ペートンタン政権はタクシン一族の復活であり、タイの政治の新たな火種となる?

ペートンタン政権はタクシン一族の復活であり、タイの政治の新たな火種となる?

タクシン・シナワトラはタイを大混乱させ、国民を分断させ、あげくの果てにクーデターで国を放逐された人物である。娘であるペートンタンの登場は、ふたたびタクシンの政治が戻ってくることを意味する。またもやタイは、国民が分断して激しい衝突が起こるのだろうか?(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

タクシンの娘ペートンタン・シナワトラの登場

最近、タイの「政権交代」について興味深く見つめている。セター・タウィーシン首相が失職し、後任としてタクシン・シナワトラ元首相の次女であるペートンタン・シナワトラが就任した。

もしかして、これがまたタイ政治の動乱のはじまりになるのかもしれないと思いつつ、私はこの情勢を眺めている。

セター氏の失職は、2023年8月に就任してからわずか9か月後のことだった。タイ憲法裁判所は、セター氏が禁固刑を受けた人物を閣僚に任命したことで「重大な」倫理違反を犯したと判断し、解職命令の判断を下した。この判決により、セター氏は即日で首相職を解任された。

タイでは2023年5月の総選挙以降、政治的な混乱が続いている。当初、前進党のピタ・リムジャルンラット党首が首相候補として有力視されていたが、議会での承認が得られず、セター氏が代わりに就任した経緯がある。

今回、そのセターが短期間で解任されたのだ。そして、後任として選出されたのがペートンタン・シナワトラ氏だった。彼女が38歳という若さで首相に抜擢されたのは、彼女が最大与党であるタイ貢献党の党首であり、タイ政界の大物であるタクシン元首相の次女であることが大きい。

ペートンタン氏の首相就任は、タイ議会の両院合同会議で決定された。投票の結果、518票中382票を獲得し、野党候補を大差で下した。これは圧倒的な支持を得たように見えるが、この結果にはタイの複雑な政治事情が反映されているとの指摘がある。

タイの政治評論家は、「ペートンタン氏の勝利は、タクシン一族の影響力と軍部を含む既得権益層との妥協の産物だ」と分析している。

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難しい政治課題に直面することが予想される

タクシン・シナワトラは私利私欲に明け暮れ、タイを大混乱させ、国民を分断させ、あげくの果てにクーデターで国を放逐された人物である。娘であるペートンタンの登場は、ふたたび「あの」タクシンの政治が戻ってくることを意味する。

タイの国内には依然として「反タクシン(黄シャツ派)」勢力が残っている。ペートンタンが一族の権益を優先するような政治姿勢を見せたら、すぐに反タクシンの抗議が盛り上がってふたたびタイの政治は混乱に落ちていくだろう。

タイ経済は近年パンデミックの影響から回復傾向にあるものの、依然として課題は多い。依然としてくすぶるインフレや景気の不透明感があり、典型的な「中進国のワナ」に陥っていると指摘されている。

中進国のワナというのは、低賃金労働力を活用した経済成長が限界に達し、人件費上昇により工業品の輸出競争力が失われ、技術開発力では先進国に及ばず、経済成長が停滞するという状況である。

ペートンタンは就任演説で「タイの未来のために全力を尽くす」と述べ、国民に向けて団結を呼びかけた。また、汚職撲滅や社会格差の是正にも取り組む姿勢を示し、「クリーンで透明性の高い政治」を実現すると約束した。

しかし、政治的能力も経験もない「若すぎる」ペートンタンが、うまく舵取りをできるのかどうかは完全に未知数だ。とくに、軍部との関係改善や王室との関係維持など、難しい政治課題に直面することが予想される。

タイの政治は、軍部や王室との関係が複雑に絡み合っている。ペートンタンは、これらの既得権益層との関係をどのように構築していくかが、政権の安定性を左右する重要な要素となる。

とくに、軍部との関係改善は喫緊の課題とされており、ここでつまづくと、タイは一気に政治的混乱に陥る。かつてのタクシン政権も、ここで失敗してクーデターによって放逐されたのだ。

