日々流れてくるフィリピンの貧困の報道に接していると「ボンボン・マルコスに変わったところで何が変わったわけでもない。歴代の政権と同じくフィリピンの貧困は放置されたままだ」と私も感じる。私自身はまだ同国の投資に対しては懐疑的であり続けている。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
マルコス政権下におけるフィリピンの貧困
フィリピンの貧困層は減少しているということなのだが、それでも貧困水準以下の生活者は1,754万人も存在するとフィリピン統計局は述べている。あいかわらず、膨大な貧困層がフィリピンの国土を覆い尽くしている。
私がフィリピンをさまよっていた2000年代初頭から見ても、フィリピンはそれほど変わっていない。
ボンボン・マルコスが政権を握ったことにより、フィリピン社会に新たな風が吹くと期待する人もいるが、その風がどこへ向かうのかは見通せない。スラム街の貧困層には、マルコスの政治に対する不安が強まっている。
マルコス政権も、歴代の政権と同じく、経済成長と貧困対策を謳っている。マルコスは、とくに公共インフラ整備や社会保障制度の拡充を掲げているが、その実行過程には多くの課題がある。
たとえば、主要な政策のひとつである「ビルド・ビルド・ビルド」プロジェクトは、インフラ開発を通じて経済成長を促進することを目的としている。
ところが、このプロジェクトの多くは都市部に集中しており、地方の貧困層にはほとんど恩恵が届いていない。また、例のごとく、公共事業にかかわる腐敗問題や資金不足が、インフラ整備の遅延や効果の低下を引き起こしている。
貧困層の救済を目的とした現金給付プログラムも実施されているが、その配分には不公平が生じており、実際に必要としている人々に行き渡らないケースが多い。このような政策の実行不備が、結果として貧困層の生活改善を妨げている。
一方で、街頭の市場で売られる商品は高騰し、インフレ率の上昇により日用品や食料品の価格が急激に上がっている。労働者たちは賃金がほとんど上がらないまま、このインフレに対処しなければならず、まともな収入を得られないまま日々の生活に苦しんでいる。
農村地帯でも同様で、農民たちは収穫物の価格が安く買いたたかれ、まともな収益が得られない現状に直面している。マルコス政権は農業改革を掲げてはいるが、その実効性については疑問が残る。
むしろ、ひどくなっている貧困状況
マルコスの政策は、表向きには貧困層の救済を掲げているものの、実際に何がおこなわれているかは不透明である。
スラムの一角で、6人の子供を抱える母親がメディアで「政府が変わっても、私たちの生活は何も変わらない。水道も電気も不安定で、食べるものさえ足りない」と語っていたが、その言葉はフィリピンの貧困問題がいかに根深いかを物語っている。
フィリピンは子供がやたらと多い国なのだが、その子供の栄養失調率は30%を超えており、とくに農村地域ではその割合がさらに高い。フィリピンの農村地域では、貧困と栄養失調の問題が深刻であり、十分な食糧を得ることができず、必要な栄養素を満たせない子供たちが多数いる。
これにより、発育不良や健康問題が頻繁に発生しており、彼らの将来の可能性が狭められている。都市部でも貧困の影響は顕著で、スラム街に住む家庭は日々の食事や基礎的な生活インフラの確保に苦労している。
水道や電気といったインフラは不安定で、多くの家庭が安心して暮らせる環境を持たない。これらの状況は、とくに子供たちの健康や教育に深刻な影響を及ぼしており、長期的な社会的格差の拡大を助長している。
また、貧困は社会全体の治安にも影響を及ぼしている。生活の糧を得る手段が限られているため、犯罪に手を染めざるを得ない若者も多く、これがさらに社会不安を引き起こしている。
前ドゥテルテ大統領が、ドラッグの密売者《ディーラー》を殺しまくって問題になっていたが、それでも若者が次々とこの危険なビジネスに身を投じるのは、結局は貧困からきているのだ。
政府はこれらの問題に対して一部の支援策を講じているものの、資源の不足や効果的な配分の欠如が問題の根本的な解決を妨げている。
失業率は公式には4.5%と報告されているが、実際には非正規雇用や季節労働の多さから、その数値は信頼できないという。多くの人々が安定した職を持たず、日雇いの仕事で糊口《ここう》をしのいでいるのが実態である。
ボンボン・マルコス政権はこれらの問題に対し、社会保障制度の拡充やインフラ投資を進めると発表している。しかし、その多くは資金不足や官僚的な遅延により、実際の効果を発揮していない。
フィリピンの貧困は単なる統計上の数字ではない
