
高齢者が高齢者を看る組み合わせは「老老介護」と呼ばれる。介護疲れや将来への悲観などが原因とされる親族間での殺人や無理心中事件は、この10年間で少なくとも計437件あったことが判明している。老老介護による極度の心身の疲弊で妻や夫を殺してしまう事件が広がっているのだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
老老介護の切迫した事情
介護疲れや将来への悲観などが原因とされる親族間での殺人や無理心中事件は、この10年間で少なくとも計437件あったことが判明している。老老介護による極度の心身の疲弊で妻や夫を殺してしまう事件が広がっているのだ。
高齢の夫が高齢の妻を、あるいは逆に高齢の妻が高齢の夫を自宅で介護している光景などが報道されているのを見かけるようになって久しい。一方が認知症などになっていると介護は付きっきりとなる。
こうした高齢者が高齢者を看る組み合わせは「老老介護」と呼ばれる。
現代の日本社会では、こうした光景がもはや特別ではない。要介護者と介護者の双方が65歳以上という世帯の数は増加し続けている。65歳以上の世帯は2022年は約2581万世帯だが、これからもっと増えていくので事態は深刻化する一方と化す。
老老介護は、介護保険制度や地域包括ケアの枠組みが整備されていてもなお、家族同士が自宅で支え合わざるを得ない切迫した状況を映し出している。
実際に80代の高齢者が、要介護の配偶者を介護するケースを考えると、その負担は想像以上に重いはずだ。食事の準備から入浴の介助、排泄の世話や服薬管理など、多岐にわたる作業がその肩にのしかかる。しかも相手の体調や症状によっては、夜間も気が抜けない。
訪問介護やデイサービスを利用している家庭もある。だが、それだけでは十分な休息を確保できない事態が多い。特に地方の過疎地域では、ケアサービスの提供者が限られ、移動手段や費用の問題から利用をあきらめる高齢者夫婦も少なくない。
加えて、介護する側も高齢であるため、思うように体が動かない状況に陥る。日常的な買い物や料理をこなすだけでも負担が大きく、食事の質が低下して栄養バランスが崩れ、要介護者のみならず介護者も健康を害してしまう。
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老老介護が日本を覆い尽くしている
今、この老老介護が日本を覆い尽くして疲弊させている。
孤立化が進んだ末に、虐待や心中といった悲惨な事件に至る報道が後を絶たない点は、見逃せない悲劇ともいえる。実際、認知症が進行した家族の介護に疲弊し、思わず手を上げてしまう、あるいは共倒れする形で悲劇が起きる場面が繰り返しメディアに取り上げられている。
徘徊や物忘れ、興奮状態での暴言や暴力に対峙する介護者の負担は計り知れず、それが長期化すると精神的疲労は臨界点に達する。
介護者本人が深刻なストレス障害やうつを患い、周囲との連絡を絶ってしまうケースもある。家庭の密室で何年も続く闇が、ある日突然の事件として表出する。老老介護は、日々の介助が積み重なる重圧を生み出すのだ。
そして、介護者が限界を超えた末に、深刻な事故や事件に結びつく。
認知症の妻を介護する80代の夫が、妻の徘徊を防ごうと自宅のドアに鍵を増設する話も聞いている。ひとときも目を離せないので、自分が外出する時も妻を常に連れ歩くしかない。
そのような状況では、介護者自身の体力と精神力の消耗は甚大である。夜間の見守りで睡眠時間が断片的になると、昼間に集中力が低下し、結果として医薬品の取り扱いや食事の管理を誤る危険が高まる。
実際に薬の投与ミスによって妻の意識が低下し、救急車を呼ぶまでに長時間かかった例が報告されている。高齢者同士で緊急対応を迫られると、判断や行動が遅れて重大な結果を招く。
さらに、地域社会から孤立しやすい環境も、悲劇の発生を助長する。
老人夫婦のみで暮らしている場合、近所との接触が薄く、異変に気づいてもらえないまま事態が深刻化する例が多い。介護者自身がうつ病や認知症を発症し、要介護者の面倒を看る余力を失ってしまうと、家庭の維持は完全に破綻する。
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周囲からは実態が見えにくい
当事者の夫婦のあいだに蓄積された過去の軋轢も、老老介護を複雑化させる一因となっていることもある。長年の夫婦生活の中で培われた確執や、家庭内で解決されなかった問題が、要介護状態になったタイミングで一気に再燃する。
介護を受ける側に対して募らせてきた負の感情が表面化し、罵声や暴力といった形でエスカレートする。介護保険の仕組みや地域サービスでは解消できない人間関係の根深い対立が、老老介護の現場を破滅的にする。
老老介護の深刻さは、密室で進行して周囲からは実態が見えにくいことだ。異常が外部の目にもわかる状態になったときは、すでに手の施しようがない状態になっている例も多い。
