知的レベルの高くディベート能力の高い人間を簡単に粉砕するたった1つの方法?

知的レベルの高くディベート能力の高い人間を簡単に粉砕するたった1つの方法?

闘争には「殺し合って決着を付ける」から「ディベートで決着を付ける」まで、さまざまなバリエーションがある。現代は「ディベートで決着を付ける」のが正しいことになっているが、それは知的レベルの高い人が作った社会システムの中の常識であると考えることもできる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

殴り合うよりもディベートで戦った方が有利になる人

人間社会にはあらゆる分野で「闘争」が付きものである。人は何かにつけて対立し、その対立によって自分が優位に立ったり、劣勢に叩き落されたりする。この闘争という面にフォーカスして物事を考えると興味深いことが分かる。

闘争には「殺し合って決着を付ける」というものから「討論《ディベート》で決着を付ける」というものまでさまざまなバリエーションがある。現代人の多くは「ディベートで決着を付ける」のが正しいことだと思っているのだが、それは誰が決めたのか?

もちろん、「殴り合うよりもディベートで戦った方が有利になる人」である。

知的な人間、高度な知能を有する人間は、自分の強みと弱みをよく知っているので、決して自分が弱い部分では戦うことはない。彼らの強みとは文字通り「頭脳で相手と戦う分野」である。

だから、彼らは自分たちが優位になるような高度情報化社会を作り出すし、社会を構築するに当たって、自分たちが不利になる分野を封殺して絶対に「それ」が台頭できないようにする。

一方、知的レベルの高い人間の「弱み」とは何か。

それは「直接的な暴力」である。だから、彼らは直接的な暴力が行使されない社会を必死になって作り上げる。殺し合い・殴り合いでカタをつける暴力社会になると、彼ら個人はひとたまりもない。

だから、彼らが社会の主流である時は「暴力は絶対にいけません」「暴力は卑怯」「暴力は断じて許せない」と、暴力徹底否定の社会を作り出し、暴力を法律的にも規制し、暴力に強い人間が社会の主流にならないように、どこかに押し込める。

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今は「言論が尊ばれて暴力が排除されている社会」

世の中のルールは人間が決めた。今の世の中のルールは「殴り合うよりもディベートで戦った方が有利になる人」が決めている。だから、彼らの不利になる暴力は否定されて、ディベートで戦うのが当たり前のように決められている。

そのルールは「今はそういう社会」だから、そうなっているだけである。

社会のルールというのは、それぞれの時代によってまったく違う。今の常識がかつての常識であったわけではないし、未来の常識になっているわけでもない。すなわち「ディベートが大事」という社会ではなくなっていても不思議ではない。

今は知的レベルの高い人間が頂点に立っている。しかし石器時代では強い肉体を持って伝染病や細菌に対する免疫力が強い人間が求められていて、危険な獲物と戦って勝てる人間が知的レベルが高い人間よりも優先された。

要するに殺し合い・殴り合いに強い人間が、知的レベルが高い人間よりも優位に立っていた。知的レベルよりも肉体的・精神的に暴力レベルが高い人間の方が生きやすい時代だったのだ。

戦争や内戦が続いて治安が崩壊して暴力優位な社会でも、暴力に躊躇がない人間が地域を支配する。いくらディベートがうまくても、直接的に殴り合うのが許されている社会では暴力で制圧されて終わりなのである。

何が言いたいのかというと、「時代や環境によって常識が変わり、どんな人間が頂点に立つのかが変わってくる」という点である。いつか「ディベートで戦うよりも殴り合う人が有利になる人」が社会のルールを決めるようになると、ディベートでしか戦えない人は「ダメなやつ」ということになる。

別に私は暴力主義者ではないので、そういう社会になって欲しいとは思っているわけではない。

今は「ディベートが尊ばれて暴力が排除されている社会である」ということが言いたい。そして、それは「今の社会のルール」であり、そのルールは不変なルールでも何でもないということが言いたい。

今は知的レベルが高い人たちが作っている社会なので、意図的に知的レベルの高い人が優位に立っているというだけで、「ディベートで決着を付ける」というのも、そういう社会が培った考え方に過ぎない。

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肉体主義の人間をスポーツに閉じ込めて見世物にする?

