◆ミネラル・ウォーター。疑心暗鬼と猜疑の入り混じった関係

◆ミネラル・ウォーター。疑心暗鬼と猜疑の入り混じった関係

タイ編
タイ・パタヤ。多くの悪女と堕落した男が集まるこの欲望の街はこの日もほどよくごった返している。

昼間に熱されたアスファルトの臭いとひっきりなしに道路を往来するソンテウとバイクタクシーの排気ガスがパタヤの空気だ。不思議と潮の匂いはあまり感じない。

パタヤにいてそれほど海を感じないのは、ここが島ではないからかもしれない。あるいは、潮よりも排気ガスの臭いの方が強いので、海のイメージがかき消されているのだろうか。

経済成長でやって来る男たちの国籍が変わる

ビーチ・ロードを歩いていてもそうだ。海はどうにも存在感が薄い。海よりも女性やレディーボーイばかりが目につくし、そうでなければ道の向こうのオープン・バーの女たちに目がいく。

しかし、ここはまぎれもなくビーチ・リゾートである。ほんのわずかな観光客は夜の女よりも海に関心があるような話を聞いた。

それは本来のリゾート地の過ごし方ではあるが、パタヤでは正当な過ごし方ではない。

パタヤはあまりにも女が多く、あまりにも堕落した男が多い。ここはリゾート地の仮面をかぶった欲望の街である。

パタヤではいつも行き先を決めずに、あちらこちらのオープン・バーに潜り込んでは、知り合ったばかりの女たちときわどい話をしたり、ペイバーしたりして過ごしている。

この日、普段はあまり行かない観光地ウォーキングストリートにも足を伸ばした。ミニスカートをはいた女たちが我が物顔で歩き、まるで回遊魚のように往来している。

道行く男たちが食い入るような視線でそれを追っている。男の国籍は多種多様だが、男たちの生態はどこの国であっても変わらない。

欲望を煽るような格好をした女たちが横切ると、誰もが振り向いて相手を品定めする。

腰を振りながら歩く熱い女に、男は誰もが魂を抜き取られたような表情をしてしまう。ファランも、日本人も、韓国人もそうだ。

最近、パタヤに訪れる外国人でもっとも多いのは韓国人だという統計が出ていた。中国人も増えている。経済成長がどこの国で起きるかで、やって来る男たちの国籍が変わる。

獰猛なピューマや黒豹は美しい

そのウォーキングストリートの表通りに面したバーのひとつで、ひとりの毒々しい雰囲気を持った女に目をとめた。彼女は道行く男たちを見下ろすように、籐の椅子にゆったりと腰を沈めていた。

褐色の肌。ほとんど金髪に近いほど発色のいい茶色に染めたカーリー・ヘア。そして無言でじっと男を見つめる瞳。すらりと伸びた足、ミニスカート。

強い巻き毛にするのはユダヤ女性には多い髪型だが、タイ女性には珍しい。開き直った夜の女の雰囲気をぷんぷんと発散している彼女に興味を持った。

彼女はじっと客を見つめて何も言わなかった。自分が誘うのではない。男が自分の魅力に落ちるのをじっと待つタイプのようだ。

“Come on. sit down.”(カモン。座りなさい)

そう声をかけてきたのは、カーリー・ヘアの彼女ではなく、奥からやってきた太ったママサンだった。誘われるがまま、店に踏み込んで籐椅子で足を組んでいる彼女の隣に座る。

相変わらず彼女はこちらを見つめていた。挑戦的な目つきは近くでよく見るとやはり冷徹な感じが強かった。

すぐに彼女が格好だけではなく、内面も「危険」な女であることを察した。 冷徹さは男を躊躇なく騙す女の特徴である。

しかし、危険な女はその存在自体が魅力でもあった。獰猛なピューマや黒豹が美しいのと同様に、夜の女独特のけばけばしい外見と自暴自棄な雰囲気は美しい。

このような危険な匂いのする女の魅力を理解し、美しいと思い、知らずして惹かれるようになったのは、実にインドの闇を経験したあとからだ。

彼女のようなタイプは、以前なら外見を見ただけで、絶対に手を出さなかったタイプでもある。内面が荒れていることを知ったら、なおさらそんな女を避けただろう。

しかし、今はそのどちらも許容できる。いつしか、相手にどこか信用できない部分があると分かっていても、そんな女と一緒にいることが可能になっていたのだった。

ファランを見つめる女

彼女に笑いかけると、彼女もまた笑みを返した。ただ唇の端だけをゆがめて笑って見せたようなところが人間不信を持っていることを示しているように思えた。

名前を聞くと、「ダーンよ」 と答えた。

“Where are you come from?”(どこから来たんだい?)
“Isan”(東北地方から)

