反出生主義というのは、「出生=生まれてくること」に反対する考えかたで、もっと端的にいうと「人間は生まれてこないほうがいい」とする主義である。これが日本で広がっている。「こんな日本で子供を生んだら子供がかわいそうだ。だから生まない」となっている。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
反出生主義を受け入れた日本人
最近、反出生主義という馬鹿げた考えかたが広がりつつある。反出生主義というのは、「出生=生まれてくること」に反対する考えかたで、もっと端的にいうと「人間は生まれてこないほうがいい」とする主義である。
代表的な提唱者としてデイヴィッド・ベネターが挙げられる。彼の著書『生まれてこないほうが良かった』では、「存在することは苦しみを伴うため、生まれることは望ましくない」といった主張が展開されている。
馬鹿げた主張だが、今の日本でこのような主張が注目を集めるのは理解できる。
なぜなら、日本は馬鹿な政治家が馬鹿な政治を30年以上も続けて、日本を再起不能な段階まで衰退させ、もう自律回復は不可能になって日本人の心は萎縮しているからだ。
これから日本は衰退していくしかない。日本は高齢化し、貧困化し、先細り、格差が広がり、イノベーションを失い、バイタリティを失い、価値が下がり、安い国になってきている。
そうした社会情勢を見て、若い人たちも結婚も出産も積極的ではなくなり、出生数が急激に低下、2024年上半期の出生数は前年同期比6.3%減の32万9,998人と記録的な減少を示した。
このような統計データを踏まえると、「反出生主義」という言葉を知らなくても、日本人はすでに「子孫の多くは苦痛を味わうことになるので、子孫を残すべきではない」という反出生主義を受け入れているとわかる。
以前は「子供を生まない選択肢はあるよね」というものだった。それが今では「こんな日本で子供を生んだら子供がかわいそうだ。だから生まない」に変化している。
子供を生むことが希望ではなく不幸と捉えられる日本の現状は、社会の絶望感を象徴しているように思う。生まれることが不幸だと思わせる国になってしまったのだから、国の舵取りを間違えた馬鹿な政治家たちの罪は重い。
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「子供を持つことはリスク」という認識
ただ、個人的には反出生主義みたいな考えかたに踊らされる日本人も、どうなのかという気持ちはある。
「苦しみを避けるために新たな生命を生むべきではない」という主張は、人生の多様な側面を無視している。人生には苦しみだけでなく、よろこびや成長、達成感といった面も生きているとかならず経験する。子供が不幸になると親が決めるのは、完全に親のエゴである。
社会全体で見ても、反出生主義は有害な考えかただろう。出生率の低下が進む日本のような社会では、人口減少に伴う経済的・社会的な問題が避けられない。反出生主義はこうした問題をさらに深刻化させる。
反出生主義は生命の価値を過小評価している。
個人の選択や日本社会の持続可能性を破壊する。
この2点だけでも、反出生主義の有害性はあきらかだろう。それなのに、この有害な考えかたが広がるのは、もうそれだけ日本社会の絶望感が、とんでもなく強いということなのかもしれない。
日本人が反出生主義を無意識に受け入れてしまったのは、この30年で特に若者には厳しい社会環境になって将来が見えなくなったことが大きな要因だ。
経済的格差の拡大や雇用の不安定化、社会的孤立といった要因は、若い世代に対して「子供を持つことはリスクである」といった認識を強めてしまった。これは単なる個人の選択というよりも、日本社会全体が抱える構造的な問題なのだ。
客観的に見ると、もう日本は衰退していくだけの国である。政治家も無能すぎて、日本の未来に対する信頼など皆無に等しい。多くの人々が「日本はもっと衰退してしまう」と感じている。
残念ながら、その認識は正しい。
現在の社会システムは持続可能ではない。そのため、日本社会はもっと貧困化し、私たちのとりまく環境は悪化していくばかりとなるだろう。すでに、年金制度の不安や労働環境の悪化、教育費の高騰といった問題が複合的に絡み合い、子供を持つことが経済的・精神的な負担になっている。
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子供は自分がかわいそうだとは思っていない
