◆ルークトゥンの響き。虚飾こそが、夜の女たちに必要なもの

◆ルークトゥンの響き。虚飾こそが、夜の女たちに必要なもの

タイ編
パタヤの夜。この日、ウォーキング・ストリートを外れて歩いていたが、あるオープン・バーの横を通り過ぎようとしたとき、ひとりの娘が「ヘイ、ハロー!」と声をかけて、腕を引っ張ってきた。

どうしても腕を放してくれないので、彼女に引きずれるがまま、そのオープン・バーに入る。見まわすと、年を取った女たちも多かったが、若い女も混じっていた。

狭く小さなバーだったが繁盛していた。何人ものむくんだ顔をしたファランが女たちと談笑したり、軽く抱擁したまま酒を飲んでいたりする。

かかっていた音楽はアメリカのポップ音楽で、誰も音楽を聴いていないように思えた。

仕事をはじめて日が浅い娘

彼女は男をカウンターに座らせると、急に困ったようにはにかみを浮かべた。

ここまで連れてきたのはいいものの、英語がほとんど話せないので立ち往生しているのだった。困っている彼女の素直な表情は面白かった。

彼女は25歳前後に見えたが、バーでは若い部類に入った。彼女はほとんど英語が話せない。話をしようとすると、すぐにカウンター奥のママサンを呼ぶ。ママサンは嫌な顔ひとつせずにこちらに来て彼女を助けようとする。

