
自分がすでに抱いている考えや信念に合致する情報ばかりを積極的に取り込み、反証する情報や対立する証拠を無視する。それが確証バイアスだ。考える頭を持って生きている人は、誰もが無意識の確証バイアスを持っている。誰でも何か盲信しているものがある。確証バイアスとはそういうものなのだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
「確証バイアス」とは何か?
あなたが青が好きだったとする。今年、青い服がよく売れていると、どこかで聞いたとする。すると、あなたは「やっぱり青は素晴らしい色なんだ」と、青を信奉するようになる。
あなたがコーヒーが好きだったとする。ある研究でコーヒーについてポジティブな研究結果が出たというニュースを読んだとする。すると、あなたは「やっぱりコーヒーは素晴らしいんだ」と感じ、ますますコーヒーを熱心に受け入れる。
あなたに身体の合わないクスリがあったとする。ある陰謀論で、その製薬会社は悪魔の会社で人口を削減するためにわざと人が死ぬクスリを売っているという陰謀論を見たとする。すると、あなたは「やっぱりそうだったんだ」と感じて、陰謀論を信じるようになる。
青は好きな人は青の効用ばかり積極的に取り込み、青を嫌いな人を見たら人間ではない人を見たかのように驚くようになる。コーヒーのポジティブな効用ばかりを受け入れる人はカフェイン過剰摂取のリスクを示す論文を受けつけない。そして、陰謀論を妄信する人は矛盾する根拠を「嘘だ」と切り捨てるようになる。
このような状況は「確証バイアス」と呼ぶ。
「確証バイアス」とは、自分がすでに抱いている考えや信念に合致する情報ばかりを積極的に取り込み、反証する情報や対立する証拠を無視する心理的傾向を指す。
認知心理学の実験によると、確証バイアスは日常的な意思決定にも大きな影響を及ぼす。たとえば企業経営の場面では、経営者が「自社の戦略は成功している」という確信を抱くと、その成功を示すデータを誇張して評価し、失敗事例や不振地域の情報を徹底的に分析しないことがある。
最終的に大きな損失を招いたケースも報告されているが、経営者は「うまくいっている」証拠をひたすら集め、都合の悪い数字や指摘から目をそらす。短期的には一定の安心感を与えるが、長期的視野に立てば致命的な見落としを生む。
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自分の信念や期待を優先して情報処理
古典的な心理学実験では、被験者が仮説を立て、その検証をおこなう際に自分の仮説を裏づける質問ばかりを選択し、仮説を否定しうる質問を積極的に避ける傾向が実証されている。
この行動は意図的な悪意からではなく、人の思考がもともと持つ効率性への欲求に由来する。効率よく答えを得ようとする過程で、都合の良いデータだけを集めるほうが楽だからだ。
しかし、その結果として視野狭窄を引き起こし、多面的な検証を行わずに結論へ飛びつく危険が高まる。
確証バイアスは、ただの思い違いや勘違いではない。それは、その人が長い時間をかけて形成してきた認知プロセスの一部だ。人は効率的に意思決定をおこなうために、自分の信念や期待を優先して情報処理をする。
日常の些細な判断であれば大きな問題にならない場合もある。だが、医療、政治、人生の決断など重大な判断が求められる局面でこのバイアスが働くと、冷静な思考が阻害されて取り返しのつかない結果を招く。
たとえば、がんの民間治療で効かないという医学的根拠があるのに、確証バイアスにとらわれて民間治療に固執して寿命を縮めてしまう人も大勢いる。
確証バイアスを軽視すれば、人は誤った主張や判断を無批判に受け入れ、意固地な態度へと陥る危険性が高い。こうした偏向は無自覚に生じるため、自ら認識して修正を図らない限り、確証バイアスの影響から抜け出すのは難しい。
人は誰しも自分の認識や信念を守りたい欲求を持っており、都合の良い情報だけを拾い集める行動を無意識に選択する。
結果として、自分自身の思考のゆがみを見落とし、重要なチャンスや正確な判断を逃す。これこそが確証バイアスの潜在的な脅威であり、現代社会では特に意識的に対処すべき課題として浮上している。
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信念を覆されたくない心理的抵抗
ギャンブルにも、この確証バイアスが入り込んでいることがある。
ギャンブルで大勝ちした人の派手な成功談は雑誌やネットで目立ちやすい。しかし、そうしたストーリーばかりを追い求めて信じるあまり、頻発する負けや投入金額の膨大さに目をつぶる人が多い。
大儲けの瞬間だけを切り取った情報を「自分にもできる」と都合よく解釈し、損失リスクを直視しない。この思考プロセスには確証バイアスが深く関与し、客観的なデータに基づく冷静な判断が遠のく。
宗教やカルト的集団においても、このバイアスは顕著に働く。
教祖や指導者の言葉を絶対的な真実とみなす人々は、そこに反する証拠や疑わしい行動を見ても「悪意ある捏造だ」と切り捨てる。教祖が不正を働いていたとしても、それを「あとで意味がわかる正しいことなのだ」という一方的な理屈で正当化する。
このとき動いているのは、自分の信念を覆されたくない心理的抵抗である。それこそが、確証バイアスが情報の取捨選択をゆがめている証拠でもある。だが、そうした集団内部では、批判的思考が抑圧されて疑問を呈する行為すら許されなくなる。