闘争を「暴力で決着をつける」というのは、ひとつのスタイルとしてあり得る。

しかし、それをやられると「肉体的には貧弱だが頭だけは良い人」は、なす術もなく負ける。頭が良い人は必ずしも殴り合いに強いわけではない。むしろ頭が良くなる方向に最適化されているので、殴り合いや殺し合いには弱いことが多い。

だから、彼らは「暴力に強い人」を本能的に恐れており、そのために彼らが優位に立って作り出す社会においては徹底的に暴力が排除される。

暴力というのは「肉体言語」である。

知的レベルの高い人は「知的言語」は強いのだが「肉体言語」は弱い。だから、肉体言語=暴力を違法化して、どんな場面でも自分に降り掛かってこないようにしているのである。

「今はそのように社会が構築されているのだ」ということに気づかなければならない。

知的レベルの高い人が優位に立つ社会とは、肉体的には貧弱でも頭の良い人が、肉体的には最強でも頭の悪い人を討論《ディベート》で打ち負かすことを可能にした社会である。

このディベートには「絶対に暴力に訴えない」というルールが課せられて、肉体言語が否定されている。そして、それこそが彼らの絶対的優位を維持するシステムなのである。

肉体的に強い人、暴力にためらいがない人、殴り合いがうまい人、殺し合いがうまい人は、「ダメな人」という烙印を押して社会的に制裁し、彼らが台頭しないように教育からも法律からも徹底的に締め出す。

そして、猛獣を動物園に閉じ込めて見世物にして楽しむように、肉体主義の人間をスポーツなどに閉じ込めて見世物にする。知的レベルの高い人間たちは、肉体主義の人を見世物(スポーツ)に落とし込んで動物園にしてしまっているのである。

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ディベートには暴力で返す光景が広がっていくのか?

知的レベルで優位点がない人間が討論《ディベート》に勝つためにはどうすればいいのか。それは、相手の土俵に立ってディベートで相手を論破することではない。それは相手の得意とする分野であり、相手がそこで戦って欲しいと思っている舞台である。

相手はそこで勝てるから、そこに誘い込む。

当たり前だが、相手に勝つためには相手の土俵ではなく自分が勝てる土俵に相手を無理やり引きずり出す必要がある。頭の良い人でも肉体的に貧弱なのであれば、相手を暴力の現場に引きずり出して肉体的に痛めつければ勝てるのである。

知的レベルの高い人間が「お前は頭が悪いね」と嘲笑するのであれば、暴力で殴りつけて「お前はケンカが弱いね」と嘲笑すれば勝てる。もちろん、そんなことをしたら逮捕されるのは間違いない。

しかし、その逮捕は「知的レベルの高い人間が自分を守るために作り上げた法律」であると意識しておくのは大切である。彼らは自分たちが不利にならない社会を作り上げているので、暴力を振るわれないように二重にも三重にも防御をしているということなのだ。

ディベートも「相手を精神的に打ち負かす言語暴力であり虐待である」と考えることもできる。そうすると、ディベートも逮捕案件になってもおかしくない。しかし、肉体的暴力が禁止されても、ディベートそのものは野放しにされている。

それは、ディベートが何かを生み出すという側面もあるかもしれないが、潜在意識の中では、知的レベルが高い人々がそうでない人々を「言葉で殴りつける暴力」を楽しみたいからだと理解することもできる。

闘争という面にフォーカスして物事を考えると、現代社会は「肉体言語が規制されている状態にある」という点を意識してみるのも興味深いはずだ。

ところで、今の日本社会は知的レベルが高い人々が高賃金・高待遇を享受し、大きな資産が持てて贅沢できるようになっており、知的レベルが平均かそれ以下の人々は貧困にあえぐ不平等な社会になっている。

最初から社会で成り上がれず、どん底を這い回るだけの人たちが増えた。彼らは最初から「何も持っていない」無敵の人である。彼らは知的レベルの高い人に「頭が悪い」と嘲笑され、貧困も「自己責任」と突き放されている。

しかし、この何も持たない無敵の人が、ふと「俺たちには肉体言語(暴力)があるではないか」と気づいたらどうだろう? 「あいつらは、俺たちから肉体言語を奪っているのだ」と思いついたら何が起こるのだろう?

彼らは「言論が何とか」とか「ディベートが何とか」とか言っている人間を暴力で粉砕できることを知り、容赦なくそれを行使するようになっていくだろう。

知的レベルの高い人間の弱点が暴力であることが周知されると、ディベートには暴力で返す光景が広がっていくこともあるだろう。知的レベルの高い人間が血まみれになる日がくる。

今はまだ、そういう社会になるとは誰も思っていないが……。

ボトム・オブ・ジャパン
『ボトム・オブ・ジャパン 日本のどん底(鈴木 傾城)』

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