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タイ政治の新時代の始まりではなく過去への回帰

とにかく、今後の最大の懸念はペートンタンの経験不足である。政界入りしてからわずか3年の彼女が、タイの複雑な政治状況をうまく舵取りできるのか。

これについては疑問の声のほうが大きい。タイ商工会議所の調査によると、ビジネスリーダーの62%が「ペートンタン氏の経験不足が経済政策に悪影響を与える可能性がある」と回答している。

ネーション紙も「若さと経験不足が、国家運営の足かせとなる可能性がある」と論じている。

そうなると、間違いなくペートンタンは父親タクシンを頼ることになる。タクシン元首相の影響力は必然的に強まっていく。多くの観測筋は、タクシンが娘を通じて実質的な権力を握る「影の首相」となる可能性を指摘している。

バンコク大学の政治学者のひとりは、「ペートンタン氏の就任は、タクシン一族の政治復帰を意味する。これは民主主義の後退につながる危険性がある」と警告している。今回も娘を首相にしているのだから、批判を浴びても当然だろう。

タクシン支持派(赤シャツ派)と反タクシン派(黄シャツ派)の対立は、過去20年間のタイ政治を特徴づけてきた。ペートンタン氏の就任により、この対立が再燃する可能性は十分にある。

世論調査では、タイ国民の45%が「政治的分断が深刻化する」と回答しており、私が懸念しているのもまたこの点である。タクシン・シナワトラはあきらかにタイの政治を私物化している。

国際社会の反応も複雑だ。アメリカやEUなどは表面上、ペートンタン氏の就任を歓迎する声明を出しているが、内部では懸念の声も上がっている。とくに、タイと中国の関係強化を警戒する声が強い。

タイの主要メディアも、ペートンタン政権に対して慎重な姿勢を示している。バンコクポスト紙は社説で「ペートンタン氏の就任は、タイ政治の新時代の始まりではなく、過去への回帰の危険性がある」と指摘している。

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反タクシン派の不満が醸成されていくことになる

ただ、一方でペートンタン氏を支持する声もないこともない。若い世代からは、「新しい視点で政治を変えてほしい」との期待の声も上がっている。

タイ国立大学の学生団体が実施した調査では、18歳から25歳の若者の57%が「ペートンタンの就任を肯定的に評価する」と回答している。若い世代が若い政治家を支持したくなるのは心境としては理解できる。

また、ビジネス界の一部からも期待の声がある。タイ商工会議所のトップは「ペートンタン氏の経済政策には、デジタル化の推進や外国投資の誘致など、前向きな要素が多い」と評価している。

しかし、これらの期待の声を上まわる形で、懐疑的な見方が広がっているのが現状だ。結局、彼女はタクシンの娘であり、タクシンの傀儡《かいらい》というのが現実の姿である。

それであれば、これはやはり「過去の亡霊が蘇った」と見るのが正しい。

ペートンタン政権がうまくいくとしたら、徹底的に父親であるタクシン元首相の存在を消して、ペートンタン自らが自発的に課題に向き合い、タクシン一族の利害を追及しないで清廉潔白に動くことしかない。

しかし、タクシン元首相は自己顕示欲が強く、かつ自身の利害を徹底的に追求する政治家でもある。おとなしくしているとは思えない。娘であるペートンタンを差し置いて前面に出てくることも多くなるはずだ。

そうなると、結局は「これはタクシン政権ではないか」という認識になって、反タクシン派の不満が醸成されていくことになる。

ペートンタン氏の首相就任は、タイ政治の新たな局面を開いたが、その行く末には多くの不確実性が残されている。国内外の懐疑的な見方を払拭し、国民の信頼を勝ち取ることができるのか。ペートンタン政権の今後の動向が、タイの将来を大きく左右することになる。

ブラックアジア・タイ編
『ブラックアジア・タイ編 売春地帯をさまよい歩いた日々(鈴木 傾城)』連載当時、多くのハイエナたちに熱狂的支持されたブラックアジアの原点。

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