社会問題に関しては、フェイクニュースの拡散が確証バイアスによって強く後押しされる点が注目されている。SNSなどで意図的に流布される誤情報は、受け手の不安や既存の偏見を刺激する内容だと瞬く間に広まる。
根拠が薄弱な陰謀論でも、「政府が裏で操っている」「企業が利益を独占している」といったセンセーショナルな見出しに触れると、自分の抱いている不信感を裏づける情報として受け入れ、反証材料を排除する。その結果、狂気が暴走する。
確証バイアスは、個人が信じたいものをより強固に信じる心の仕組みを巧みに支えている。
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「自分の信じているものを信じない」
言っておくが、考える頭を持って生きている人は、誰もが無意識の確証バイアスを持っている。
「自分は確証バイアスに陥っていない」と思うべきではない。誰でも何かを盲信しているものがある。理屈に合わなくても、それに対しては譲れない心理がある。確証バイアスとはそういうものなのだ。
確証バイアスがもたらす最大のデメリットは、誤った結論や偏見を修正する機会を奪い、個人や組織、ひいては社会全体の判断を誤らせる点にある。
社会的合意の形成や政策決定の場面でこのバイアスが猛威を振るうと、世論や議論が一方向へ偏りやすい。メディアが特定の立場を支持する報道を繰り返すと、人々は異なる視点を知らずに「それが事実」と決めつける。
政治家やリーダーが、自分に都合の良いデータだけを利用して支持者を納得させれば、国全体が誤った方向へ突き進む。選挙では魅力的な公約の一部だけが強調され、反対意見や不都合な事実を封じ込めば、有権者は誤った投票に誘導される。
確証バイアスの根源的な問題は「自分がすでに信じているものを優先的に強化してしまう」性質にある。確証バイアスは放っておけば、どんどん強化されてしまい、気づいたときはそこから逃れられなくなってしまうのだ。
確証バイアスのワナを意図的に回避したいのであれば、複数の視点を導入し、偏った情報選択を自覚的に抑制する行動が欠かせない。
認知の偏りを再確認する第一歩は、自分自身が抱えている先入観を疑い、反対方向の証拠を無視していないか点検する必要がある。もちろん、これは簡単ではない。自分を疑い、自分の信じているものを信じないのだ。非常に苦痛な作業である。
ある種の精神的拷問とも言える。自分を拷問したい人はいない。だから、確証バイアスのワナから逃れるのは簡単なことではないのだ。
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悪魔の代弁者(デビルズ・アドボケイト)
欧米では、「悪魔の代弁者(デビルズ・アドボケイト)」の設定で、確証バイアスを逃れる方法がよく使われる。
会議やプロジェクトであえて反対意見を公に述べる役割を与え、全員が同じ方向へ流れていくのを阻止する。これにより、確証バイアスが生み出す全会一致の誤謬を回避し、意思決定の質を高めることができる。
単なる難癖のように見える行為でも、組織や集団にとっては必要な検証プロセスとなる。実際に海外の大企業では、重要案件を承認する前に「悪魔の代弁者チーム」が徹底的に疑問を投げかける制度を導入している例もある。
人間の認知バイアスは根深いため、完全に消し去ることは不可能だ。しかし、確証バイアスの存在を認め、情報選択が偏っていないかを頻繁に振り返れば、結果は大きく変わる。
まず、肯定的な結果だけでなく否定的な結果も等しく検討する必要がある。意思決定をくだす前に「自分の考えを覆す証拠はないか」という問いを習慣化すれば、大きな落とし穴を回避できる確率が高まる。
このプロセスを日常レベルにまで落とし込むと、家族や友人との会話、SNS上での情報収集など、あらゆる場面で確証バイアスへの自覚が生まれる。自分が「都合の良い部分だけ見ていないか」を常に振り返り、あえて不利な証拠に向き合う。
それが、思考の幅を広げる近道になる。
確証バイアスは強力で根強い壁だが、自覚と検証の繰り返しによって、その壁を少しずつ崩すことはできる。そうしなければ、人は自らの思い込みの檻の中に閉じこもり、視野を狭めてしまう。
誰でもできることではないのだが、認知のゆがみを直視し、自分すらも信じず、冷静な判断を追究する姿勢こそが、このやっかいなワナを脱するための確実な手段だ。

>このとき動いているのは、自分の信念を覆されたくない心理的抵抗である。それこそが、確証バイアスが情報の取捨選択をゆがめている証拠でもある。だが、そうした集団内部では、批判的思考が抑圧されて疑問を呈する行為すら許されなくなる。
先の疫病騒ぎの時に、日本中で吹き荒れた感染対策全体主義の嵐がまさにこれだったと思います。
この時あたりから、自分が信奉する◯◯について論じたことに100%同調しない人に対して「お前は反◯◯だな!親××に違いない!」と決めつけて頭っから異なる意見を聞く気がない傾向が強まったように感じます。質の低いまとめサイトのコメント欄などは地獄の様相でしたね。
>言っておくが、考える頭を持って生きている人は、誰もが無意識の確証バイアスを持っている。
これもそのとおりですよね。そもそも確証バイアスがゼロの人は自分の意見というものを言うこともできないでしょう。世界中の誰から見ても公正でどこにも偏っていない意見なんてあるわけないですし。
おそれずにまずは自分の頭で考えたことを表明すればいいし、できれば文章化することをお勧めします。書いてる途中で自分の考えがどのように組み立てられているのか客観視できますし、後に読んで「ああ、あの時はこちら側へ偏り過ぎていたなぁ」と省みることができるからです。