政治家はバブル崩壊の対処を間違えて、30年以上も日本を迷走させた。そして、少子高齢化が突き進んで、社会が立ち枯れしようとしている。
日本の少子化問題は、単なる人口統計の問題ではない。経済や社会構造全体に深刻な影響を与える「日本の癌」である。高齢人口の減少は経済成長の鈍化を引き起こし、社会保障制度の持続可能性を揺るがす。
人手不足も深刻化し、イノベーションも生まれず、地方の衰退が進み、インフラ維持も困難になり、日本全体の活力を奪いかねない深刻な危機が訪れる。こうした問題が解決されない限り、反出生主義的な考えかたが広がるのは避けられない。
反出生主義が広がれば広がるほど、社会全体がますます負のスパイラルに落ちていき、日本の衰退が加速する。今の日本はそういう社会状況になってきている。だから、反出生主義の根底にある「こんな日本に生まれる生命は苦しみでしかない」という考えかたを若者が持つようになったのだ。
だが、生む前から「子供の人生はこうだ」と決めるのは、あきらかに偏った視点に基づいているとしかいいようがない。子供は親が考えている以上に、社会に順応して生きていくし、子供たちは新しい時代に新しい生きかたを見い出すかもしれない。
子供は親の所有物ではないし、親が子供をかわいそうだと思っても、子供は自分がかわいそうだとは思っていないことのほうが多い。
子供は子供で自分なりに生きる。そう考えると、「こんな国に生まれることは苦しみでしかないのでかわいそうだ」と断定するのは愚かだ。人間はそれぞれ別個の生き物なのだから、自分の思い込みがすべてではない。
「今の時代に子供を生んだら自分が生活苦で苦しむ」という事情はあるかもしれない。だが、社会福祉や育児支援の活用により、経済的負担を軽減する手段は存在するし、外にも支援を得る手段はいくつもある。
子供がいる生活が新たな活力となる人も多い。子供の存在が与える幸福感や家族の絆は、生活苦以上に大きな価値があると考える人は、子供を持つことを優先して考えたほうが最終的には幸せになれる。
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インテリぶった、くだらない考えかた
「こんな日本に生まれる生命は苦しみでしかないので生まれないほうがいい」という考えかたをしているのであれば、いずれ、すでに生まれている人々に対しても「生きることは苦しみなので生きないほうがいい」という価値観を押しつけることにつながる可能性がある。
生きることが苦しみだというのであれば、最終的には「死んだほうがいい」という考えかたに収斂していくのは間違いない。それが自殺率の上昇や社会的孤立の増加といった現象をエスカレートさせていくだろう。
「どうせ死んだほうがいいんだ」というのであれば、倫理観が大きく揺らぎ、犯罪や暴力の増加、コミュニティの崩壊といった深刻な事態も引き起こされる。
このようなことを考えると、反出生主義は果たして合理的であるといえるのだろうかと疑問が湧く。
私自身は、これまで多くの途上国で貧困スラム出身の女性たちを見てきた。最底辺の、何も持たない人であっても、全員が希望を失って「生きないほうがいい」「死んだほうがいい」と思っていたのか。
いや、まったくそうではない。反出生主義なんか影も形もなかった。どういう環境でも、人間はしたたかに生きている。
子供たちは子供たちで貧しいなりに、泣いたり、笑ったり、楽しんだり、苦しんだりして生きている。生活苦でもみんな何とか暮らしているし、子供は子供で勝手にやっている。
そういうのを見てくると、反出生主義はいかにもインテリが考えそうな馬鹿げた考えかたに見える。難解な言葉を並べるだけで、中身は「現実逃避」の哲学でしかない。これで賢そうに見えると思っているのが滑稽だ。
「生まれなければ苦しまない」などと、よくよく考えれば当たり前すぎて議論にもならないようなことを、大仰に主義とか呼ぶ愚かさもある。
子供を持つことが幸福だと思う人の権利を、「反出生主義」という名で勝手に否定する傲慢さも鼻につく。「苦しむくらいなら生まれないほうがいい」と平然と語る冷酷さも不気味だ。
「人間は生まれてこないほうがいい」というなら、反出生主義の人間から今すぐ死ねばいいのかもしれない。すでに生まれている自分がそれを主張するのは、滑稽なダブルスタンダードだからだ。
マスコミは日本人が滅ぶためにわざとこういうのを言ってるんじゃないかと思います。
そうとしか考えられない