貧困と恐怖は密接に結びついている。経済のグローバル化とイノベーションが加速する中、富の偏在化が進み、社会の分断は年々拡大している。特に注目すべきは、この問題が単なる経済的な困窮にとどまらず、人々の精神的な不安や恐怖にまで波及している点だ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
「自分はどうなってしまうのだろう」という恐怖
収入が不安定で、食料、医療、住居といった基本的な生活費を賄えないと、次にどう生活していくかの見通しが立たなくなる。この不安定さは、「自分はどうなってしまうのだろう」という恐怖を生み出す。
家族がいたらなおさらだ。自分だけでなく、子供が貧困の中で育つことにより、未来や教育、健康への影響が心配となる。これも、また持続的な恐怖をもたらす。
収入が不安定だと、社会的な地位や人間関係の希薄化を経験しやすい。社会から疎外されることで、自分の存在価値や尊厳が損なわれる感覚に苛まれる。そして、やはり「自分はどうなってしまうのだろう」という恐怖を生み出す。
貧困と恐怖は密接に結びついている。
経済のグローバル化とイノベーションが加速する中、富の偏在化が進み、社会の分断は年々拡大している。特に注目すべきは、この問題が単なる経済的な困窮にとどまらず、人々の精神的な不安や恐怖にまで波及している点だ。
日本の相対的貧困率は、2021年時点で15.4%である。これは、全人口のおよそ6.5人に1人が、等価可処分所得が中央値の半分未満の状態にあることを示している。この状況下で、人々は単に経済的な困窮に直面するだけでなく、将来への不安や恐怖を抱えることとなっている。
「自分はどうなってしまうのだろう」という不安や恐怖は、人々の意思決定に大きな影響を与え、リスク回避的な行動を強いることで、新たな機会の獲得を妨げる。教育投資の抑制、起業機会の放棄、さらには必要な医療サービスの先送りなど、その影響は多岐にわたる。
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心が疲弊し、日常生活すらままならなくなる
貧困層における不安障害やうつ病の発症率は、一般層と比較して約2.5倍高いというデータが存在する。世界保健機関(WHO)の調査では、低所得層における精神疾患の有病率は、高所得層と比較して約60%高いことが報告されている。
それもそうだ。つねに不安と恐怖を感じて生活していたら、心が疲弊し、日常生活すらままならなくなる。
経済的に苦しい状況は、食事や住居といった基本的な生活をも脅かし、安定を得られないことが慢性的なストレスとなる。このストレスは精神疾患の発症リスクを高めることが科学的にあきらかにされている。
だからといって、仕事をゆっくり休んで心を落ち着かせる余裕なんかないので、ストレスが解消されないまま働く必要がある。精神科に通ったり、カウンセリングを受けたりする余裕もない。
そのため、精神的な不調が長期化しやすく、生活の質がますます悪化していく。加えて、社会からの疎外感や、自分が価値を持たないという無力感も、不安やうつ症状を悪化させる一因となる。
結果として、貧困層の人々は身体的な健康も損なわれ、健康寿命が縮まる傾向にある。貧困と精神疾患、そして健康悪化は密接に結びつき、最終的には心身を壊して仕事を休まなければならなくなる。
それで失業したら、ますます生活が困窮し、不安と恐怖が膨れ上がっていく。
失業率と自殺率の相関関係も顕著であり、失業率が1%上昇するごとに、自殺率が約0.79%上昇するという研究結果も発表されている。経済的困窮が精神的な苦痛や社会的な孤立感を増大させる直接的な要因となっていることを示している。
こうした貧困層が無意識に抱えている「恐怖」は無視できないものだと私は思っている。極度のストレスがつねに彼らの生活についてまわって、恐怖が彼らの人生を覆っていくのだ。
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貧困の不安と恐怖というのは、第三者にも伝播する
