タイ・パタヤは巨大な歓楽街として全世界に名がとどろいている場所である。パタヤは、1960年代まで小さな漁村と静かなビーチしかなかった。しかし、ベトナム戦争時に米軍の一時的な中継地として使われるようになって、ビーチ沿いにゴーゴーバーやオープンバーが建つようになった。
ベトナム戦争が終わると、ここには米軍の代わりにリタイアしたファラン(白人)たちがやってくるようになって、彼らだけの歓楽地として機能するようになった。パタヤはもともと「ファランのための歓楽地」であったのだ。
私がここをふらりと訪れたのは1980年代の後半のことだったが、たしかに大半はファランばかりであり、女性もファラン好みの野性的な雰囲気がする化粧やファッションに身を包んでいた。彼女たちもまたファランを意識していた。
しかし時代が変わるにつれて、この街は観光地化していくようになり、日本人や、アラブ人や、中国人や、韓国人や、シンガポール人などが押し寄せるようになった。そして、今では多くのアジア人、とくにインド人が目立つようになってきている。
白人もいるにはいるのだが、かつてとは違って肩身が狭くなっている。
中国人などは団体になって女連れでぞろぞろとやってきては、ファランやバーガールを「動物園の珍獣」みたいに無遠慮にバシャバシャと写真を撮ってくる。もうパタヤは「歓楽街」というよりも「観光街」になってしまっていたのだ。
白人たちはそういうのに嫌気が指して、早々に観光客まみれのパタヤ・ウォーキングストリートを捨てて、ソイ・ブッカオあたりに引っ込んでいた。しかし、そこにも無遠慮な観光客がやってくるので、もうパタヤそのものを捨ててジョムティエンビーチのほうに移動してしまった。
しかし、そこでもやはり同じことの繰り返しだ。イナゴのように観光客が押し寄せて、白人たちの「隠れ家」を荒らしていく。もう白人たちは自分たちの隠れ家をパタヤで見つけるのは簡単なことではないことに気づいている。
そして、彼らはとうとう自分たちだけの隠れ家を作るために、新たな動きをしているのだという。