
自己評価が極度に落ちてしまうと、人は「自分の存在」そのものを否定するようになる。「自分は役に立たない」「生きていても意味がない」という思考が日常を支配し、外に向けて行動する力がなくなっていく。人との交流を避け、社会的なつながりが断たれ、孤立が深まる。そして、やがて深刻な問題が起こる。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
やがて、あきらめの中で生きることになる
社会の底辺に生きる人々は、日々をつなぐためだけの労働に縛られている。厚生労働省の調査によると、2025年の全国平均最低賃金は時給1004円である。東京では時給1150円を超えるが、地方では900円台にとどまる地域が多い。
この賃金でフルタイム労働をしたとしても、年収は200万円前後にしかならない。単身であっても都市部の家賃や生活費をまかなうのは難しい。結婚が減るのもわかる。家庭を持つ余裕がないのだ。
こうした労働環境では、日々の出費を抑えるために安い食料を買い、古い住宅に住み、娯楽や余暇を切り捨てざるを得ない。総務省の家計調査によれば、最低所得層の世帯は食費に占める割合が40%近くに達している。
可処分所得が少ないため、食費が生活費全体を圧迫する。安価な加工食品や炭水化物に偏る食生活は、健康にも悪影響を与える。生活習慣病の発症率が低所得層で高い傾向にあるのは、まさにこのシステムがあるからだ。
社会の底辺では、非正規雇用比率が依然として高く、2024年のデータでは労働者全体の約4割を占めている。派遣やアルバイトといった立場ではいつでもクビを切られる可能性がある。賃金も昇給の見込みはゼロに等しい。
短期契約の繰り返しは精神的に負担が大きい。次は契約してくれるのか毎日心配して仕事をしなければならないのだ。将来を見通すこともできない。常に不安定だ。しかし、有利な条件で仕事は得られない。
結局、「この条件でも働けるだけましだ」というあきらめの中で生きることになる。
この劣悪な条件から抜け出せないと、人々はやがてそれを「普通」として受け入れてしまう。何か向上できないかと考えるよりも、現状に耐えることに慣れてしまうのだ。ここで形成されるのは「低いレベルを当然とする意識」であり、それは個人の尊厳を損ない続ける。
一度この負のスパイラルに落ちると、自力で抜け出すことはほとんど不可能に近い。社会の底辺に長くなると、妥協を繰り返すうちに「自分には価値がない」という気持ちを生み出し、それを定着させていく。
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「低いレベルを当然とする意識」に固定化
社会の底辺から抜け出せなくなるというのは恐ろしい。やがて、それは個人の向上心を完全に奪う。自己肯定感が低下していくのだから、そうなってもおかしくない。貧困や不安定な労働を長期間続けると、「自分には価値がない」「これ以上は望めない」という感覚が定着するのだ。
実のところ、日本の若者の自己肯定感は主要国の中でも最低水準なのだが、特に低所得層に属する人ほど「自分は役に立たない」と感じる割合が高いのはよく知られている。こうした感覚は、選択や行動を制限する要因となる。
何度も失敗や挫折を経験すると、人は「努力しても無駄だ」と学習してしまい、挑戦自体を避けるようになる。
底辺に置かれた人々にとって、職探しでの不採用、賃上げ交渉の拒否、教育機会の断念といった経験が重なれば、この無力感が強化される。やがて「低いレベルを受け入れるしかない」という意識が支配的になり、現状に甘んじる行動パターンが固定されてしまう。
日本は2000年代から政策的に非正規雇用の拡大を進めてきたが、これに巻き込まれたのが就職氷河期の人々である。非正規雇用が拡大する中で、彼らは安定したキャリア形成などできなくなった。
非正規雇用者の年収は正規雇用者の半分以下で、平均年収は200万円前後にとどまる。しかも、非正規から正規への転換率は極めて低い。厚生労働省の統計では、30代を超えると正社員登用の機会はほぼ閉ざされる。
日本の労働環境は「努力しても無駄」というあきらめを固定化させる環境であると思う。そんな環境になった国が成長できるはずもない。成長できないのであれば、ますます社会は停滞し、凋落し、人々は這い上がれなくなる。
こうした社会に抗って必死で這い上がろうともがく人もいることはいるのだが、長く社会から冷たい仕打ちを受け続けていると、やがて向上していくことに「あきらめ」を持つ人のほうが自然になる。
