「あなたは悪いことが起こる」と言われたら、実際に悪いことが起こっても自分の責任にならないのがいい。
いずれにしても、非合理なものを信じるよりも、そういうのが社会で受け入れられているメカニズムを解析して、それをうまく利用するのが合理的な生き方でもある。「信じているフリをして利用する」「責任転嫁のために占いを利用する」というのが、占いのうまい付き合い方なのかもしれない。







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