こうした老老介護が日常に浸透した一因は、日本における高齢化の進行速度の速さにある。総務省の人口動態調査によれば、65歳以上が人口全体に占める割合は約3割に達し、世界的にも突出している。
そして、この高齢者層がさらに年を重ねることで、要介護状態に陥る人々が増え、それをケアする役割を担う側もまた高齢化する状況が生まれた。
かつては三世代同居が一般的で、若い世代が祖父母の介護を担う形が多かったが、今はもうそんな時代ではない。都市化による核家族化が定着し、老人夫婦だけの世帯が増加した。
厚生労働省が提唱する地域包括ケアシステムは、高齢者を地域全体で支える理念を掲げているが、実際には予算や専門人材の確保、行政と住民の連携不足などが障害となって、支援を行き渡らせるのが難しい。
こうした制度と現場の落差が、多くの高齢者夫婦を追いつめる。
さらに医療技術の進歩により、従来なら致命的だった病気や障害でも生存期間が延び、結果として「長期にわたる要介護状態」が生まれやすくなった。介護を必要とする高齢者が長生きすれば、その介護を担う相手も長期間にわたって介護負担を背負わざるを得ない。
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高齢者同士が孤立したまま限界に
10年以上も前から、高齢者問題は日本を亡国に至らせる大きな社会問題になるというのは人口動態から見えてきた。今、日本で起こっている財政問題や社会問題のすべては、じつはほとんどが「高齢者問題」からきていることに気づいている人もいるはずだ。
ところが、日本の政治家は馬鹿なので、ほとんど手を打たずに問題を悪化させた。
老老介護は起こるべくして起きている悲劇なのだ。家庭内で累積する介護疲れや、思いもよらない瞬間に引き起こされる虐待や心中は、もはや単発の事件ではなく、高齢者同士が孤立したまま限界を超えている現実を示している。
行政が推進する地域包括ケアの理念や介護保険制度の拡充は一定の効果を上げているが、生活全般に広がる問題を支えるには手立てが足りない。老老介護に陥った当事者が直面するのは、身体的にも精神的にも苛酷な試練であり、わずかな判断ミスが命取りになる危険が連続する環境だと確信する。
とりわけ、長年連れ添った夫婦や血縁関係であればあるほど、根深い人間関係の対立が介護の場面で顕在化しやすい事実は否定できない。
そんな中で、医療だけは発達して寿命は延びていく。そのため、長期間の介護を支えられる仕組みや人的リソースが整わず、家族単位に圧倒的な負担を強いる構造が生まれていく。
余裕のある世帯は有料の介護施設や在宅サービスを積極的に活用できる。そうでない家庭は、どうしようもない。限界まで自力で耐えるしかなく、そこに経済的格差も加わって深刻度が加速している。
老老介護に直面する人々は、誰にも頼れないまま心身をすり減らしていく過程で、未来への展望を持ち得ない絶望に陥っている。
医療技術が飛躍的に進歩し、かつてなら助からなかった人を生かせるようになったことで、長期介護という厳しい現実が否応なく突きつけられる状況が常態化している。老老介護は、寿命が延びた社会の必然として生じた顕著な事象である。
日本の社会の裏側で老老介護という見えない苦痛が広がっている。

老老介護いわゆる90.60問題ってやつですね年代的には我が家もずっぱし当てはまっております。幸いとても質の良い特養施設に当たって安心しているところですが、その分毎月かかる費用はなかなかの金額でありこれにビビって施設行きをためらって自宅介護する道を選ぶ人も多いんじゃないでしょうか。
認知機能が衰えて意思の疎通も困難で奇矯な言動をするようになった親の介護を自宅でするとなると若い世代の家庭環境は破壊され介護を担当する人の精神状態に負担がかかり、肉身の情だけで乗り越えられるものではないでしょう
親の世代を看取ったらフリーになって東南アジア放浪の旅にでも出ようか企んでいる不肖の息子ではありますが、次世代に負担をかけるのh不本意なので、安楽死や自決の権利について早いところ
社会制度の整備の検討を進めてほしいところです
高齢になってからの自己負担額の支払いはきついし、施設入居もまとまった費用が捻出来なければ断念せざるを得ないですよね。
他人事とは思えないです。
仮に自宅介護せざるを得なくなったとしても包括センターやケアマネージャーさんとの繋がりは持っていたほうがいいと思います。
介護サービスの利用の有無を問わず介護認定や相談する事はできるし、必ず何らかの提案をしてもらえるので。
あと認知症カフェ(介護してる家族が無料で自由に参加できて同じ境遇の人と悩みを相談しあったりできる場所)を利用するのもいいんじゃないかと思います。あるかないかは自治体によりますが。
家族が認知症になると介護する側には相当な負担がかかるので一人で抱え込まない、孤立しない事が大事だと思います。