ダーンと名乗る彼女は素っ気ない答え方をした。しかし、彼女の目の力が最初と違っていた。冷やかしではなく、本当に興味を持っていることが伝わっているからだ。

ダーンはじろじろと無遠慮に上から下まで眺め回してきた。

女はちらりと見ただけで男のあらゆる特徴をつかむ才能がある。彼女のようにじろじろと男を品定めするのは、男に「あなたの価値を調べてるのよ」と伝えていることを意味する。

彼女はそうやって、自分をペイバーするつもりなら覚悟した方がいい、という宣戦布告をしているのだろう。

どれくらいこのバーにいるのか尋ねると、6ヶ月くらいだと彼女は答えた。何気なく、その前はどうしていたのかと尋ねると、その問いにダーンは答えなかった。

目をそらすと、じっとストリートを歩く男たちを眺めて無言になった。ママサンがドリンクの注文を促したので、彼女の分も含めて飲み物を注文する。

何人かのファランが彼女を見つめては去っていく。彼女もまたファランをじっと見つめている。

“Do you like Farang?”(白人が好きなのかい?)
“Yes”(ええ)

よく考えると、彼女のけばけばしさを好むアジア系の男はあまりいないし、彼女もまたそれに気がついているはずだった。

彼女はパタヤを闊歩する韓国人や中国人、そして日本人など鼻から相手にしていないのだ。

ふたりは互いに小さな目配せ

ダーンはファランの方を見つめて咲いている花だった。ファランの一部は、彼女のセンスを何の抵抗もなく受け入れる。彼女はファランに向けて自分のファッションを作り上げていた。

「日本人にペイバーされたことは?」

彼女は首を振った。本当かどうかわからないが、信じてもいいのではないかという気になった。

ダーンの肌の黒さや顔つきの野生的なところは、明らかに日本人の一般的な許容範囲からズレている。

日本人は意外と女性の好みには保守的なところがあるので、自分の好みの範囲内で女性を見つけようとする。そうだとすると、彼女が日本人の視界に入るとはとても思わなかった。

飲み物が来てからも、他愛のない話をいくつかしていたが、やがて騒々しい音楽の中でママサンが横から口を出した。

「彼女をペイバーしなさい。彼女のスモーク(フェラチオ)はとてもいいわよ」

ママサンはまるで見てきたかのようにそんなことを言う。それは単なる営業トークであるのは分かり切っていた。苦笑いして首を振った。

「いや、彼女をペイバーできないよ」
「どうして?」
「彼女は俺が嫌いだから」

それを聞くと、ママサンとダーンは同時に驚いたようだった。「どうして、あんたはそう思うの?」とママサンは尋ねた。ダーンの方は食い入るようにこちらを見ている。

「彼女はファラン(白人)が好きだ。俺はファランじゃない」
「関係ない。彼女はあんたとホテルに行くわよ」

ママサンがそう言って彼女の顔を見ると、ダーンは静かにうなずいた。ファラン以外の男は興味がないことを責めているのだと、ママサンとダーンは解釈したのかもしれなかった。ふたりは取り繕っているように見えた。

「いいから彼女をペイバーしなさい。オーケー?」

ダーンがママサンをちらりと見ると、ふたりは互いに小さな目配せをして、すぐに何食わぬ顔をした。その一瞬の目配せが何を意味していたのか分からなかった。

この男は日本人だけども文句言わずにホテルに行きなさい、とママサンが無言で諭したのかもしれないし、ほかの意味があったのかもしれない。

夜の女が「死んだ魚」になるのは?