そして、本当はその人に多くの才能や能力があったとしても、自己評価が決定的に低いままで推移してしまう。才能や能力は「低いレベルを当然とする意識」によって開花しない。
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そして、何に対しても反応しなくなる
社会の底辺で、使い捨ての労働を強いられていくと、やがて人々は「自分はこんなものなのだ」という意識で生きるようになり、それを信じるようになる。「低いレベルを当然とする意識」が定着し、それが自分自身となる。
社会の底辺に暮らす人々にとって、現状から抜け出すことは極めて難しくなるのは、その「自分はその程度なのだ」という意識が足を引っ張るからでもある。この意識は、長期にわたる経験から形成されたものなので、なかなか抜け出せない。
毎日繰り返される単調で低賃金の労働、社会からの無関心や差別的な扱いを受け続けていると、自尊心が育つわけがない。やがて「どうせ努力しても変わらない」「自分は底辺にしか居場所がない」という考えが定着する。
そして、何に対しても反応しなくなる。
たとえば、「良い職」に就くためには資格や学歴が求められるが、それを得るためには時間と資金が必要になる。日々の生活を維持するだけで手一杯の人々にとって、そうした投資は現実的ではないという意見もある。
問題は、それ以前に「自分には無理だ」というあきらめが先に立つことだ。そのため、挑戦することさえないのだ。
学び直しの必要性が認識されていても、それを実行する気力さえも起きない。社会的にも「非正規雇用の人間は正規社員にはしない」という暗黙の了解みたいなものもあったりするので、なおさら「やっても無駄」という気持ちになる。
総務省のデータによれば、非正規から正規雇用へ移行できる割合は20%未満にとどまり、年齢が高くなるほどその比率は低下する。「やっても無駄」という気持ちは確率的に言えばゼロではないのだが厳しいのは間違いない。
転職するにしても、非正規で過ごした経歴がかえって不利に働き、転職活動を困難にする。
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1999年、カンボジア。内戦と貧困で荒廃したこの国に、ベトナム人の女たちが集まった売春村「スワイパー」があった……。
人を殺して人生を終わらせようと決意した
貧困とは、ただ貧しくなるだけではない。自己評価をどんどん低下させていくものでもあるのだ。自己評価が低下し、削られ、壊され、やがてどこかの段階で修復不可となっていく。
そんな中で、もはや非正規雇用の仕事さえできないほど精神的に破壊されてしまう人も出てくる。「心配ない、日本はそういう人のために生活保護がある」という人もいる。たしかに、そうだ。
だが、生活保護を受けているとますます貧困から抜け出せなくなるのは、多くの人が指摘するところだ。心理的に、這い上がる意欲がなくなってしまうのだ。経済的にどん底だが、自己評価はもっと極度に低レベルに落ちる。
自己評価が極度に落ちてしまうと、人は「自分の存在」そのものを否定するようになる。「自分は役に立たない」「生きていても意味がない」という思考が日常を支配し、外に向けて行動する力がなくなっていく。
人との交流を避け、社会的なつながりが断たれ、孤立が深まる。
やがて働くことも学ぶこともあきらめ、残された選択肢は最低限の支援に依存して生き延びることだけになる。
社会の底辺に落ちて這い上がれないというのは、そういうことなのだ。こうした絶望は、やがて自暴自棄な精神状態を生み出して、深刻な事件を引き起こすこともある。
2025年10月、東京都町田市で40歳になる派遣社員の男が「自分宛ての郵便物が届かなかったり、自宅前にごみが捨ててあったりして、気持ちが滅入った」「今の生活が嫌になった。誰でもいいから殺そうと思った」と思って、実際に76歳の女性を襲って殺している。
「すべてが嫌になり、人を殺して人生を終わらせようと決意した」と、その男は語っている。かなり自己評価が落ちて深刻な精神状態にあって、その中で許されざる事件を起こしたのが窺える。
自己評価が極度に落ち、あるとき外に向けて爆発することもある。内側に向けて爆発すると、それは自殺になる。いずれにしても、それは悲劇しか生まない。このような悲劇はこれから連綿と続いていくだろう。







コメント
中小企業経営者も会社が倒産したら
特に何もせずに
月収何百万円もあるという立場を失い
今さら誰かに雇用されて低賃金で労働するのは難しいので
最底辺に堕ちたら上の階級にいくのは厳しいです。。