今の日本人は南米の女性がストリートに立っていて客を誘っていたらぎょっとするだろう。しかし、2000年代は東京の夜の街で南米の女性がストリート売春をする姿は日常であったのだ。
たとえば2000年代の前半、新大久保がまだコリアンタウンにはなかった頃、安宿のまわりにはコロンビア女性とポン引きのイラン人男性がストリートのあちこちに立っていて壮観なエリアだった。
同じ頃、池袋北口のラブホテル街のまわりや、町田のラブホテル街にも南米から来た女性たちが大量に立っていて、「どこに行っても南米の女性がいる」というのが当時の私の実感だった。
私は20代の後半には一時期、中米を旅したことがあったのだが、メキシコから陸路でグアテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・ニカラグア・コスタリカを訪れた。
予定ではパナマに入ってからコロンビアに向かう予定だったのだが、コスタリカで熱射病にかかって路上で倒れて数日間寝たきりになり、体力的にパナマ〜コロンビアは無理だと判断して旅を切り上げたことがあった。
パナマはどうしても入りたかったのだが、それには理由があった。
私は日本で一時期、ほんの少しだけパナマの女性と付き合っていたことがあったからだ。この女性は池袋の北口でストリート売春をする女性だったのだが、本当に漆黒の肌がツヤツヤに輝いていて私には芸術作品のようにも思えるほど美しく感じた。
褐色《エボニー》ではなくて、完全なる漆黒《ブラック》だったのだ。あとで知ったのだが、パナマは彼女のように漆黒の肌を持った女性の宝庫だった。そういうこともあって、パナマに入りたかったが叶わなかった。