いずれにしても、ダーンはペイバーされても断ることはないだろう。どこかの店に所属する夜の女とは、もともとそのような存在である。男は彼女の内心がどうであれ、何も気にしないでペイバーすることができる。

気にしているのは、ダーンがファラン専門の夜の女なのかどうかではなく、やはり彼女の内心の冷ややかなところだった。

無理に彼女をペイバーしても、互いに得るものは何もないような気がしていた。

女が男が嫌いであることを示すもっとも分かりやすい抵抗は、セックスの最中に完全に受動的でいることである。

男はそういった女に当たると、彼女はセックスが好きではないのかと失望する。

しかし、男は都合のいい誤解をしている。抱いている女性が死んだ魚のように受動的になっているのは、夜の女がセックスを嫌っているのではない。もちろん、セックスに慣れていないわけでもない。

夜の女が「死んだ魚」になる最大の原因は「自分を抱いている男が嫌い」だからである。

夜の女には拒否権がない。あるとすれば、せいぜいセックスに拒否感を出して男を不快にさせることくらいである。

男を不快にさせると言ってもセックスを拒んだり、相手を罵る真似はできないので、彼女たちが唯一できるのは、セックスの最中に何の感情も見せないで、死んだふりをするくらいしかない。

夜の女は本当にその日の体調が悪ければビジネスもしない。だから、女性が「死んだ魚」であったとすれば、それは間違いなく自分が嫌われているということを自覚したほうがいい。

その点、インドの女たちは自己主張が強いので、東南アジアの女たちと違う反応になる。

彼女は、たっぷりと憎しみのこもった瞳でじっと男を見つめ続ける。男は自分が嫌われていることを明確に知ることができる。

麻薬(ヤーバー)か、と邪推した

しかしながら、彼女をペイバーすることに同意した。最初にこの女に惹かれたけばけばしい外見がまだ魅力を放っていた。

ママサンとダーンは一緒に奥に引っ込み、やがてダーンだけがバッグを抱えてやってきた。勘定はママサンではなく、ほかの女がやった。

彼女とは歩いてホテルに戻った。肩を組むと、彼女の身体は汗でたっぷりと濡れていた。ホテルの部屋に入ってすぐに冷房をつけ、冷蔵庫の中を見せながら何か飲むかと訊いた。

ビールからミネラル・ウォーターからソフトドリンクまで一通り揃っている。飲みたいものを飲ませるつもりだった。しかし、ダーンは「何もいらない」と素っ気なく言った。

肩をすくめてミネラル・ウォーターを取り出して、それを1口ラッパ飲みする。ダーンはじっとそれを見ていたが、やがて立ち上がって、その飲みかけのボトルを取って水を飲んだ。

「おいで。冷蔵庫にいろいろ入っている」

再び彼女のために冷蔵庫を開けたが、彼女はやはり「いらないわ」と素っ気なくつぶやくのだった。冷蔵庫を閉じてベッドの上にいる彼女のところに戻った。

ダーンは何も言わず、じっと虚空を見つめてまばたきもしなかった。何も言わず、彼女の巻き毛を手に取って、自分の指に巻きつけてみた。

ずっと髪を触っていると、彼女は急にくすぐったくなったのか、声を上げて笑った。一瞬見せた無邪気さは、しかしすぐによそよそしい表情に戻った。彼女の感情は不安定だった。