「いつ、この商売をはじめたの?」

彼女にそう聞いてみると、2本の指を立てて2ヶ月ほど前であることを教えてくれた。

「その前は?」
「その前は働いていなかったのよ」

ママサンが代わりに答えて笑った。

本当かどうかは分からないが、彼女の態度を見ていると、接客にも慣れておらず、英語もほとんど話せず、接客のビジネスに飛び込んで日が浅いというのは確かに推測できた。

次第に彼女の額に汗が浮かんだ。緊張し、どうしていいのか分からないのだった。

ゲームをしようと言うので、オセロの盤を縦にしたようなゲームをするが、すぐに気がそぞろになってくる。

典型的なパタヤの安酒場。真夏の空気の中で、すぐに酒が出る。

本当に、君をペイバーするよ

ママサンがやってきて、「どう? 彼女をペイバーしない?」と持ちかけてきた。

オーケーすると、彼女はショックを受けたかのように驚いている。

自分がペイバーされるとは思っていなかったらしく、その顔に狼狽のようなものが走っていた。 彼女は「本当にわたし?」と確認してきた。

「本当に、君をペイバーするよ」

そう答えると、彼女はママサンと早口のタイ語で何かを言い合っていたが、やがて覚悟を決めたように立ち上がって奥に消えていった。

「彼女はペイバーされるのは、はじめてなのかい?」

ママサンに訊ねると、ママサンは「はじめてじゃない」と否定した。

しかし、たぶん彼女ははじめて男にペイバーされるのだろうという直感がした。

夜ビジネスというのは面白いもので、本当にはじめてのときは足元を見られまいと「はじめてじゃない」と言い張る。

何度もペイバーされて慣れきったプロは逆に「ペイバーされるのは、はじめてなのよ」と言う。

本物の処女は「処女じゃない」と強がり、処女じゃない女は「処女だ」と欺くのと同じ精神構造だ。

夜の世界では、誰もが足元を見られたくないという虚飾や見栄にとらわれるようだ。すべての価値は、真実ではなく、虚飾の方に重きを置かれる。

つまり、夜の世界は、昼間の世界の常識とはすべて逆さになっていると考えていい。

ちょうど、植物が太陽に向かって伸びれば伸びるほど、根は土の深くにどんどん潜っていくようなものだ。

虚飾こそが夜の女性が身につけるもの

昼間の世界では正直であることは問答無用に正しいことだが、夜の世界ではうまく嘘のつける人間が正しいことである。

金のある人間はぼったくられないように「金がない」と言い、金のない人間はそこから追い出されないように「金がある」と言う。

そして女性は、本当に愛している男には身を引こうとして「愛していない」と言い、愛していない男には金のために「愛している」と言う。

本当の姿を見せないために、女は「本当の自分」を徹底的に隠そうとする。虚飾を男に見せて、それが本物の自分だと男に信じさせようとする。

顔かたちを変えるために厚化粧をする。唇を鮮明に見せるために口紅を塗る。若く見えるように、そして男が好むように髪を染める。

本物の体臭を消し、あたかもそれが自分の体臭であるかのように香水をつける。

それでも飽きたらずに整形手術をしたり、豊胸手術を受けたりする。豊胸に見えるようにごまかす下着もあれば、足を長く見せるためのハイヒールもある。

売春地帯で女は自分の肉体を売る。だから、女は肉体に虚飾で磨かなければならない。

その嘘と欺瞞で塗り込められた世界を本能的に嫌う人は昼間の人であり、嘘と欺瞞を無意識に受け入れることができる人は夜の世界に向いている人だ。

ウブな女が水商売に降りてきた時、まず覚えなければならないのは、その徹底的な変身とうまい嘘をつく方法である。

女はもともと変身もうまい嘘をつくのも才能があるようで、一年もすればその世界に馴染むことができる。 息をするように、嘘をつけるようになる。

そして、最後には、何が本当で何が嘘なのかも分からなくなっていくのである。

ルクトゥーンの、古めかしい曲

やがて、小さなハンドバッグを持った彼女がやってきて席を立ち、一緒にホテルに向かった。

歩きながら彼女はじっと下を見ていたが、手を差し出して来るので恋人のように手を握り合う。彼女はにっこりと笑った。

ホテルに入ると、彼女は備えつけのソファに座って部屋を見まわしていた。

鏡を見つけると、化粧をチェックして再びソファに座る。「何か飲むかい?」と聞くと、一緒に冷蔵庫をのぞき込み、ビールを一本取りだした。

視線が合うと彼女は笑みを浮かべたが、ぎこちなく、落ち着かないものだった。

彼女はベッドに入る時間をずっと先延ばしにしたいと考えているようだったので、それを無理に求めなかった。どこで彼女が決意するのかが興味あった。

テレビが見たいというのでつけてやった。

彼女はあちこちチャンネルを回していたが、やがてタイのカントリー・ソングと言われているルクトゥーンの、古めかしい曲のところでぴたりととまった。

伏し目がちの美しい女性が、ルクトゥーンの歌に合わせて身の不幸を嘆いているプロモーション・ビデオだったが、彼女はそれを食い入るように見つめていた。

アメリカのポップやロックが大量に流れ込み、彼女の職場であるオープン・バーでも、まるで当たり前のようにアメリカの曲が流されている。

しかし、実は演歌を思わせるようなリズムを持ったルクトゥーンの方が彼女の琴線に触れているようだ。

ルークトゥン。田舎者の歌

日本では演歌を聞く若い女性はいないと思う。しかし、かつては演歌こそが歌の神髄であり、ポップは子供のジャンルだった。

彼女がルクトゥーンを真剣に聞くように、かつての日本人も真剣に演歌を聞いていたはずだ。

演歌は悲哀を歌う。その悲哀は貧困から生まれている。そして、かつての日本はどこにでも貧困があった。

高度成長時代から成熟社会に向かう1974年でさえ、貧困から抜け出せない日本人も多かった。

言うまでもなく、貧困こそが、悲哀や、不幸や、悲しみを大量に産み出す根本であり、貧困の時代を知っているからこそ、演歌は日本人の中に根づいていた。

それが顧みられなくなって、棄てられたというのは、日本が貧困を忘れてしまったか、最初から知らなくなったからなのだろう。

演歌に水商売の女たちが多く登場するのは、貧困が女たちを売春に追いやっている現状を示しており、そのような女がたくさんいたということだ。

アメリカのカントリー・ソングも不幸を嘆き、その中でもがいている人々を歌う。

男に棄てられて途方に暮れている女、そして妻を寝取られて愕然としている男の物語が歌い綴られる。

ロックやヒップホップ、そしてソウルの根本にあるブルース(黒人ブルース)もまた、貧困に陥れられた黒人たちが不幸を叫ぶものだった。

民族音楽の根源は悲哀に満ちた叫びやつぶやきが溢れている。

しかし、先進国から悲哀の曲が棄てられて顧みられなくなる。アメリカでカントリーが売れず、日本で演歌が棄てられたのは、単純に国が豊かになって悲哀に現実感がなくなったからだ。

タイでルークトゥンが真剣に聞かれているというのは、この国が中進国として邁進し、人々が少しずつ豊かさを享受しつつも、いまだに貧困がそちこちに根を張っているからなのだろう。

ルークトゥンはタイの「下層階級」に圧倒的な支持を得ているのだ。そして、彼女がそうやってルークトゥンを聞くというのは、彼女自身にも貧困の悲哀を知っているからに他ならない。

イサーンのその先にあるのはラオスやカンボジアである。タイのルークトゥンとカンボジア演歌は、ほとんど同じだと断言してもいい。カンボジアに行けば、いまだカンボジア演歌のみが本流である。