パンデミックの最中、私は所沢に住む極貧のシングルマザーの女性を取材していたことがあった。今でも彼女のことはよく覚えている。彼女はパンデミックで解雇にはならなかったが一時休業で給料が2割ほどしか入ってこなかった。
そのため生活に困窮して、子供たちにおやつも買って上げられず、近所の公園で吸うと甘い赤い花(おそらくサルビア)を子供たちに吸わせていたのだった。子供たちはそれを吸うだけでなく食べてしまったという。
彼女は生活保護を受ける資格は十分にあったが、仕事を持っているし、本当にギリギリになるまで自分で頑張りたいと私にいった。彼女の大きな不安は、子供の病気だった。医療費の負担が増えることが彼女にとっては大きな恐怖だった。
医療費の出費が、すでにぎりぎりの家計を圧迫し、家賃や光熱費の支払いが滞る危機をもたらすからだ。「子供が熱を出したら、もうどうにもならないかもしれない」と彼女はいった。医療費を支払ったら、公共料金が支払えない。
彼女の綱渡りのギリギリの話を聞いていて、その夜は私も「彼女はどうなってしまうんだろう」と不安と恐怖で眠れなかった。貧困の不安と恐怖というのは、第三者である私にすらも伝播する強力なものであったのだ。
彼女は小さなアパートに住んでいたのだが、隣近所は誰も彼女のことは知らない。彼女の困窮にも気づいていない。かつての村のような共同体があったら、彼女は共同体に救われたかもしれない。
しかし、彼女は孤立していた。彼女の両親も田舎でこじんまりと生きており、絆も薄く、助けを求めるような関係ではないと彼女は説明した。彼女のような立場の女性は日本では珍しくないと私は思っている。
日本では共同体の崩壊や家族形態の変化により、従来存在していた相互扶助の仕組みなんか、とっくに機能しなくなっている。これにより、経済的な困難に直面した際のセーフティネットが失われ、個人の脆弱性が増大している。
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社会が極貧から救ってくれるようなことはない
私はこれまで東南アジアでも多くの貧困の人々と出会い、スラムの中で過ごし、貧しい女性たちとだけつき合って生きていた。
私自身は中流階級の生まれで、バブル世代であったので、貧困とは無縁の生活をしていたのだが、つき合う女性がみんな貧困だったので、次第に私は貧困の中で生きている人たちに強い関心を持つようになった。貧困は解決できるのか、よく考えたものだった。
20年ほど前の話になるが、折しも世界経済はインターネットによって効率化が進み、多くの富が創造され、「今後20年で貧困はなくなる」と豪語する経済アナリストもいた。ビル・ゲイツも同じようなことをいっていた。
しかし、貧困の人々をじっと見つめてきた私は、ずっとそれが半信半疑だった。もし、世の中が効率化されて貧困が消えるのであれば、産業革命で社会が飛躍的に進歩した段階で貧困が消えていてもおかしくないはずだと思った。
実際は、世の中がどんなに進化しても、画期的なイノベーションが誕生しても、貧困はまったく解消されることがなく、むしろ格差拡大によってよりひどい状況になっているように見えた。
あれから20年たった今、世の中を見まわしてみると、結局、貧困は消えてなくなることはなかったことに気づく。「今後20年で貧困はなくなる」みたいな話は絵空事であったのだ。
社会は脱落者を放置して突き進んでいく。政治も経済も、富裕層に利するようにできている。政治家も結局は大企業のいいなりで、貧困層の話なんか聞かない。
だから、今後も貧困は消えることがないのだと私は確信している。貧困の人たちが感じている「恐怖」は、単なる想像の産物ではなく、現実的なリスクに基づいたものだ。それらは日々の生活にのしかかり、健康、仕事、人間関係にも影響を与えている。
これからも、多くの人々が経済的な困窮によってストレスを抱え、不安と恐怖で消耗し、心身を壊していくのだろう。それに対して社会が極貧から救ってくれるようなことはない。世の中とは、そういうものだと私は思っている。
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