フィリピンの多くのメディアが貧困とスラムを取り上げているが、そうしたメディアの映像を見ると、スラムの住民たちの苦しみがさらに鮮明に見えてくる。雨季には道路が冠水し、家々が水に浸かることは日常茶飯事だ。
昨今の凶悪化しているハリケーンはフィリピンでも猛威を振るっているが、フィリピンのスラム街ではしょっちゅう家が水没したり流されたりしている。それでも、政府の救援は届かない。そのため、貧困層はますます貧困化していく、
床の上に立てられた小さなベッドの上で寝るしかない子供たち、日々の食糧を得るためにゴミ捨て場でリサイクル可能なものを探し続ける青年たち。その姿は、単に物資の不足だけではなく、貧困層には希望なんかないことを意味している。
彼らは毎日、生きるために戦わなければならず、明日への展望など持つ余裕はない。彼らはリサイクル可能なプラスチックや金属片を収集し、それを業者に売りにいくことでわずかな金銭を得ているが、その金額では家族を養うことは到底できない。
多くの子供たちは学校に通わず、教育の機会を失ったまま成長していく。貧困家庭で育つ子供たちは、教育の機会を奪われ、成長しても安定した収入を得ることが難しい。彼らは将来の可能性を閉ざされ、貧困の連鎖から抜け出すことが非常に困難な状況にある。
結局、彼らはふたたび貧困に苦しむ家庭を築き、その子供たちも同じ道をたどることになる。これぞ典型的な「貧困の連鎖」である。フィリピンでは延々と貧困の連鎖が続いているのだ。
また、ゴミ捨て場での活動は衛生面でも非常に危険であり、多くの子供たちが病気にかかるリスクを負っている。彼らの姿は、フィリピンの貧困が単なる統計上の数字ではないことを、痛ましいまでに物語っている。
貧困層は、病気になっても医者にかかることなんかできない。薬は高価であり、そもそも医師の数が不足しているため、地方にいくほど適切な医療を受けることが困難になる。妊産婦の死亡率も高く、多くの女性が適切な産前・産後ケアを受けられずに命を落としている。
私自身はまだフィリピンの成長に対しては懐疑的
ボンボン・マルコスの政治がフィリピンの貧困問題を解決するのか、それともただ問題を先送りにするのか、現時点では、はっきりとした答えはない。
しかし、日々流れてくるフィリピンのスラム街の現実や、貧困の報道に接していると、「ボンボン・マルコスに変わったところで何が変わったわけでもない。歴代の政権と同じくフィリピンの貧困は放置されたままだ」と私も感じる。
貧困層にとって政治とは遠い存在であり、自分たちの声が届くことはないという感覚が強まっている。たとえば、スラム街に住む住民の多くは、政治家が訪れることもなく、自分たちの問題が議会で取り上げられることはないと感じている。
その結果、貧困層は政治に対して無力感を抱き、変化を期待することすらあきらめる。多くの住民は、政治家が自分たちの生活に直接的な影響を及ぼすとは考えておらず、選挙に参加することさえ無意味だと感じているのだ。
マルコス政権が掲げるインフラ整備や経済成長の恩恵は、都市部の裕福な層には届いても、もっとも困難な状況にある人々には届かない。たとえば、新しい道路や橋が建設されても、それは主に都市の中心部に限られている。
地方の農村部では依然として未舗装の道路が多く、住民は雨季になると移動さえままならない。
また、インフラ整備に伴う経済成長は、一部の大企業や富裕層に利益をもたらすだけで、スラム街の労働者や農村の農民にはその恩恵がほとんど感じられない。彼らは依然として低賃金の労働に従事し、生活の向上が見込めない状況にある。
これらの不平等は、経済成長が国全体に行き渡らないことを象徴しており、社会の格差をますます広げている。
この絶望的な状況を打破するに、ボンボン・マルコスはもっと人々の生活の質を向上させることが必要不可欠である。しかし、現実には政治的な意志が足りず、貧困層に直接届く施策が実行されていない。
フィリピンの貧困問題は今もなお生々しい現実であり続ける。最近、フィリピンへの投資も活発になってきているのだが、私自身はまだフィリピンに対しては懐疑的であり続けている。貧困層を一気に底上げする、何らかの高度成長と強力な貧困層支援がない限り、国全体の発展もまた限界に直面する。
ただ、私はフィリピンという国には強い思い入れもある。過去には貧困の女性ともかかわってきた。そのため、わずかではあってもいつかフィリピンに投資したいという気持ちもある。フィリピンのブレイクスルーをじっと待っている。
フィリピンの貧困は終わらないですね。でもあと20年くらい経ったら日本もフィリピン化しているような気もします。石破じゃ終わりですよw