ほとんどの日本人がそれを聞くと「古くさい」とあざ笑い、ルークトゥンを聞くタイ人やカンボジア人は古いと切り捨る。そこで理解がとまってしまう。

しかし、ルークトゥンこそがタイの根源なのである。ルークトゥンの意味は「田舎者の歌」だ。

子供を生んだ女の乳房

ビールを飲み終わり、ルークトゥンを聞き終えた彼女は、やがて覚悟を決めたように立ち上がり、シャワーを浴びに行った。そのあとにシャワーを浴びて、ふたりでベッドに潜り込む。

胸を見られるのを彼女は嫌がった。しかし、脱がなければその先がない。ゆっくりと彼女の胸を覆っているバスタオルをはぐっていく。

それは子供を生んだ女の乳房だった。

乳輪は大きくなり、一度大きく膨らんで、それから萎んだようになっていた。妊娠線と萎んだ乳房のシワが目立っていた。

彼女は子供を産んでいるという事実とは他に、相当若いときに子供を産んだということも推測できた。

そして、なぜ彼女がパタヤで売春のビジネスをしなければならなくなったのかという事実も、その乳房で垣間見えてくるものがあった。

子供を身ごもったことで、彼女は転落してしまったのだろう。そして、どうにもならなくなったあと、彼女はパタヤで肉体を売るビジネスをする決意をしたのだろう。

貧困が彼女に取り憑き、もがいても振り払えず、そして彼女はパタヤに落ちてきたのだろう。典型的な転落の人生なのかもしれないが、典型的だからと言って彼女の慰めにはならない。

子供を産んで若い容姿を失った彼女に、男たちの何人かは失望感をあらわにして彼女を傷つけるだろう。

表社会では子供を産み育てる女性は誇るべき存在で、女性は子供がいることを隠さない。

しかし、裏社会では子供を産んだ女は価値のない女だと思われている。まして子供を産んだせいで容姿の衰えた女など必要ないとさえ男は考えている。

パタヤは子供を産んだ女たちが普通に働いている場所だ。だから、男は本当はそんなことでいちいち失望するのが間違っている。

しかし、若い女しか興味のない男は相変わらず多くて、意味もなく女性を傷つける。

女たちはそんな男たちの無意識を知っている。気にしない男はまったく気にしないが、気にする男は容姿を失った女を激しく嫌う。

ル・ラウ・ル・ラウ(Ru Leaw Ru Laew)

容姿を失った女は、だからこそ虚飾で肉体を飾りつけようと躍起になるのかもしれない。

なんとかベッドまでこぎ着ければ、そこで虚飾が剥がれても、男たちはとりあえず途中でやめるわけにはいかない。最後までやり遂げる。

最後まで終わりさえすれば、彼女たちは仕事を終えたと胸を張って主張することができる。悲しい生き方ではあるけれども、夜の世界では当たり前の世界である。

今はウブな彼女も、やがて虚飾を覚えて、夜の世界を生きていくことになる。そうしなければ彼女はこの世界でやって行くことはできない。彼女は虚飾を覚えるべきなのだ。

彼女のビジネスが終わったあと、「俺もいくつか好きなルークトゥンがあるんだよ」と彼女に言った。

そして、鼻唄でそれを歌った。彼女の顔がぱっと輝いて、その鼻唄を彼女が引き継いだ。

知っていたのは「ル・ラウ・ル・ラウ(Ru Leaw Ru Laew)」だった。ルークトゥンの女王と呼ばれているプムプアンの歌っている曲で、アップ・テンポの覚えやすく親しみやすい曲のひとつだ。

タイ語独特の声調で、「Ru Leaw Ru Laew」と歌うルークトゥンの響きは耳に心地よく、忘れがたかった。

日本の演歌に親しむ機会を逸してしまったが、その代わりにアジア各国の忘れがたい曲をたくさん聞いた。どれもがアジアの光景と溶け合い、心をときめかせてくれる。

今後、「Ru Leaw Ru Laew」を聞くと、彼女のことも一緒に思い出すことになるだろう。

そして、彼女がパタヤというソドムの街で働きはじめた原因と、ルークトゥンがイサーンの貧困から根ざした歌謡であることも同時に思い出すだろう。

化粧で素顔を隠し、ありとあらゆる虚飾をまといながらも、彼女たちは芯まで虚飾に染まることはできない。ルークトゥンに反応してしまううちは……。

 

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

タイ編カテゴリの最新記事