麻薬(ヤーバー)か、と邪推した。今まで何人かダーンのように感情が一定しない女と関係したことがあった。そのうちの数人はヤーバーを常習していた女だった。

タクシン元首相が言っていたように、1990年代後半からタイではヤーバーが激しい勢いで浸透し、その最大の汚染地区のひとつがここパタヤだった。

ダーンがヤーバーの中毒者だったとしても驚かない。しかし、ダーンの持つ奇妙な自制心はヤーバー中毒者には見られない症状であり、もっと別の何かのようにも思えた。

先にシャワーを浴びろという女は危険

大きな音を立てるエア・コンディションがやっと部屋を冷やしはじめると、やっと気が落ち着いてきた。「シャワーを浴びてくるかい?」と尋ねると、ダーンは首を振った。

「あなたが先にシャワーを浴びて」
「いや、君が先だ」
「お願い、あなたが先に浴びて……」

彼女は Please (お願い)という単語を使ったが、懇願しているというよりも、むしろ強く命令しているようなニュアンスが感じられた。

男に先にシャワーを浴びろという女は往々にして危険な女だ。それはセフト・プロスティチュート(盗み癖のある女)の手口なのである。

フリーの女は、男を先にシャワーを浴びると、財布を持って一目散に部屋から逃げ出す。

自分が先にシャワーを浴びたら着替えて逃げるので手間がかかるが、男が先にシャワーを浴びているのなら、財布をつかんで逃げるだけだ。

しかし、ダーンの場合はどうだろうか。彼女が所属する店を知っているし、ママサンとも面識があるのだから、持ち逃げはできないはずだ。

持ち逃げができないとすれば、先にシャワーを浴びさせる意図は他にある。その意図が分からなかったが、財布からの抜き取りが一番可能性が高いように見えた。

この危険な女に隙を見せるわけにはいかなかった。

「ダーン。君が先だよ」と彼女の言いなりになるのを拒否した。彼女はしばらく考えていたが、やがて立ち上がってこう言った。

「コンドームを買ってくるわ」

まじまじと彼女を見つめた。このまま逃げ出してしまうつもりなのだろうか。それとも、別の意図があるのだろうか。

「大丈夫だよ。コンドームはある」と答えながら、彼女の本当の意図はいったいどこにあるのだろうと必死で頭を回転させていた。本当は意図を知るために買いに行かせた方がよかったのかもしれない。

男が意のままにならないせいか、彼女は少しイライラした様子だった。「シャワーを浴びないのかい?」と促すと、彼女はややふて腐れてバッグをつかんでシャワー室に消えて行った。

半開きのドアの前に脱ぎ捨てた衣服

油断するとやられる。

ダーンがシャワー室に消えると、すぐにポケットの中の紙幣を全部取り出して財布に納めた。

今度はその財布をどこかに隠そうと部屋を見回した。窓際のカーテンレール上の梁の部分がちょうど空洞になっていた。

財布を買い物したときにもらったポリ袋に包んで、その梁の空洞部分に隠した。

ポケットの中には取られても大したことのない小銭だけが入っており、それくらいなら彼女が漁って盗んだとしても痛手でも何でもない。

小銭で満足してくれるのであれば大歓迎だが、彼女はおそらくそれでは満足しない。男がシャワー室に消えると、ダーンはどこに財布があるのか部屋中を探し回るだろう。

クローゼットに入れてあるバッグを漁る可能性もある。パスポートはホテルのセーフティーボックスに預けてあったので、それは大丈夫そうだ。

ほかに貴重品はなく、盗られて困るのはデジタルカメラくらいだが、夜の女は不思議と精密機器には興味を示さないので問題はないだろう。

そもそもクローゼットを開けるのには音がする。彼女がそんな危険を侵してまでクローゼットを漁るとは思えなかった。

彼女は畳んだ衣服と持ち、中に持って入ったバッグを肩にかけてシャワー室から出てきた。バスタオルを胸から巻いている。次はこちらがシャワー室に入る番だ。

時計を外してサイドボードに置き、何食わぬ顔をしてシャワー室の前で服を脱いだ。小銭の入ったズボンもシャワー室の前で乱暴に脱ぎ捨て、おまけにドアを半開きにしてシャワーを浴びた。

彼女を警戒しているというよりも、だらしのないふりをして彼女に窃盗をやりにくくさせる方法を取ったつもりだった。

半開きのドアの前に脱ぎ捨てた衣服から財布を漁るのは、いくら彼女がプロであっても難しい仕事になる。

シャワーを浴びながらずっと彼女の気配に注意していたが、とうとう彼女は衣服に指一本も触ることができなかった。

互いに相手を牽制し合っている

簡単に身体を拭いてバスタオルを腰に巻いたままシャワー室から出る。彼女はすでにシーツの中に潜り込んでいたので、バスタオルを取って彼女の横に滑り込んだ。

お互いに相手を信用していない。

互いに相手を牽制し合っているのは互いに自覚している。しかし、それをおくびにも出さない。そして、これから互いに猜疑心を抱きながら関係を持つ。何とも居心地の悪い時間だった。

オープン・バーの女は、ほとんどが子持ちなので、彼女もそうなのかと思ったが、乳房はまだ子供を産んだことのない女のものだった。そのまま腹のほうも見ていくが妊娠線はない。

