
私の人生は売春地帯で生きる女性やセックスワーカーたちを見つめて考える人生だったのだが、どこの国でも結局のところ女性の不幸の大半は「カネがない」ことに尽きると思っている。
ただ、カネがないだけでもつらいことだが、どん底の女性たちが金縛りのように不幸に固定されてしまうのは借金があるからだ。この世で借金ほど人の心を荒ませて、人生を破壊するものはないと思う。
それほどまで、借金を抱えてしまった女性の不幸は顕著でもある。
かつてのタイにはヤワラート地区に冷気茶室という売春宿があって、そこにはタイ北部から売られてきた少数民族の女性たちが大勢いた。彼女たちは大半が親の借金のせいで売られていた。
驚くかもしれないが、貧しい東北地方や北部の農家や少数民族は、冷蔵庫を買いたいがために娘を売る時代もあったのだ。
親が借金を返せなくなって女衒《ぜげん》に娘を売ってカネを作るというのは、1990年代のカンボジアでも普通に見た。1990年代のカンボジアは首都プノンペンも置屋まみれだったが、大半の女性は親の借金が返せなくなったことによる犠牲だった。
私がカンボジアのベトナム人村で知り合った女性のひとりは、父親が貧しい農家で、ギャンブル狂で、酒飲みで、借金を返すアテがまったくなかった。彼女はその父親に売られて、もはや戻るアテもなくて精神的にも荒んでいた。
この世は資本主義であり、何でも売れる。自分の娘ですらも売り物になる。売られた女性は、今度は自分の身体を売る。そうやって、不幸の売買が繰り返される。そういうのを見ていて、私は本当に資本主義の残酷さを考えずにはおられなかった。
もちろん、極貧の環境でも、経済観念がしっかりした女性もいる。しかし、そうした女性でもうまく切り抜けられないことが多い。なぜなら、自分自身の病気や事故、あるいは家族の誰かが倒れたときに、それを支えるだけのセーフティネットが存在しないからだ。
誰でも病気になるし事故にも遭う。その瞬間に、足下はもろくも崩れていく。



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