私は1986年からタイのスラムや歓楽街に沈没するようになり、当初は何も知らずに女性とつき合っていたのだが、やがて彼女たちの背負っているものが見えてくるようになってきた。
そこにあったのは、貧困だった。
『ブラックアジア売春地帯をさまよい歩いた日々』は、すべて貧困の女性を書いた話であり、ブラックアジアの隠されたテーマは売春ではなく貧困であったことに気づいた読者もいると思う。
私自身は、ごく普通の中流の家庭に生まれて、子供の頃も飢えた経験など一度もしたことがなかった。貧困にはまったく何の関心もなく、そういうのは遠い世界のような感覚で暮らしていた。
しかし、二十歳のときにはじめてタイを訪れて、ふとしたきっかけでパッポンのゴーゴーバーの女性と出会った。(ブラックアジア・タイ編「パッポンのマイ」に詳しく書いた)
以後、私はタイの歓楽街の女性とつき合っていくことになるのだが、彼女たちの生い立ちを知るようになって、「貧困」という社会現象が女性の人生を悲惨なものにしているのを見た。
私は彼女たちの生きていく厳しさに触れ、ひとりになったときは彼女たちの人生を思って私自身が打ちひしがれていった。
今でも私がきらびやかなセレブのような世界や、豊かな生活や、高級なものを食べることや、贅沢なものを買うことや、良い暮らしをすることには、いっさい関心がないのは、彼女たちのことがずっと頭にあるからだ。
資本主義の厳しさを教えてくれたのは彼女たちだった。私自身は彼女たちこそが人生の教師であったと思っているし、彼女たちを愛しているし、尊敬もしている。彼女たちのことが骨身に刻まれた。
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