「子供はいないのかい?」
「いないわ」

そんなことを話しながら、彼女のビジネスをした。もしかしたらダーンは完全に無反応になって嫌悪を示すのではないかと思ったが、驚いたことに積極的でもあった。

彼女を下から見上げると、身体のバランスの良さや乱れたカーリー・ヘアが実にセクシーだった。自然だった。

彼女に不信感を持っていたが、実は誤解だったのかとも思いはじめてきた。夜の世界に入り浸るようになって、猜疑心が強くなってしまったのかもしれない。

ビジネスが終わったあと、互いにシャワーも浴びずにそのままベッドでまどろんだ。

のどが渇いたので水を飲もうと思ったが、面倒なのでそのままベッドでじっとしていた。彼女も身動きしないで目を閉じている。

じっとこちらを見つめている

「ダーン、どうする? 泊まるかい? 帰るかい?」
「あなた次第よ」
「ひとりで寝たい。明日、また店で会おう」

それを聞くと、ダーンは急に目を開いた。その言葉の真意を確かめようとこちらを見つめ続けたが、顔をそらしてダーンの凝視をやり過ごした。

彼女は起き上がり、バスタオルを身体に巻いてシャワー室に消えて行く。衣服とバッグを持ったのは不思議でもなかったが、飲みかけのペットボトルも何気なく手に取って、さっとシャワー室に持って行ってしまった。

普通、シャワーを浴びに行くのにペットボトルを持っていくことはない。

奇妙だ。

彼女はシャワー室で水を飲みたいのかといぶかった。とは言え、どこにでも奇妙な女はいるものだから、それほど気にしないでベッドでまどろんでいる。

そのとき、隠していた財布のことを思った。彼女はそれを探り当てていたのではないかと急に心配になった。

すぐに、ベッドから這い出てカーテンレールの上の梁に手をやってみる。財布はちゃんとそこにあった。

それを取り出して、手に持ったままソファに身体を預け、彼女が出てくるのを待った。

やがて彼女は着替えた状態でシャワー室から出てきて、ベッドわきに脱ぎ捨てていたサンダルをはいてこちらを見る。立ち上がり、持っていた財布からビジネスの代金を払って彼女に渡した。

彼女は金額を確認することもなく、それを受け取ると「帰るわ」とひとことつぶやいた。相変わらず、じっとこちらを見つめている。

男が何か気がついているのかどうかを確認しているような目付きだった。やはり彼女には裏があるのだと思わずにいられなかった。

ミネラル・ウォーターのボトル

「どうしたんだい?」

そう尋ねると、ダーンは何でもないと首を振って帰って行った。ドアから出ると、もう彼女は振り向きもしなかった。彼女は仕事を終えたのであり、男に振り向く義務はなかったからだ。

彼女がいなくなって安堵した。もしかしたら何の裏もない、ただ不器用なだけの女だったのかもしれない。しかし、気が抜けなかったのは確かだ。

サイドボードの時計も盗まれていなかった。被害は何もない。

またシャワーを浴びようとシャワー室に入ると、洗面所の鏡の前に、空っぽになったペットボトルが無造作に置いてあるのが見えた。

彼女は鏡を見ながら、一気にそれを飲んでいたのだろうか、と思う。それをゴミ箱に捨てて、シャワーを浴びる。シャワーを浴びながら、いや待てよと考えた。

鏡を見ながらペットボトルの水を飲もうと、女が考えるだろうか。女は鏡を見れば、自分の顔を見つめて化粧をしたり髪を整えるほうに神経が行くはずだ。

そもそも、寝台にあったミネラル・ウォーターのボトルをわざわざシャワー室に持って行って空にするのは不自然すぎる。

「睡眠薬だったのか……」

シャワーを浴びながら、そうつぶやかずにはいられなかった。その推測は筋が通っていると思えた。

飲みかけのペットボトルがあれば、男は無意識にそれを飲むかもしれない。 すると、男は急激に眠りに落ちる。

そうすれば、彼女は好きなだけ部屋を物色できたはずだ。しかし、今回はたまたまペットボトルの水を飲まず、彼女に帰らせた。

運良く睡眠薬強盗を逃れたのか……。
それとも、これは考え過ぎなのか……。

シャワーを浴びたまま立ち尽くして、捨てたミネラル・ウォーターのボトルをじっと見つめていた。

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